29:独りにさせたくない

 いつも風紀委員長として校則違反を厳しく取り締まっている私が、放課後に寄り道などして良いのだろうか。……間違いなく良くはない。

 小春ちゃんは推しているVTuverのことを爛々とした表情で語っているが、二人で街中を歩いている所を他の生徒に見つかりはしないかと、隣を歩く私は内心ビクビクしていた。

 いや、そもそも厳密に言えば、桜葉高校の校則に「放課後に寄り道をしてはいけない」とは書かれていない。けれど生徒手帳の1ページ目には「桜葉高校の生徒として恥じない行動を」と、これでもかというくらい大きな文字で記載されているし……

 だけど放課後に友達とカフェに行くなんて人生で初めてのことで、この機会を逃したらもう二度とこんなチャンスは訪れないかもしれないし……!


「あ、ここだ。席開いてそうでよかったぁ。ここで大丈夫?」

 小春ちゃんに連れられてやって来たのは、見るからに女子に人気がありそうな外観のお洒落なカフェだった。

「え、ええ。大丈夫よ」

 寄り道は良くないとわかっていながら、反射的にそう答えていた。

「オッケー。じゃあ、入ろうか」

 小春ちゃんが青色のドアを開くと、ドアベルがカランコロンと軽やかな音を立てる。

 店内は思いの外広々としていて席数が多く、ぱっと見た感じでは私たちと同じ女子高生や若い女性のグループ、カップルなどで賑わっている。桜葉高校の制服を着た生徒がいないことに胸を撫で下ろした。

 

 席に着くなり、小春ちゃんは私にもよく見えるようにしてメニューを広げる。

「どれにしよっかな~。うーん……ケーキも捨てがたいし、パフェもアリだなぁ」

「そうね……」

 またしても反射的に答えてしまっていた!

 メニューに載っている華やかなケーキやパフェはどれも美味しそうで、女子高生の私たちからすると決して安いとは言い難いが、手が出せないほどの価格帯でもないことが嬉しい。

 二人で5分近く迷った末に、私は洋梨のタルトを、小春ちゃんは苺が乗ったパフェを注文した。


「ねえ、今日はどうして私を誘ってくれたの?」

 小春ちゃんは不思議そうな顔をしてこちらを見た。

「どうしてって……梓ちゃん、今日元気無さそうだったから。昨日何かあったんじゃないかと思って。晴見と」

 コップの水を飲んでいた私は、思わず吹き出しそうになって慌てて堪えた。

「ど、どうして今晴見くんの名前が出てくるの!?」

 小春ちゃんと放課後にカフェに行くことで頭が一杯だったから、少しの間晴見くんのことを忘れていられたのに……!

「だって、好きなんでしょ?晴見のこと」

 ……もしかして、小春ちゃんは他人の心を見抜く超能力を持っていたりするのだろうか。そんなバカなことを考えるくらい、私は動揺していた。

 何故……?何故バレている……?


 その時、注文していたタルトとパフェが届いた。

「わぁ!すっごい美味しそう!写真撮ろ!」

 小春ちゃんは楽しそうにスマホでパフェの写真を撮っているが、私の頭の中は目の前のタルトどころではなかった。

「あの……一つ聞きたいんだけど、どうして小春ちゃんがそれを……?」

「そんなの、一日一緒に居たら誰だってわかるよ!昨日イベントに行った時、梓ちゃん、ずっと晴見のこと見てたもん!」

 そのことに私自身が全く気付いていなかったことが恐ろしい。同時に顔が急速に熱くなり始め、クリームの濃密な甘みさえわからなくなりそうだった。


「あはは、梓ちゃん顔真っ赤!かっわいい!」

「……小春ちゃん、あまり揶揄わないでもらえるかしら」

「ごめんごめん。あんまり梓ちゃんが可愛いから……」

 可愛いと言われることに慣れていないから、どう返していいかわからなくて可愛くない反応をしてしまう。

 ふと、隣席の女性客たちの会話が耳に入った。

「あ、雨降ってる」

「ほんとだぁ、サイアク」

 ガラス窓の向こうへ視線を向けると、土砂降りというほどではないけれど、小雨でもないくらいの雨がしとしとと降っていた。あの日──晴見くんの傘に入れてもらって一緒に帰ったあの日以来、雨の日には自然と晴見くんのことが思い浮かぶ。……いや、私は天気など関係なく、いつも晴見くんのことを思っているのだけど。


「雨、結構降ってるね。すぐ止むといいんだけど……」

 小春ちゃんはそう言って、スマホで天気予報を確認し始めた。

 どうしてこの時、こんなことを話す気になったのかはわからない。けれど、私一人では受け止めきれない胸の痛みを、理解はしてもらわなくていいから誰かに聞いてほしいと思ったのかもしれない。

