48:クリスマスデート
早いもので、文化祭の日に晴見くんと交際を始めてから二カ月が過ぎた。
それはこれまでの私の人生の中で最も充実した、幸福な二カ月間だったように思う。受験勉強のやる気が起こらない時も、週末には晴見くんとデートできるのだと考えることで自分を奮い立たせることができた。
晴見くんが私の隣にいてくれるだけで、モノクロの世界がフルカラーになったかのように見るもの全てが美しく輝き始める。取るに足りないと思い込んでいたものでさえ、晴見くんが注目したなら、それは私にとっても重要なものに変わるのだ。
◇◆◇
冷たい風が服の隙間から身体を撫でるような、凍てつく真冬の日。この時期になると陽が落ちるのが随分と早い。時刻はまだ夕方の4時前だというのに、街灯や車のヘッドライト、そして建物を彩る色鮮やかなイルミネーションの電飾が無ければ、外はもう真っ暗だ。
「晴見くん、お待たせ!」
通りを歩く人の邪魔にならないよう、道の片隅で誰かを待っていると思しき人々の中に、晴見くんの姿を見つけて駆け寄った。
「氷見谷さん!」
晴見くんが手元のスマートフォンから顔を上げ、嬉しそうな笑みを浮かべて私を見る。
「ごめんなさい、寒いのに待たせてしまって」
「俺もバイト終わりで急いで来て、さっき着いたばかりだから全然大丈夫」
晴見くんはそう言って笑うけど、無理を言ってバイト終わりにデートしてもらうことになった手前、少し申し訳なさを感じる。
「バイト終わりで疲れてるのに……今日は付き合ってくれてありがとう」
「もう、そんなの気にしないでいいよ。俺も今日デートできて嬉しかったんだから。ちょっと早いけど、クリスマスデートだね」
暗がりの中でも晴見くんの爽やかな笑顔は眩しい。連られて私も笑顔になる。
「ありがとう、晴見くん……」
公衆の面前でバカップルのお手本のような甘いやり取りを交わし合っていた私たちだったが、周囲の人々の視線を集めていることに気が付いた瞬間、猛烈に恥ずかしくなってきた。
「そ、そろそろ行きましょうか!」
「そ、そうだね!行こう!」
様々な色の光を纏い、ライトアップした街の中を晴見くんと手を繋いで歩く。
日曜日ということもあってか、擦れ違う人々はケーキの箱を抱えていたり、サンタやトナカイが描かれたクリスマス模様の袋を持っている人が多く見受けられる。
まさかこの私に、クリスマスの日に男の人と手を繋いで歩く日が来るなんて、昨年までは思いもしていなかった。
これまでのクリスマスの思い出といえば、イブの夜に家族とケーキやチキンを食べるくらいで、それ以外はほとんど日常と変わらない。それどころか、クリスマスムードですっかり浮かれた人を見ると、なんとなく見下したい気持ちになった。今となっては、つまらない八つ当たりだったと思うのだけど。
「そういえば、こんなに遅い時間から始まるデートは初めてだよね。なんか新鮮」
晴見くんの言葉に、私は頷いた。
「そうね。いつもは午前中に待ち合わせして、夕方ごろには解散することが多いものね」
「そうだよね。あ、氷見谷さん、門限とか大丈夫なの?」
一応、我が家の門限は夜の七時と父によって定められており、これまでは委員の仕事でもない限り一度もそれより遅い時間に帰ったことはないが、母に「彼氏とイルミネーションを見に行く」と正直に伝えたら喜んで許可してくれた。
その後、母には晴見くんについて色々と聞かれた上、「今度家に連れてきてね」と懇願されたので弱ってしまったが……
「今日は遅くなるって伝えているから大丈夫。イルミネーション、楽しみね」
街中を歩いているだけでイルミネーションは既に楽しめているのだが、これから私たちが向かう所は、街中のライトアップなど比にならないほどの光の絶景が見られるらしい。期待し過ぎも良くないけれど、と心の中で卑屈な自分が小さく呟く。
しかし、晴見くんは私のネガティブな思考をすぐに吹き飛ばしてしまう。
「ほんとに楽しみ!今日、一緒に来られて良かったよ」
そう言って、私の手を握る手に優しく力を込める。私が晴見くんの顔を見上げると、彼もまた私を見て微笑んでいた。
二人で他愛もないことを話しながら冬の街を並んで歩き、本日の目的地である遊園地へと辿り着く。
その遊園地は、私や晴見くんが生まれる何年も前から人々に親しまれてきた場所で、園内はそれほど大きくはなく、派手なアトラクションがあるわけでもないが、毎年この時期になるとイルミネーションを目当てに多くの人がやって来るそうだ。
