◆第一章②

 大通りを東に曲がり、細い通りを真っすぐ進むと職場があった。看板はなく、見た目はいつけんの民家だ。

 扉を開けると、蘭蘭が腕を組んで立っていた。

「遅刻は何度目でしょうか」

 色白のはだつややかなくろかみで、微笑ほほえむとなかなかの美女だが、卓明は険しい顔を見ることが多いので、ときめいたことはない。たいていは卓明に問題があるから、あまり大きな態度には出られない。

「……数え切れないほどです。すみません」

 しよみんは時を計る道具を持たない。水時計を管理している役人が叩くたいかねで知る。朝の太鼓を聞きのがしたら体内時計がたよりだが、卓明の時計はこわれがちだ。大事な仕事がある日は気をつけているので失敗はないが。

 蘭蘭は大きなため息をついたが、組んでいた腕はすぐに解いた。

「何か食べたの」

「何も」

パオでいい?」

 うなずいて返すと、蘭蘭はとなりむねへと向かった。中庭を囲むように細長い建物が配され、職場以外のむねには師長一家が住んでいる。師長の妻がよく料理を作ってくれるのだ。

 室内の奥は一段高くなっていてこしけてくつろげる。手前にはを四きやく備えた卓があり、客には椅子に座ってもらうことが多い。所員用の席はないので、卓明は来客用の席に座った。

 りんてつが隣室から出てきた。蘭蘭の父親で、師長だ。ふくよかな体型とにこやかな顔つきが安心感をあたえる。

 ほかに所員は二人いるが、仕事先に向かったのか姿はない。

 卓明は立ち上がり、頭を下げた。

「すみません、おそくなって」

「いや、今日は卓明の仕事は入ってないからね。そういえば、半月ほど前の仕事、せいさんを担当したのは卓明だったね」

「はい」

「聞いたかい? 成さんのご子息の子龍さんは自殺ではなく殺害されたと調べがついたらしい。幼なじみにき落とされたのだとか。同じ試験を受けて不合格だったねたみだとうわさされてるね」

「そうですか」

 一度は自殺と断定されたのだからしようがあったとは考えにくい。しようどう的にやってしまったものの、元々は親友だから良心のしやくえかねて、められて自白したというところだろうか。

 蘭蘭が来て、包をのせたうつわを目の前に置いた。蒸し直したのか湯気が出ている。

「母さんの手作りだから美味おいしいよ」

「ありがとう」

 白いふわふわとした生地にかくはさまれている。着席してほおると、にくじゆうがじわりと口の中に広がった。卓明の母親がくなったのは七年前。父親はもっと前に亡くなっていて顔も知らない。身寄りがなくなった少年に手をべたのが、母親の幼なじみだった師長だ。以来、ここで働き、師長の妻やむすめの蘭蘭もしんせきのように気に掛けてくれていた。

 師長が入口の前でり返った。

「じゃあ、私は外を回ってくるから」

 個人宅や店を回り、やわらかい表情と口調できやくを増やしている。

「いってらっしゃい、お父さん」

「いってらっしゃい」

 父親を見送った蘭蘭は向かいの席に座り、ひじをついてりよううでを立て、開いた手のひらにあごを乗せた。大きな瞳でこちらをじっと見る。

美味おいしそうに食べるよね」

 視線が気になるが、もぐもぐと頬張る。

 自宅よりも、ここで食べることの方が多い。蘭蘭の母親、せいらんが作る料理は店を開けそうなくらい絶品だ。

「私ももっと料理覚えようかな。やっぱりぶくろつかめる女は強いよね」

 蘭蘭は片手で果実を握りつぶすような仕草をする。心を射止めるというよりは物理的に仕留めるように見える。歳は卓明より二つ下で十九歳。けつこんしている女性も多いねんれいだが、いた話は全く聞かない。蘭蘭は書類や金銭の管理をしている。役所に届け出る書類は多く複雑だ。

 足音が近づいてきて入口の前で止まった。

 来客かもしれない。

 卓明はあわてて残りの包を口に押し込んだ。

 とびらたたく音。

 蘭蘭が開けた。

「いらっしゃいませ」

 立っていた男の顔を見て、卓明は目を見開いた。口に何も入っていなければ「あ!」と声を出しただろう。

 乱暴な男たちをはらった貴族だ。

 男がこちらに視線を向けた。

 ごくんと包を飲み込んでから立ち上がり、軽く頭を下げた。

「さきほどはありがとうございました」

 蘭蘭が二人の顔をこうに見る。

「知り合いなの?」

 こんな高貴なじようと?

 という疑いの目。

 男は蘭蘭を見て微笑んだ。

せいりゆうと申します。仕事についておたずねしたいことがあってうかがいました」

「師長は外出しておりまして。ごらいでしたら代わりの者が承ります」

「いえ、卓明という者に用があって」

「卓明? 卓明なら目の前にいますけど。え、知り合いじゃないの?」

 混乱した蘭蘭は両方に何度も顔を向ける。

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