第31話 力の過信
「……」
「……」
チクタクチクタクと時計の病身の音だけが室内に響く。
息の詰まりそうなほどに張り詰めた空気の中、私はひと針ひと針慎重に針を進めていく。
大切に。
思いを込めて。
そして────プチッ……。
「できた……!!」
両手で大事に持って掲げた剣帯。
そこに刺繍されたカルバン公爵家の紋章が、誇り高く輝いて見える。
まるで、騎士になって皆を助けるシリウスの姿のようだ。
安堵と喜び混じる笑顔を浮かべる私を見て、メイリー様が満足げに笑った。
「セージは少しばかり歪な部分もありますが、あとは素晴らしい出来ですわ。カルバン公爵家にふさわしい、凛々しく美しい刺繍で。まぁ、私が監視しながら制作していたのですから、変なものになるはずがありませんけども!!」
ふふん、と笑うメイリー様に、私は剣帯を机の上にそっと置いて立ち上がると、彼女に深く頭を下げた。
「なっ、何ですの!? 急に……」
「ありがとうございました、メイリー様。メイリー様が見ていてくださらなかったら、私、きっと途中で諦めてしまったか、完成しても謎の物体を作り上げて、結局恥ずかしくなってシリウスに渡すことなんてできなかったと思います。本当に……本当にありがとうございました……!!」
無事に美しい紋章を作ることができたのは、間違いなくメイリー様のおかげだ。
多少、いや、かなり厳しいお方だけれど、私がどんなに変な方向に針を進めようとしても途中で投げ出すことなく、最後まで根気強く教えてくださったんだもの。
メイリー様の元思い人の妻である私に。
平凡で、シリウスと釣り合いのとれていない私なんかに。
メイリー様は涙目になりながら感謝を伝える私を見て驚いたように目を見開いた後、口元をふっと緩ませた。
「セレンシア様。もちろん私の教えのおかげなのはその通りですけれども──。あなたが勇気を出して私に教えを請いに来なくては、そして断られてもしつこく付きまとわなければ、始まってすらいませんでしたわ。……以前も言いましたが、あなたはちゃんと、カルバン公爵家の嫁です。自信をお持ちなさい」
「メイリー様……」
自信……。
生まれたはずの、愛し愛されるかもしれないという自信。
それはこの一週間で早くも失われつつあった。
じわり。
浮かんでいた涙があふれて、ポタリ──と一粒、零れ落ちた。
「!! ……セレンシア様、何か、ありましたの?」
「え?」
「そこにお座りなさい」
「え、ど、どうしたんで──」
「良いからお座り!!」
「は、はいぃっ!!」
すさまじい圧を放つメイリー様に肩を跳ね上がらせると、私はソファへと再び腰を下ろし、背筋をピンと伸ばしてから正面に座る凶悪な顔のメイリー様を見つめた。
「お話しなさい。あなたが急に刺繍教室はうちに出向かせてくれと言い出した訳。その憂う顔の訳。全て、余すことなく」
「は……はい……」
そして私は、その圧に負けて全てをぽつりと話し始めた。
***
「ふむ……なるほど……」
「すみません。理由も告げずにこちらに押しかけるようになってしまって……」
しゅん、と肩を落とす私の目の前で、厳しい顔のまま腕を組んで考え込むメイリー様。
シリウスが連れ帰ったロゼさんのこと。
それとともに話したのは私の謎の力【寝言の強制実行】のこと。
ロゼさんが来てから、自分の中のモヤモヤが募ってしまっていること。
すべてを話した私は、もはや死刑判決を待つ囚人のように力なくうなだれたままだ。
メイリー様はどう思っただろうか?
シリウスと結婚したのはこの迷惑な力だと知って、怒っただろうか?
ロゼさんが現れて、それみたことかと心の中で笑っているだろうか?
刺繍を教えたことを──後悔しただろうか?
永遠のような、無言で重苦しい時間が過ぎ、やがて私の目の前から深いため息が落ちた。
「はぁ~~~~~~~~~……。あまりの非現実さに理解に時間がかかりましたが、これまでのあなたの周りで起こっていた不思議な出来事を考えれば、信じるほかありませんわね。何より、あなたは嘘がつけるような器用な人物ではないですもの」
「メイリー様……!!」
「そんな器用さがあれば、あのような不器用な刺繍になるわけがありませんもの」
辛辣……!!
でもメイリー様らしくて、心が少しだけ軽くなる。
「あ、あの、怒らないん、ですか?」
「え? 何を? ……あぁ、そのロゼとかいう娼婦のことですの?」
「ち、ちがいます!! ……私の、こと……」
不安でしりすぼみになっていく声に、メイリー様が首を傾げた。
「あなたの? なぜ?」
首をかしげる姿ですら優雅なメイリー様に、自分にはないその魅力を感じて胸が苦しくなる。
「わ、私の力のせいでシリウスは私と結婚したんですよ!? 彼の意思とは関係なく!! だから──」
「あら、そんなこと? ばかばかしい」
「!?」
ばかばかしい?
どうして?
だって、人の意思とは関係なく強制的に結婚させられたのに──。
愕然とする私を前に、メイリー様は紅茶を一口口に含むと、その喉を潤した。
「あなた、自分のその妙な力を過信しすぎではなくて?」
「か……しん?」
鋭い瞳が私の核心を射たようだった。
「たしかに、学園時代からおかしなことは多かったですわ。学園の先生方が揃って謎の体調不良を訴えたり、殿下があなた個人にケーキをポケットマネーで買い与えたり、王立図書館の本の一部を譲り受けたり。おかしいことだらけでしたわ」
言い訳のしようもない悪行の数々……!!
「……でも、カルバン公爵令息は、女性で貴方にのみ名前呼びを許していた」
「!!」
「幼い頃からずっと一緒だったあなたを、嫌うはずがありませんわ。おそらくあなたへの気持ちは本物──」
「っ、そんなこと──っ!!」
「考えてもみなさい。これまで、寝言によるあなた自身への思いの変化はありまして?」
「それは……」
ない。
ただの一度も、私に対しての思いを変えた者は──。
「その力は確かに不思議な力です。ですが、人の心まで変えることができるとは考えにくいですわ」
確かにその証拠はどこにもない。
だけど……でも……。
「だから自信を持ちなさいと言っているのです」
「っ……」
「それを渡して、自分の今の気持ちをぶつけてごらんなさい。その娼婦のことも、彼の思いへの不安も。諦めるのはそれからでもいいのではなくて?」
「メイリー様……」
私の中で、諦めるという選択肢しかなくなりつつあったシリウスへの思い。
でも──そうだ。
せっかくメイリー様にも協力してもらって作り上げたんだ。
私の込めた思い。
メイリー様の教え。
無駄になんてしたくない。
「……はい……!! 私、シリウスに無理にでも時間を取ってもらいます。きちんとこれを渡して、話をします」
誕生日はもう明後日。
その日はちゃんと、二人で話がしたいと伝えよう。
「まぁ頑張りなさいな。あの方がもし駄目でも、男は星の数ほどいますわ」
「ふふ、はいっ……!!」
メイリー様と微笑み合ったその瞬間、私の瞼に重みが増した──。
「ぁ……れ……?」
久しぶりの感覚。
これは──。
「ね……む…………」
「!? セレンシア様!? セレンシア様っっ!?」
メイリー様の声が遠くなって、私の意識は薄れて消えた。
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