9 : 恋

 趣味とは言えどVTuberとして活動しながら、名門である桜葉高校で学年一位の成績を維持し続けることは容易ではない。

 一位で在り続けること自体に意味があるとは思わないけど、入試の成績トップで入学した私は、気付いた時には『抜かされたくない』と強く思うようになっていた。

 幼い頃から変わらない負けず嫌いな性格は、負けた時に嘲られたり下に見られたりしたくないから。風紀委員に所属したのも、『他の人たちのお手本で在りたい』という気持ちが強いから。

 だけどそんなことばかり考えていると、時々心が折れそうになる。


 VTuberとして配信をするようになってからは、リスナーからのコメントに元気づけられた。もちろん、酷いことを言ってくる連中も中にはいるけれど。

 私は配信することが好き。『真白すふれ』というもう一人の自分になり切って、リスナーのみんなと話をするのが好き。

 その時間を守り抜く為にも、学生の本分である学業に手を抜くわけにはいかない。


 そうわかってはいるんだけど……

 

 勉強机の上に広げた教科書とノートを見て、私は深い溜息を吐いた。

 おかしい。世界史の用語が全く頭に入って来ない。

 私は右手に持っていたシャーペンを一度置くと、両頬を同時にパチンと叩いた。そしてまたペンを持ち、教科書との睨み合いを再開するが……


 思い浮かぶのは、晴見くんの笑った顔。

 パンケーキを頬張る無邪気な笑顔と、教室で見た悪戯な微笑。無意識のうちに、その二つを交互に思い出してしまう。勉強に集中する為にも思い出したくないのに。だけどやっぱり、彼の笑顔を忘れてしまわないようにずっと思い出していたくて、相反する気持ちが葛藤し続けている所為で頭がおかしくなりそうだ。

 

 晴見くんがずっと傍にいてくれたら、何度も思い出さずに済むだろうか。

 だけど、もっと彼の近くに行くためにどういうステップを踏んでいけばいいのかがまるでわからない。本人を前にするとまともに話すどころか、近付くことさえ難しいのだ。


 私はまた、先ほどよりも深くて重い溜息を吐いた。



 ほとんど何も頭に入らないまま時間だけが過ぎていき、SNSで事前に予告していた配信の開始時刻となった。

「みなさん、こんすふれ~!」

『『『こんすふれ~!』』』


「すふれ、今日はみなさんに聞いてほしいことがあって……

 現役女子中学生であるすふれは、今日も小テストの勉強をしてたんですけど、全っ然頭に入って来ないんですよ!みなさんはこういう時どうしてますか?……」


 リスナーたちとの会話はいつも通り楽しいけれど、配信時間が経過するごとに私の不安は次第に大きくなっていく。

 今日は彼──『ましゅぽて』が一度もコメントを送ってきていない。

 なにか予定があって、今日の配信自体を観ていないのだろうか。そういえば、バイトをしていると言っていた。

 バイトをしながら、これまでほぼ全ての配信をリアルタイムで見に来てくれていたことの方が凄い。

 けれど……


 結局その日の配信で、ましゅぽてがコメントを送ってくることはなかった。


 次の配信はリアルタイムで見に来てくれるだろう、いつものようにコメントも送ってくれるだろうと思っていたが、ましゅぽてからのコメントは一向に来ない。もしかしたらコメントを送ってこないだけで配信は見てくれているのかもしれない。

 だけど、それならどうして今までの配信では毎回必ずコメントをくれたのに、急にそれがなくなってしまったの……?


 不安はどんどん膨れ上がり、悪い方、悪い方へと私の思考を引き摺り込んでいく。

 もしかしたら晴見くんは──『ましゅぽて』はもう、『真白すふれ』というコンテンツに飽きてしまったのかもしれない。



◇◆◇



 晴見くんに恋をしていると自認してから、私の世界は何もかも変わってしまったような気がする。それが良い方向になのか、悪い方向になのかはわからないけれど、恐らく後者なのだろう。

 だって本来の私はものすごく臆病で、好きな人に自分から話しかけることさえ出来ないような人間なのだから。自分から動けない人間の恋が叶うはずなどない。

 だから、早く忘れてしまった方がいい。忘れろ。

 それなのにそう強く思えば思うほど、私の目は晴見くんを一度捉えたら視線を逸らすことなどできず、悲しいくらいに彼ばかりを見ていた。


「じゃあこの問題、これをー……晴見!」

 授業中に彼が指名されただけで、私の心臓は自分の名前が呼ばれた時よりも大きく跳ね上がる。

「……-5Y+8」

「正解!それじゃあ問2をー……」

 -5Y+8。そう呟いた彼の声を頭の中で何度も再生しているのは、この教室の中で恐らく私くらいだろう。

 単純な問題のはずが、彼の答えと私が自分のノートに導き出した答えは微妙に違っていた。


 晴見くんは頬杖をつき、窓の外の曇り空を退屈そうに眺めている。

 こんな風に授業中に盗み見るのではなく、もっと近くで彼の目を見て話すことができたらいいのに。

 

 間違っていた私の回答の横に、彼が導き出した『-5Y+8』を赤いインクで記す。

 私は本当に、どうかしてしまったらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る