別に待ってなかった運命とかいうもの

 口をぱくぱくさせて硬直する俺を見下ろして、やつは「あ、そうか」と頬を掻いた。

「ごめん、隠してた?」

「な、なななななn、ん、で?」

「いや、その、なんていうか……」

 それからやつは照れ臭そうに(照れ臭そうに?)こう尋ねてきた。

「きみは成人してる?」

「え?」




 しゃれた居酒屋の個室に入って、やつは「どれがいい?」などと聞いてくる。何もわかんないから一番上のやつにしてみようかな。そう言って、メニューの一番上を指さした。

「マティーニ……」

「さては君、強いね?」

 出かけた「え?」をごくりと吞み込んだ。実のところお酒には全く興味が無かったから、これが酒の種類なのかカクテルなのか、それとも店の掲げているメニュー名なのかの区別もつかない。

 やつは「マティーニふたつ」とウェイターに告げると、俺の目をまっすぐ見た。

「俺の名前はタクミ」

「……」

「いや、名乗らなくていい。大丈夫、分かってる。俺のことも信用ならないだろう」

 やつ――タクミは顎に手を当てた。ひげが様になる男だ。大人の男って感じがする。ぱんぱんに張ったシャツといい、捲った袖から覗く手首がごつごつしているのといい、俺と真逆だ。

 幾つなんだろう。ぼんやり俺がそんなことを考えているうちに、目の前に名刺を差し出されていた。青梅巧おうめ・たくみと書いてある。肩書は……課長。意外と上の方にいる。

 考えながら、ついと目を逸らす。俺は壁に掛けられた「welcome」の文字を見つめた。

「いい大人が、こんな女装男とっ捕まえてなんの話です」

「いや、君が可愛かったから」

「はぁ」

「本当だって」


 机の下で、ニーハイ穿いてる足がプルプル震えているのをタクミに知られたくなかった。あくまで「そんなことない」という冷たい顔を繕って、頬杖をついて、ぷいとそっぽを向きつづけてる。タクミの顔を見たら「もっと言って」とか口走ってしまいそうだったから。

「俺は女装男子が好きってわけじゃ……無いと思うんだけど。可愛いと思うのがいつも女装男子なんだ」

「なんで俺がそうだってわかったの」

「見ればわかる。骨格がそうだ」

「は? きも」

 タクミはやはり言い訳するように次々言葉を重ねていく。視線が俺の頬に突き刺さってくる。こっちを見ないで欲しい。そうじゃないと。

「ごめん、気持ち悪いって言われるのは承知だけど、やっぱり、その……君は可愛い」

 

 あ、もっと言って。

 

 頼んだマティーニが届く。薄い色のお酒の中にオリーブの実が沈んでいた。俺は心の中の「もっと言って」を薄めたくて思いっきりそれを口に含む。

「ん」

 かっと燃えるようなアルコールが口の中にぶわっと広がって、思わず口を押さえる。タクミは俺の様子を見て、何か察したようにウェイターをよびつけ、水を頼んだ。届いた水をごくごく飲みながら、俺はまだ残ってる舌のしびれを歯の裏で確かめた。

?」

 タクミの低い声が降ってくる。アルコールのせいか、浴びせられた「可愛い」のせいか、ずっと内ももの震えが止まらない。

「……ん」

「そうか。この酒は強いから気を付けて。舐めるように飲むんだ」

「舐めるように?」

「そう」

 俺はタクミの声に誘われるようにもう一度グラスを持ち上げた。そして言われた通り、アルコールを迎え入れるように舌を出す。

「アルコールを唇で確かめてごらん」

「ん……」

 ひやっとする唇の感触が気持ちいい。回ってきている「何か」が視界を潤ませる。

「勢いよく呑み込まないで、そう。楽しみ方を間違えちゃだめだ」

「うん……」


 タクミの声が優しい事しか分からない。そしてようやく、オリーブの実に唇が触れた。


 その後の記憶が無い。

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