18 : 可愛い人

 幼い頃から人一倍規範意識が高かった私は、ルールを守っていない人を見かけた時はいつも本人に直すようにと伝えてきた。もしかしたら、本人にはルール違反をしている自覚は無いのかもしれないし、小さなルール違反をすることが当たり前になってしまったら、本人の為にも良くないと思うから。


 相手を困らせたいとか、先生に怒られてほしいとか、私自身の個人的な感情でルール違反を注意したことは一度もない。

 けれど、私から注意を受けた側はそれを良く思わない人が大半だ。


『まーた梓ちゃんに怒られちゃったよ』

『真面目だよねぇ』

『真面目っていうか……ちょっとめんどくさくない?』


『昨日、授業中にスマホ触ってたら氷結に注意されてさ。おかげで没収されたわ。マジだりー』

『うわっ、カワイソ。氷結、ウザいよなぁ。点数稼ぎお疲れ様でーすって感じ?』

『っていうか言い方とかもキツくない?この前マジでムカついたんだけど!』


 そんな悪口には慣れっこだ。

 友達だって昔から少なかったし、仲良くなっても次第に離れていく人がほとんどだった。だけど、引き留めたいと思う人もいなかった。

 誰かの為に『私』という軸を曲げるなんて絶対に嫌。正しいのは私で、間違っているのはあなたたち。故に変わるべきは私ではなく、あなたたちの方だ。

 ……と、そう思って生きてきたけれど、周囲に味方と呼べる人がほとんどいない状態が続くと心が疲弊してくる。


 だから私は『真白すふれ』を、仮想空間バーチャルで新たな自分を作り上げた。氷見谷梓が絶対に言わないような言葉も、絶対に言われないような言葉も、この場所でなら思う存分に楽しめる。

 現実リアルを生きる私が自分を変える為に努力する必要なんてない。


 ずっとそう思っていたのに……

 私は晴見くんに好かれたくて、それだけの為にあっさりと自分の軸を曲げてしまった。

 女の子らしくなりたいと思ったはいいものの、その為にどうしたらいいのかもわからない。風紀委員の仕事は疎かにしたくない。だけど晴見くんには『怖い』とか『めんどくさい』とか、絶対に思ってほしくない。

 私は一体、どうすれば……


 そんなことを考えながら校内を歩いていると、同じクラスの名取なとりさんを見かけた。

 あ!前も注意したのにまたスカート短くしてる!パンツ見えそうじゃない!危機管理意識というものが彼女には無いのかしら!?


 名取さんは他クラスの教室の前で男子生徒に手を振って、その場を後にしようとしていた。あの男子は名取さんの彼氏だろうか。まあ、どうでもいいんだけど。

 名取さんが一人になったタイミングで、私は背後から声をかけた。


「名取さん!」

 振り返った名取さんは、先ほど私が校則違反を注意した松田くんたちと同じ表情をした。

「げっ、氷結……じゃない、氷見谷さん。どうしたのー?」

 そう言った名取さんの笑みは明らかに引き攣っていた。

「スカート丈。前にも言ったでしょ?直してくるって言ってなかった?」

「え、え~?そんなこと言ったっけな……?」

「こんなにスカートを短くして歩いてたら、色々と危ないわよ。この前も駅前で盗撮魔がいたみたいだし、それに……」

「あーわかった!わかりましたから!ほんと、危ないよね!ありがとう心配してくれて!明日は絶対直してくる!」


 名取さんはそう言うと、顔の前でぱちんと両掌を合わせた。その様子がなんだか可愛らしくて、これ以上注意する気もなくなった。

「それじゃ、私はこれで……」

「待って!」

 そそくさと私の前から立ち去ろうとする名取さんを、私は慌てて引き留めた。

「ま、まだ何か……?」

 改めて名取さんの顔を見てみると、本当に整った愛らしい顔立ちをしている。ぱっちりとした鳶色の瞳に長い睫毛。生まれつき色素が薄いのか、肩までの長さの髪も柔らかそうな栗色で緩やかにウェーブしている。

 身長は160センチ前後と私よりも少し高いが、彼女が発するお人形さんのような儚げなオーラの所為か、同性までもが『守ってあげたい』と思うような雰囲気がある。


 私があまりにもじっと見過ぎた所為か、名取さんは露骨に嫌そうな顔をした。

「あの……なに?」

「どうしたら……」

「は?」

「どうしたら、あなたみたいに可愛くなれるの……?」

 一瞬、名取さんの目が点になったかのように見えた。

 無意識のうちに思ったことをそのまま口に出してしまっていた。私は何を言っているの!?


「なっ、何でもないの!ごめんなさい気にしないで。別に女の子らしくなりたいなんて思ってないから。そもそも私が名取さんみたいになるなんて有り得ないし……名取さんと私じゃ持って生まれたものが違うし……そういうわけだから、ごめんなさい。ほんとに何でもないから!あ、スカート丈は直してきてよ!」

 私は捲し立てるようにそれだけ言うと、逃げるように名取さんの前から立ち去ろうとした。


「えっ、ちょ……っ!待ちなさいよ!氷結!」

 不本意ながら、私は少し進んだ先で足を止めて振り返った。

 すると驚いたことに、先ほどの引き攣った笑みとは真逆のキラキラとした笑顔を浮かべた名取さんがこちらに駆け寄って来て、私の両手を取った。

「ねえ、なんかよくわかんないけど、そういうことなら私に任せてよ!」

「へっ!?え……任せるって、何を……?」

「はあ!?私みたいに可愛くなりたいんじゃないの!?

 今日の放課後、空けといてよね。一緒に買い物に行くから」

「か、買い物……!?」


 わけがわからない。先ほどの会話でどうしてここまで話が飛躍した!?

 去り際に名取さんがこちらを振り返った。

「あ!あと、『生まれ持ったものが違う』なんて、全然そんなことないんだから!可愛い癖にそんなこと言う人、普通にムカつくからもう言わないで!」


 それだけ言うと、名取さんは嵐のように去っていった。

 か、可愛い……?私が……?

 信じられないけれど、可愛い人に可愛いと言われて悪い気はしない。だけど、『氷見谷梓』として可愛いと言われたことなんてほぼ無いから、どう解釈していいかわからない。

 

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