28:憂鬱な一日

 晴見くんが長い間一人で抱え続けてきた痛みを知って、大好きな人がとても辛そうにしているのに何も出来ない自分が不甲斐なくて仕方がない。

 その痛みを分け合うことができたら、なんて甘いことを少し前までは考えていたけれど、この年になるまで平穏な家庭で何一つ不自由なく暮らしてきた私には、彼の力になるどころかその痛みに共感してあげることさえできない。

 

『俺は君に相応しくない。だから……せっかく俺なんかを好きになってくれたのに、気持ちに応えられなくて申し訳ない』


 そう言った晴見くんの声や哀しそうな表情が頭の中に鮮明に焼き付いていて、思い出す度に目に涙が滲んでくる。

 私が想いを伝えたことは間違いだったのか?誰よりも優しくて誰よりも繊細な彼に罪悪感や責任を感じさせてはいないだろうか。


 その日は殆ど夕食が喉を通らなかった。晴見くんのことばかり頭に浮かんで、思い出しては泣きそうになっての繰り返しだ。

「……ごちそうさま」

「えっ、お姉ちゃん、もういいの?」

「うん。お腹いっぱいだから」

「なあに?ダイエットでもしてるの?そんなに細いのにぃ」

「してないよ。お腹いっぱいなだけだから」

 母や弟の葵に心配をかけたくはないけれど、どうしても声が暗くなってしまう。どうしてかまともに目を合わすことさえ出来なくて、自分の部屋の扉を閉めると同時に私はベッドに飛び込んだ。

 うつ伏せになって枕に顔を埋め、声の限り叫んだ。


「あああああああああああ!!!!!!」


 晴見くんの家を後にしてから今まで、目に涙が滲むことはあっても絶対に泣かないようにしていたのに、堰き止められていた涙が洪水のように溢れ出した。

 私は失恋したんだ。

 晴見くんは私を傷付けないように、慎重に言葉を選んで私の気持ちに応じられない理由を話してくれた。その優しさが余計に痛い。

 なんで勢いに任せてあんなことを言ったんだろう。晴見くんを困らせるだけだとわかっていたのに。今日ほど自分をばかだと思ったことはない。

 明日からどんな顔をして学校で彼に会えばいいんだろう。もう、今まで通り話したりできない。昼休みに中庭に行く晴見くんを追いかけて行ったり、雨の日に一緒に帰ったり、VTuberのイベントに行ったりすることもできないんだ。

 そんな学校生活、一体なにが楽しいっていうの。今まではずっとそうだったはずなのに、その時のことがもう思い出せない。



◇◆◇



 翌朝、洗面所で顔を洗った後、鏡に映る自分の顔を見て私は溜息を吐いた。

 昨晩泣き過ぎた所為か両眼はパンパンに腫れ上がり、蜂にでも刺されたかのような酷い有様だった。おまけにほとんど一睡もすることができず、目の下には青黒いクマがくっきりと浮かび上がっている。

 欲を言うと今日は学校を休みたかったけれど、こんなこと──失恋ごときで皆勤賞を逃すわけにはいかない。


 気を強く持ち、家を出たはいいものの、学校に近付くほどに憂鬱の波が押し寄せてくる。

 晴見くんに会ったらどんな顔をすればいいんだろう。晴見くんにとっても今まで通り友達として接することが良いのだとわかっているけれど、少なくとも今は、とてもじゃないが普通に会話などできそうにない。


 やっぱり今日は休もうかな……

 学校へ向かう途中にそんなことを何度も考えたけれど、結局私は重い足取りで教室まで来てしまった。

 晴見くんはまだ来ていないようだ。


「梓ちゃん、おはよ!」

「小春ちゃん、おはよう」

 小春ちゃんは私の耳元に口を近付け、小声で言った。

「昨日、大丈夫だった?晴見のヤツ、まだ来てないし……」

 私たちの視線は自然と晴見くんの席に注がれた。

「ええ……たぶん、大丈夫じゃないかしら。昨日のことに関しては、そっとしておいてあげた方が良いと思うわ」

「だよね……てか、梓ちゃんこそ大丈夫?すごいクマだよ?それに、目も腫れてるみたいだし……何かあった?」

「私は大丈夫。少し寝不足なだけだから」

 心配をかけたくなくて無理に微笑んでみせたが、小春ちゃんは更に心配そうな顔になった。

「ほんとに?」


 その時、教室のドアが開き、晴見くんが現れた。

「あっ、晴見!」

 晴見くんが席に着くなり、小春ちゃんは彼の下へと駆け寄っていく。私は自分の席から二人の様子を横目で伺っていた。

「晴見、昨日はごめんね」

「ん?……ああ、いいってあんなの。名取さんが気にすることじゃないよ」

「うぅ、そう言ってもらえると有難いけど……」


 どうしてか私は二人の様子を──正確には晴見くんのことを見ていられなくて視線を逸らした。カバンから教科書やノートを取り出し、一時間目の授業の用意で忙しそうなふりをした。

「ねえ、梓ちゃん?また一緒にイベント行こ……」

 そう言った小春ちゃんの声は聞こえていたのに、どうしてかすぐに意味を理解することができなかった。

「……え?あ、ええ……そうね……」

 小春ちゃんは晴見くんの席の側にいる。今、小春ちゃんを見るということは晴見くんをも視界に入れるということだ。臆病な私はこれ以上自分の心が乱されるのを恐れて、机の上の教科書に話しかけるように小さく答えた。



◇◆◇



 その日は結局一度も晴見くんと言葉を交わさなかった。それどころか、彼を極力視界に入れないようにして、絶対に目が合わないようにした。

 終礼が終わり、晴見くんと接することなく一日を終えられたことに安堵しながら席を立とうとした時、小春ちゃんが私の席までやって来て言った。

「梓ちゃん!今日、一緒に帰らない?」

「えっ?え、ええ……いいけど……」

「やったぁ!」

 突然の誘いに驚いたが、驚いたのは私一人ではなかったらしい。教室内の至る所から私たちを見てヒソヒソと会話を交わす声が聞こえた。

「名取さん、氷結とあんな仲良かったっけ……?」

「小春、最近氷結と仲良さげだよね……なんか企んでんのかな……」

 全く、思うことがあるなら面と向かって堂々と言えばいいものを。

 小春ちゃんは外野の会話など気にもしていない様子だ。

「よし!じゃあ行こう!あ、学校の近くに最近できたカフェがあるんだけど……」

「あまり寄り道は……」

「まあまあ!良いじゃん!」


 無邪気に笑う小春ちゃんと一緒に居ると、こちらまで自然と明るい気持ちになる。

 晴見くんも小春ちゃんのような可愛くて明るい女の子を好きになるのだろうか。

 こんな暗いことを考えてしまう自分が嫌で仕方がない。

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