19 : 彼女になりたい
放課後、私はなぜか家とは反対方向へ向かう電車に揺られている……名取さんと。
まだ16時前とはいえ車内はそれなりに混んでいて、スポーツバッグを背負った男子高校生の一団や、OLと思しき女性たちの話し声などで騒がしい。
「氷見谷さんってさ、放課後遊びに行くこととかあるの?」
鳶色の大きな目がそう言って私を見る。電車のドアに
「ないわよ」
私は端的にそう答えた。
名取さんは面白くなさそうな顔をして、冷めた視線をドアの向こうの景色へ移した。
「……ふうん。まあ、そうだよね」
それ以降はやや気まずい沈黙が続いた。私なりに彼女が食いつきそうな話題を脳内で検索してみたけれど、全く思い浮かばなかった。
まあ、無理もないか。私と名取さんとでは、共通していることなど何も無いのだから。
私は名取さんのことをよく知らないけれど、彼女はきっとメイクやファッションが好きだ。それは名取さんの洗練された容姿を見れば誰にでもわかる。
普段の放課後は、SNSでよく見る謎のダンス(?)を友達と撮ったりしているのだろう。
一方で私が好きなものは……読書、勉強、Vtuber、それから──晴見くん。
名取さんは不気味なものでも見るような視線を私に向けた。
「……ちょっと、どうしたの?急に真っ赤になっちゃって」
「べ、べつに……なんでもないわ」
晴見くんのことを考えるだけで体温が上昇するなんて。ただでさえ暑いのに、今年の夏、私は溶けてしまうんじゃないか。
電車を降りると、ホーム内はどこを見回しても人、人、人。名取さんの姿を見失わないよう、懸命に彼女の隣について歩く。
名取さんは迷宮のように入り組んだ駅構内を、人を避けながら可憐な熱帯魚のようにすいすいと進んでいく。普段あまり来ることのない場所だから、名取さんと一緒でなければ私は確実に迷子になっていた。
エスカレーターで地上階へ上がってすぐの所にあるショッピングセンターの中へ入るまで、私たちはほとんど会話を交わさなかった。……いや、正確に言うと名取さんが気を遣ってか時折話しかけてくれるのだけど、私が返事に迷って端的な答えしか返さないから会話が続かないのだ。
配信内であれば話したいことは尽きないのに、生身の人間を前にすると、どうしていつも話せなくなってしまうのだろう。
ショッピングセンターの入口を入ってすぐの所にコスメ売り場があった。芸術作品のように美しく陳列されたリップや宝石のようなアイシャドウなど、目を惹かれるものは沢山あるけれど、自分には似合わないのではないかと思ってしまう。
それこそ名取さんなら、どんなものでも似合うのだろうけど。
「そういえばさ、なんで氷見谷さんは可愛くなりたいって思ったの?」
「えっ!?」
唐突にそんなことを聞かれて、思わず大きな声が出た。しかし、聞いた本人は私の返事をそこまで期待していないのか、コスメを手に取ってじっくりと眺めている。
なんで可愛くなりたいか……答えはわかりきっているけれど、晴見くんが好きだということを名取さんに正直に告げるわけにはいかない。
「ええっと……それは……」
「わかった。好きな人がいるんでしょ?もしかして、もう付き合ってたり?」
そう言って笑う名取さんの笑みは、どこか晴見くんに似ているような気がした。二人の顔立ちは全く似ていないのだけど、優しく揶揄うようなその笑い方がなんとなく似ている。
「ち……!」
違うと言おうとしてやめた。いっそ正直に認めた方が潔い。
「ち、がわない、けど……けど!付き合ったりとかは!まだしてないから!!」
そう言った声は上ずって、騒がしい売り場内でも思いの外大きく響いた。何名かの女性客や綺麗な店員さんが不思議そうな顔でこちらを見る。
名取さんは堪え切れなかったのか吹き出して、可笑しそうに笑った。教室でたまに見る笑顔も愛らしいけど、こうして思いっ切り笑う方が名取さんには似合っているような気がした。
「あはっ、あははは……っ、可笑しい。まだって……それじゃあこれから付き合うつもりなんだ?」
私が晴見くんと話をするようになってから、まだ二カ月も経っていない。それなのに彼のことがこんなにも好きで「付き合いたい」と思うのって、おかしいのだろうか。
……いや、おかしくてもいい。晴見くんの彼女になれるなら、私はどんなことでもする。
「ええ、そのつもりよ。だからお願い、名取さんに協力してほしいの」
少し前の私なら、絶対にこんなこと言わない──言えなかった。他人になにかをしてほしいとお願いすることが大の苦手で、それなら自分一人で解決した方が早いと思っていたから。
でも、
中学時代、クラスの女子の間で流行っていた恋に効くおまじないなんかじゃなく、私はもっと確実な方法で晴見くんの恋人になりたい。
少しの間があり、名取さんが言った。
「……私、苗字で呼ばれるのそんなに好きじゃないから、
「え?ええ……わかったわ」
学校ではずっと「名取さん」と呼んできたのに、どうして今更彼女がそんなことを言うのかわからなかった。
「ねえ、バズってたヤツで梓ちゃんに似合いそうなのあったから、ちょっとこっち来て!」
名取さん──改め小春ちゃんは華奢な白い手で私の手を取ると、目当ての商品の元までぐいぐいと引っ張っていった。
名取さんのことを小春ちゃんと呼ぶのはなんだか変な感じがするし、放課後に制服でコスメを見るのも初めての経験だけど……悪くない、それどろかかなり嬉しかった。
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