24:私の好きな人

 その後、私たちは知っているVTuberも知らないVTuberも関係なく、グッズ売り場を三人で順番に見て回り、目当てのものや気に入ったものがあれば購入した。私は好きなVTuberのイラストがプリントされたノートやボールペン、コースターなどを買った。

 昼食は屋台で販売されていたラーメンやたこ焼きなどを買って、屋内の飲食スペースで食べた。小春ちゃんは『すーちゃん』がイメージのクリームソーダも飲み、写真を撮って即座にSNSにアップしていた。

 他にも、会場内で開催されていた声優さんのライブを見に行ったり、コスプレイヤーさんの撮影会を覗いてみたりもした。


 楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。七月なのでまだ明るいが、時刻は夕方の十六時を迎えた。イベントの終了時刻は十七時だが、午前中から来て十分すぎるほどイベントを堪能した私たちは少し早めに電車で帰ることになった。


「今日、ほんとに楽しかったねー!予定してたよりお金は使っちゃったけど、欲しいもの変えたから満足!」

 小春ちゃんは購入したグッズが入った袋を掲げ、幸せそうに笑う。

「ふふ、そうね。本当に楽しかった」

「晴見も楽しかったでしょ?」

 小春ちゃんにそう聞かれて、晴見くんは小さく微笑みながら頷いた。

「うん、すごく楽しかったよ。二人とも、今日はありがとう」

 今朝、イベント会場へ向かう私たちの間に漂っていた微妙な空気は全く感じられなくなっていた。自意識過剰かもしれないけれど、まるで何度も一緒に遊んだことのある友達同士のような、そんな風に感じられることがすごく嬉しい。

 今日という日の余韻に早くも浸りながら、楽しい一日が終わってしまうことを寂しく思う。


 その時だった。

 前から歩いてきた男と、小春ちゃんの肩が当たったのは。


「すっ、すいませ……」

「チッ、いってえ。なんなんらよ」

 その男は金髪の刈り上げで、耳には無数のピアスをつけており、校則違反の要素を詰め込んだかのような風貌をしていた。小柄だが体格はよく、こちらを睨みつける目つきには妙な迫力がある。

 だが、顔が異様に赤く呂律もうまく回っていないので、恐らくだがかなりの酒を飲んだ後のように見受けられる。

 男の横には連れと思しき男がもう一人いて、人相は穏やかだが、白いTシャツからは日焼けした太い腕が伸びていた。


「ってかアンタ、よく見たらめっちゃ可愛いな。一緒に飲みに行こうぜ。お兄さん奢ってあげるから」

「ちょっと、ムリです……やめてください」

「えー、いいじゃん。一軒だけ」


 小春ちゃんに触れようとした男の手を、私は力任せに掴んで捻った。

「いてててててて、なにすんだよ!」

「やめてください」

 私は男の手を掴んだままきっぱりと言い放ったが、心臓はひどく大きな音を立てていた。

「やめてくださいはこっちの台詞だっての!……つか、こっちの子も美人じゃん。なあ、お前どっちがいい?」

「うーん……そうだなぁ……」

 白いTシャツの男がにやにやとした目で私と小春ちゃんを交互に見る。

 周囲を行き交う人々が、興味深そうな目で私たちを見て通り過ぎていく。


 その時、それまで何も言わなかった晴見くんが私たちの前に進み出た。

「あの、僕のクラスメイトの肩が当たってしまったようで、すみませんでした」

「あ?なんだてめえ。てかクラスメイトって……お前も可愛いな」

「いや、ソイツ男だろ」

「氷見谷さん、その人の手を離して」

「え?え、ええ……」

 晴見くんの語気がいつになく強く感じられたので、私は言われるがまま、無意識のうちに手を離していた。

 金髪の男は捻られた手を反対の手で抑え、わざとらしく痛そうな顔をしてみせる。


「いってえ~。怪力女。あーこれ骨折してるかも。病院代。病院代出せよこら」

 ……怪力女?さりげなく侮辱されたような気がするが、まあそれは今は置いておこう。

「はい?何故こちらがあなたの病院代を負担しなくてはいけないのでしょう?それに、彼女のか細い腕ではとてもじゃないですが、人の骨を折ることなんてできませんよ」

 そうだそうだ!と、私は心の中で激しく頷いた。私の背中に隠れるようにして、小春ちゃんはおろおろとしている。


「なんだてめえ、マジで喧嘩売ってんのか」

「おい、やめとけって。お前酔ってんだよ」

 白Tの男は理性があるようで、金髪の男を諫めた。が、金髪はより一層激しく吠え立てる。

「うるせえうっせえ酔ってねえし!じゃあせめて土下座しろや。あ、上の服脱いでな」

 金髪の男はそう言って、ジーンズの尻ポケットから液晶がバキバキに割れたスマホを取り出した。

 周囲には人が集まり、なんだなんだと言って私たちの方を面白そうに見ている。


「ち、ちょっと!いい加減に……!」

 私が止めに入ろうとしたその時だ。

 スマホを握る男の手を晴見くんが掴んだと思った次の瞬間、男の手は晴見くんによって背部で捻られ、晴見くんの足はほとんど動かぬ状態のまま、男だけが地面に組み伏せられていた。

 その場は時が止まったかのように、シンと静まり返った。

 ピンポンパンポーン、という軽快な音声が響く。


『本日は、ご来場いただきまして、誠にありがとうございました。当イベントは、午後五時をもちまして、終了となります。尚、ペットボトル、空き缶等のゴミは……』


 男の腕を捩じる手を決して緩めようとはせず、ピアスだらけの赤らんだ耳に晴見くんは口元を近付ける。

 恐らく、周囲の野次馬には聞こえなかっただろうけど、私には彼の言ったことがはっきりと聞こえた。


「殺すぞ」


 晴見くんが男の腕を解放した瞬間、金髪の男は白Tシャツの男と共に逃げるようにその場を去っていった。

「おー」という声と共に周囲からぱらぱらとした拍手が起こり、次第に人の数も減っていく。

 晴見くんが放った言葉が頭の中から離れない。あれは本当に、彼が言ったのだろうか……?

 自分が言われたわけではないのに、寧ろ晴見くんは私と小春ちゃんを守ってくれたのに、彼のその言葉を思い出すと身が竦む。


「晴見ー、ごめんね。私の所為で……ありがとう……!」

「晴見くん、大丈夫?怪我とかしてな──」


「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 その叫び声が晴見くんの口から発せられたものだとは、すぐには理解できなかった。

「あああああああ!!!!あああああああ、あ、ああああ……」

 両手で頭を抱え、力無くその場に屈み込んでいく晴見くん。

 私はただ呆気にとられ、何が起きているのかさえわからぬままに晴見くんの黒い髪を見ていた。


 この時の私は晴見くんの表面的な部分に恋をしていただけで、彼がどんな人生を歩み、どんな人間であるのかを、なにも知らなかったのだ。

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