22:ツンデレのテンプレート

 ベッドに入る時間はほとんど変わっていないはずなのに、最近はどうもぐっすり眠れた気がしない。きっと、晴見くんの顔が思い浮かんで悶々とさせられる所為だ。寝る時くらい、うるさい思考をシャットダウンできればいいのにと思う。


 インターネットで色々と調べた結果、男子という生き物は基本的に連絡を取り合うことが嫌いで、返信は遅いことが多いらしい。(もちろん、例外はあるだろうけれど)『だから催促したりせず、気にせずに連絡を待ちましょう』というようなことがどのサイトにも書かれていた。

『気にせずに』って……それが一番難しいんじゃない。


 一晩経っても、私が悩みに悩んだ末に送った渾身のお誘いメッセージには既読すら付いていない。

 朝、教室で晴見くんを見かけたら真っ先に彼のところまで行って、どうして無視するのか問いただしてやろうと思っていた。

 けれど、晴見くんは登校してくるのが一時間目にギリギリ間に合うくらいの時間だし、きっと今日もそうなのだろう。

 彼の姿のない窓際の席を、風に舞った白いカーテンが覆い隠す。私は頬杖をついて、晴見くんが教室にやって来るのを待っていた。


「あっずさちゃん!おはよ!」

 背後から突然両肩をたたかれて、驚きと同時に心臓が浮き上がるような感覚がした。振り返ると、満面の笑みを浮かべた小春ちゃんが立っていた。

「お、おはよう……あの、できれば背後からやって来るのはやめてもらえるかしら……心臓に負担がかかるから……」

「ごめんねっ。っていうかさ、昨日ありがとね!イベントも超楽しみ!」

 短いスカートでぴょんぴょん飛び跳ねる小春ちゃんを見ていると、なんだか微笑ましいような、そんな気持ちがした。

「ええ。こちらこそ、誘ってくれてありがとう。私も楽しみにしてる」

「うん!それじゃね!」

「あ、スカート丈は直してって……」

「はーい!わかってるわかってる!」

 小春ちゃんはスキップでもするかのような足取りで、彼女がいつも一緒にいる派手な女子たちのもとへ戻っていった。

「小春、氷見谷さんと何話してたの?」

「べつにっ。昨日一緒に帰って、仲良くなったんだよ」

「ええっ!?氷結と!?アンタ何したの!?」

 そんなやり取りが小さく聞こえた。


 その時、背後で教室のドアが開く音がした。それと同時に、一時間目の開始を知らせるチャイムが鳴った。

 私が振り返っても、晴見くんはこちらを一切見ようとはせずに自分の席へ真っ直ぐに向かっていく。席に着く。カバンを机の横に掛ける。有線のイヤホンを外す。一時間目の授業である古典の教科書を机に出し、かと思えば机に突っ伏す。

 ……何故だろう。返信を返してくれなくて腹が立っていたはずなのに、晴見くんの姿を見たらそれさえも些細なことのように思えてきて、なんだか少し可笑しくなる。


 ……と、一時間目──いや、三時間目くらいまでは思っていたけれど、やっぱり返信を返さないのはいけない。そりゃあ、『晴見くん、ヤッホー』とか、そんなどうでもいいような内容なら返さないのもわかるわよ。

 だけど、私が送ったのは一時間以上も悩んだ末に捧げた渾身のメッセージなのだ。(自分でも少し重いと思ったけれど!)


 昼休み。晴見くんは鞄の中からコンビニの袋を取り出し、それを持って教室を出て行った。すかさず後を追う。きっといつものように中庭へ行くのだろう。

 彼に声をかけて一緒に行けばいいのに、そうしたくても何故かできなかった。何と声をかければいいかわからないから。

 風紀委員の教室の前を通り過ぎ、晴見くんはいつものベンチに腰掛けると、ビニール袋から総菜パンを取り出して食べ始めた。

 

