26:力になりたい

 晴見くんの家を訪れたのは今回が二度目だ。前に来たのはおよそ一カ月ほど前、大雨の日に晴見くんの傘に入れてもらって一緒に帰った時だ。考えてみれば凄いことだ。それに、思い出しただけで顔が火照ってしまうような、とんでもなく恥ずかしいことでもある。

 VTuber、真白すふれとそのリスナーとしての会話を除けば、晴見くんとよく話すようになってからまだ数カ月しか経っていないのに、私たちは急速に距離を縮め過ぎたように感じる。それは嬉しいことだけど、同時に自分が晴見くんにとって特別な存在なのではないかと錯覚してしまいそうになる。


 今日も家の中には晴見くんと私以外に誰もいないようだ。玄関を上がってすぐの所にある階段を上り、晴見くんの後に続いて彼の部屋へと向かう。

 アニメのキャラクターやVTuberのグッズが沢山置いてあるあの部屋へ招かれることは初めてではないし、ましてや私は今日ここに来ることを心のどこかで望んでいたのに、それにも関わらず、心臓は破裂してしまいそうなほどに大きな音を立てている。

 晴見くんに他意が無いこともわかっているのに。

 だけど、「他意が無い」とは?

 つい先ほど別人のような彼の一面を見たばかりだというのに、「他意が無い」だなんてどうして言い切れるんだろう。どうして私は晴見くんのことを信じずにはいられなくて、もし彼に騙されるようなことがあったとしたら、それならそれでいいと思えるんだろう。


 室内の明かりが点いた瞬間、タペストリーにプリントされた少女の姿やフィギュアの表情が照らし出された。

「座ってて。お茶淹れてくるから」

「えっ、私も手伝うわ」

「いいよ。ちょっと待ってて」

 晴見くんはへらりと笑って、部屋を出て一階へと続く階段を下りていく。

 いつもの晴見くん、だけど少し元気が無いように見える。


 3分もしないうちに晴見くんは部屋に戻ってきた。

「お待たせ」

「あ、ありがとう」

 晴見くんは私の隣に腰を下ろした。途端に緊張して何を言えばいいのかわからなくなって、ガラス製のローテーブルに花柄のコースター、定食屋さんで見かけるような透明なコップに入ったお茶を見るともなく眺めていた。


「今日は楽しかったね」

 はっと我に返って晴見くんの方を見ると、そこには穏やかないつもの彼の微笑があった。

「え、ええ。すごく。小春ちゃんも楽しんでくれたみたい」

「あはは、そうだね。それにしても意外だったなぁ。氷見谷さん、名取さんと仲良かったんだね」

「小春ちゃんと仲良くなったのは、本当につい最近なの。たまたま小春ちゃんもVTuberが好きだって知って……」

「へえ、そうなんだ」

 どうしよう。いつまで経っても心臓の音が治まらない。なにか話していないと隣にいる晴見くんに聞こえてしまいそうなのに、意識すると言葉が浮かんでこなくなる。


「氷見谷さん、俺になにか話したいことがあるんじゃないの?」

「えっ!?」

 思わず大きな声が出た。そんな私を見て笑っている晴見くんは、同い年なのに年上の男の人みたいに見える。

「なにか悩み事?俺でよければ話を聞くくらいはできるよ。力になれるかは別として」


 晴見くん、それは私の台詞だよ。力になれるかはわからないけれど、私はあなたの為なら出来る限りのことはするつもりだ。だから──

「……晴見くん。私、晴見くんのことをもっと知りたい。今日、イベント会場から帰る途中までの晴見くんは……その、心ここにあらずって感じだった。余計なお世話かもしれないけど、私、晴見くんのことが心配で……力になりたいの」

 勢いに任せて言ってしまった。握りしめた両手の中は汗でびっしょりと湿っている。そして僅かに震えていた。

 晴見くんがなにかを言うまでは、怖くて視線を上げることができない。


「ありがとう、氷見谷さん」

 顔を上げた私は、彼の顔を見た瞬間にはっとした。その目があまりにも痛々しくて、今にも光が消えてしまいそうに見えたから。

「心配かけてごめん。ちょっと、昔の嫌なことを思い出しちゃって。情けないよね」

 晴見くんはそう言って頭を掻きながら笑った。辛いときに無理をして笑う人の姿はこれまでに何度も見てきたけれど、今の晴見くん以上に苦しそうな笑顔を見たことはない。


「……な、情けなくなんかない!晴見くんは素敵な人よ!いつもは優しくてヘラヘラしてる癖にいざという時には勇敢で頼りになる人なんだなってわかったもの!」

「いや、そんなことないと思うけど……ありがとうって言っておくね。ちょっとディスられてもいたような気がするけど……」

 どうしてこの人は自分の価値を認めたがらないんだろう。あなたが自分の価値をそんなに低く見積もっていたら、あなたのことが大好きな私が馬鹿みたいじゃない。

 どうしたら、何を言えば晴見くんに晴見くん自身の魅力を伝えることができるのだろう。昔あった辛い経験や心の奥に抱く闇を共有してもらうには、彼にとっての特別な存在になるには、私は一体なにをすればいいのだろう。


「晴見くんはもっと自分の良いところを認めた方がいいわ!謙虚なところも良いところの一つだけど、謙虚過ぎるのは勿体ないことなの!」

「あ、あの、氷見谷さん?急にどうしちゃったの?そんなに褒めてもなにも出ないよ?……あ!さては何か企んでるな!何が目的だ!」

 晴見くんはそう言って笑いながら、威嚇するようなポーズを取ってみせる。

「目的なんてない!」

 自分で言っておきながら、「本当に?」と自分自身を疑った。どこまでも謙虚な晴見くんと違い、私は自分が思っている以上にしたたかな女だ。


「え、そうなの?それじゃあ狙いは何だ!」

 晴見くんはボクサーように両手を前で構えてみせる。私は勢い任せに彼の骨張った手を掴んだ。

「晴見くんが好きなの!」


 ぽかんとした顔の晴見くん。私の言った言葉の意味がそのまま伝わっているのかどうか怪しい。

 かと思えば、彼の顔から耳の先までみるみるうちに赤く染まっていく。

「……え!?」

「い、一回しか言わないわよ!同じことは!それと私の狙いは、晴見くんと交際することよ!」

 後々になって考えてみれば、よくもまあこんなにも恥ずかしい台詞を堂々と言ってのけたものだと、この時の自分を尊敬する。それと同時に記憶から消し去りたい。


 顔を真っ赤にした晴見くんが、「コイツ、正気か?」とでも言いたげな目で私を見ている。



 

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