「あのね、小春ちゃん」

「んー?」

「私、昨日晴見くんに振られたの」

 スマホを操作していた小春ちゃんの細い指先が、表情が、二秒間くらい固まった。その直後、店中に響き渡るくらい大きな声で驚きの声を上げた。

「ええっ!?」

「ちょっ、声が大きい!」

「何それ……どういうこと!?晴見が梓ちゃんを振った……?はあ!?」

 小春ちゃんは信じられないとでも言いたげな表情で、大きな目と口をあんぐりと開けてテーブルに身を乗り出している。

「少し落ち着いて。別に大したことじゃないから」

「いや、大したことだと思うよ!?」

 小春ちゃんの反応が可笑しくて、自然と少し笑顔になる。

「ええ……ほんとにびっくりした。っていうか昨日私と別れた後、二人の間で一体何があったの!?」

 私は昨日のイベントの帰り、駅で小春ちゃんと別れてから私が晴見くんに告白するまでのことを掻い摘んで話した。もちろん、晴見くんが抱えている過去の出来事は除いて、だけれど。

 私が全てを話し終えると、小春ちゃんは深く考え込むような重い溜息を吐いた。


「そっか……告白したことない私が偉そうなこと言って申し訳ないんだけど、ほんとによく頑張ったね」

 よく頑張った、か……

 自分で言うのも何だけれど、私は勉強においてもスポーツにおいても人並み以上に努力をしてきたから、頑張りが報われなかったことはあまり無い。晴見くんの傍に居る為に、彼の恋人になる為にこれまで私なりに頑張ってきたつもりだ。だけどこの気持ちは叶わなかった。それが悔しくて、切ない。

 小春ちゃんに「頑張った」と言ってもらえたことで、慣れない恋愛に初めて全力で向き合った努力を認めてもらえたような気がして、少し泣きそうになった。


 私が頷くと、小春ちゃんはお姉さんっぽく微笑んだ。

「それに、私に話してくれたことが嬉しい。私、よく一緒に居るグループのメンバーの恋バナを聞いたり、たまには恋愛相談に乗ったりすることもあるよ。

 だけど言っちゃ悪いけど、『○○先輩がカッコいい』とか『〇〇と付き合いたいかも』みたいな話を沢山聞いてると、どれも本気じゃないように思えて、『どうせすぐ別の人が気になったりするんでしょ』なんて捻くれたことを思っちゃうの。私、性格悪いから。

 でも、晴見に対しての梓ちゃんの想いは違う。今聞いた話だけでも、梓ちゃんの気持ちが本気だってことが痛いほど伝わってきて、本当に晴見のことが好きなんだなって……そう思うと、なんだかちょっと私まで胸が痛いよ」


 私はこの言葉で、小春ちゃんが男女問わず人気な理由が少しわかった気がした。

 小春ちゃんはいつも明るくて、クラスでは抜けている発言をして場を沸かせたりすることもあるけれど、本当の彼女は理知的で物事の核を見抜ける人だと思った。

「ありがとう。小春ちゃんに話してよかった。なんだか少し、この気持ちが救われたような気がするもの」

 私が笑うと、小春ちゃんも笑った。

「大袈裟だなぁ。……実はね、私、晴見と中学が同じったんだ」

「え、そうだったの」

「うん。昨日のイベントの帰り、晴見が突然大声を上げたのを見て驚いたけど、心のどこかにはそんなに驚いていない自分もいた。

 何でかって言うと、中学の頃の晴見は今と変わらずクラスでも目立たないヤツではあったんだけど、時々噂になることがあったんだよね……『晴見がキレてヤンキーを返り討ちにした』とか、そんな話は割としょっちゅう。私は二年の時しか晴見と同じクラスにならなかったし、全然話もしなかったから詳しくは知らないけど。

 だから、晴見が昨日あんなことになったのを見て、『やっぱりあの噂って本当だったんだ』っていうか、『こういう一面がある人なんだ』って思ったよ。まあ、だからと言って晴見のことを嫌いになるとか、そんなことは全くないけどね」

 小春ちゃんは私を励ますような、小さな笑みを浮かべた。

「そう、だったの……」


 私とて、普段は穏やかな晴見くんの別な一面を知ったとして、それで彼のことを嫌いになったりなど絶対にしない。

 だけど、晴見くんの心と外界を隔てる壁はあまりにも厚くて、彼の力になることが難しいという現実がただ辛いのだ。


「こんなこと言うのは無責任かもしれないけど、私思うんだ。晴見は、梓ちゃんのことを傷付けない為に告白を断ったんだと思う。梓ちゃんが恋愛対象じゃないとか、ましてや好きじゃないとか、そんなことはないよ。きっと今は、恋愛に前向きになれない理由があるんじゃないかな」

 全く、小春ちゃんの洞察力には驚きを隠せない。心理カウンセラー、もしくは占い師にでもなれば人気が出るんじゃないかと思ったが、そんな話は今は置いておいて。


 そうだ。今はまだ難しいかもしれないけれど、明日は?明後日は?

 私の行動次第では、晴見くんの傍に居られる未来が訪れはしないだろうか。……なんて、ただ諦めたくないが為の、強引なポジティブ思考かもしれないけれど。

 たとえ恋人になれないとしても、私は晴見くんのことを放っておけない。

 晴見くんからしたら迷惑なだけかもしれないけれど、あんなに寂しそうな目で笑う人を独りにしたくない。

 今の私では晴見くんの傍に居られないなら、私自身がもっと変わるべきなのだ。

 

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