なんでも、近隣に大きなテーマパークが出来て客足が伸び悩んだ際に、当時の園長がこのライトアップイベントを考えたのだとか。
多くの人々で賑わうアーケードを潜ると、目の前に色鮮やかな光の海が広がった。沿道の植物には青色や白の電飾が巻きつけられ、ゆっくりとした規則的に明滅している。入口を入ってすぐのところにあるアーチの下で頭上を見上げれば、プロジェクションマッピングか何かだろうか──光で描かれた魚たちがゆらゆらと泳いでいた。
「すごい……きれい……」
思わずそう呟くと、隣で晴見くんが頷いた。
「うん……綺麗だね」
自分が言われたわけでもないのに、その一言で身体が熱くなってくる。今日の気温は5度を下回る真冬日なのに、晴見くんが傍にいるだけで、体温が上がって寒さを感じにくいような気がする。
ふと周囲を見回すと、辺りはカップルと思しき男女の二人組ばかり。近くを歩いているカップルなんて、腕を絡め合いながら甘い言葉を囁き合っており、今にキスでもするのではないかと見ているこちらがドキドキしてしまうほどだ。
「あのさ、氷見谷さん……」
「は、はいっ!」
私としたことが、せっかくの良いムードの中で上ずった返事をしてしまった。晴見くんとの初めてのクリスマスデートでただでさえ緊張しているのに、周囲のカップルのおかげで余計に意識してしまう。
「その……俺は恋愛経験少ないからよくわからないんだけど、恋人同士って下の名前で呼び合ったりするものなのかな……と、ふと思って……」
晴見くんはそう言いながら、顔を赤らめて視線を逸らす。
「氷見谷さんがよかったら……その、梓って呼んでもいいかな……?」
そう聞かれた時、私はすぐに答えられなかった。心臓が壊れそうで、晴見くんの目を直視できない。私は懸命に頷いた。晴見くんは、ほっとした様子で笑った。
「よかった!綺麗な名前だから、実は結構前からそう呼びたいなって思ってたんだ。また氷見谷さんって呼んじゃうことがあるかもしれないけど」
たしかに、恋人同士なら下の名前で呼び合うのが普通なのかもしれない。私だって晴見くんのことを下の名前で呼びたい。「
「そ、そそそ、そ……っ」
晴見くんは笑った。
「ひみ……じゃない。梓、無理しなくていいよ」
「そ……っ、うし、くん……」
下の名前で呼ぶだけなのに、どうしてこんなにも体力と時間を使ってしまうのだろう。
「やっぱり、今はまだ『晴見くん』って呼んでもらった方がいいのかもね」
晴見くんはそう言って微笑みながら、私の手を引いて歩く。
「ご、ごめんなさい……男の人を下の名前で呼んだことって全然なくて……」
幼稚園に通っていた頃を除けば、弟以外の男子は全員苗字で呼んでいたような気がする。
「いいよ。なんか俺も、梓には『晴見くん』って呼んでもらう方がしっくり来るんだよね」
だけど、もしも私たちが結婚したら私は「晴見梓」になる。自分自身も「晴見」なのに、いつまでも彼のことを「晴見くん」と呼ぶのは変なのではないか。それなら早いうちから下の名前で呼ぶことに慣れておく方がいいのではないか。
っていうか、結婚なんてそんな先のことはわからないけど……!
「あ、そうだ。梓、ここで一緒に写真撮らない?」
晴見くんがそう言って立ち止まった場所には、白や金色の電飾でライトアップされた大きなクリスマスツリーがある。
「えっ、ええ!撮りたい!」
付き合い始めてからも、私たちには一緒に写った写真がほとんど無かった。
ツーショットを撮りたいと思いながらも、晴見くんと一緒に居ると瞬く間に時間が過ぎていき、目の前のことに夢中になってしまうので、つい忘れてしまうのだ。
「それじゃ撮るよ。はい、チーズ」
晴見くんと身を寄せ合い、スマートフォンのレンズに向かって精一杯可愛く微笑んだつもりが、写真の中の私は物凄くぎこちない笑顔になっていた。
晴見くんは普段と何ら変わらない、爽やかな笑みを浮かべているのに……
「あはは、ツリーの前ってことはわからないけどね」
「ほんと。だけどイルミネーションを見に来たってことは伝わるわよ」
私たちはそんなことを話しながら、いつまでも笑い合っていた。
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