 彼の前に出て行って声をかければいいのに……

 かければいいのに……

 どうしてか校舎の物陰に隠れたまま、最初の一歩が踏み出せない。

 こんな状況を前にも経験したような気がする。

 ……そうだ。あの日、私は……

 思い出して顔が熱くなるのを感じた。


 私は一体なにをやっているのだろう。自分でもバカだと思う。

 神様、私に勇気をください。一歩踏み出す勇気を──


 その時、校舎の柱を掴んでいた私の手の近くで、なにか茶色っぽいものが動く気配がした。つぶらな目にぬらっとしたフォルムで、幸福を呼ぶとか言われているアイツだ。

 だけど、幸福を呼ぶとか関係ない。私は爬虫類全般が苦手だ。

「きゃあっ!?」

 思わず高い声が出て、柱から飛び退いてしまった。

 顔を上げた晴見くんと、ばっちりと目が合う。


「ひ、氷見谷さん?どうしたの、そんな所で」

 晴見くんのヤツ、きっと今日だって私がいたことに気付いていたに違いない。それでいてすっとぼけた顔をしているのだから、余計に自分が恥ずかしくなる。

「や……ヤモリが、いたの……」

「ヤモリ?へえ、珍しいね。良いことあるんじゃない?」

 晴見くんはそう言って笑った。

 彼の笑顔にドキドキしている自分を窘め、返信を返してもらっていないことを思い出す。


「もしかして、氷見谷さんもここでお昼取りに来たの?」

「へっ?い、いや……私は……」

 晴見くんを追いかけて来た、なんて言えない。それをわざと言わせようとしているのだとしたら、私は彼に一生勝てないような気がする。

「よかったらここで一緒に食べる?ここ、良いよね。静かだし」

 そう言って微笑む顔を見て、私は即座に考えを改める。やっぱりこれは、何も考えていない顔だ……


「それじゃあ、ご一緒させてもらうわね……」

 なんだろう。晴見くんの隣にいられて嬉しいはずなのに、ちょっと泣きたい。

「氷見谷さん、いつもお弁当なんだね。お母さん?」

「え?これは自分で作ってきてるわよ」

「え!?すご……なんか尊敬する」

「お、お弁当くらいで尊敬されても!嬉しくなんか……」

 ないことはないけど……なんなら晴見くんに作ってきてあげてもいいんだけど……

 なんて、そんなツンデレのテンプレートみたいな台詞言えるわけがない!


「そ、そうだ!晴見くん!昨日私が送ったチャット無視したでしょ!」

 思い切ってそう切り出すと、晴見くんは何のことだかわからない様子で、ひどく驚いた顔をした。

「えっ、チャット?」

「そう!」

「え……そんなの届いて……って、もしかしてあのチャット、氷見谷さんからだったの!?」

 晴見くんは慌ててスマホを操作し始めた。チャットアプリの画面を開き、地面に向かって深い溜息を吐いたと思えば、急に笑い出した。

「……っ、ははっ。あははは……可笑しい」

「な、なにが可笑しいのよ!私、返事待ってたのに……」

「だってさ、氷見谷さん、アイコンに何も設定してないし。名前を『あずさ』って、下の名前だけにしてるし。なんかの勧誘かと思っちゃったんだよ」

「か、かん、ゆう……?」

 まさかの勧誘だと思われてた……!それに、下の名前覚えられてなかった……!

 晴見くんは、私が送ったメッセージを真剣な目で見ていた。スマホを片手で素早く操作し始めたと思ったら、私のスマホに通知が来た。

『ぜひ行きましょう』──と。


 嬉しくて言葉が出ない。全身が熱でもあるかのように熱くてたまらなくて、この熱が晴見くんに伝わってしまわないか不安だ。

「あ、氷見谷さんのチャット、追加させてもらったよ」

「え、ええ」

「氷見谷さん、梓さんっていうんだ」

「そうだけど……それがなにか?」

 私って愚か過ぎる。国語の点数は良い方なのに、なんでこんなにも可愛げのないワードチョイスをしてしまうのだろう。私の場合は国語の文法などよりもモテる会話講座みたいなのを学んだ方がいいのでは?と本気で思った。

「いや、なんか氷見谷さんっぽくて綺麗な名前だなと思って……って、これは別に純粋にそう思っただけで……口説き文句とかじゃないんだけど……」

 赤くなった晴見くんが可愛くて、なんだか少し可笑しかった。

 昼休みが終わってほしくなかった。

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