4 : 晴見くんのお願い
土曜日の午後一時。私は開店前に長蛇の列ができるほどの人気パンケーキ店に来ていた……晴見くんと。
どうしてこんなことになったのか、私にもよくわからない。
「いやー、思いの外早く入れてよかったね!氷見谷さん、今日は付き合ってくれてほんとにありがとう!」
そう言いながら、晴見くんはホイップクリームたっぷりの苺のパンケーキを幸せそうに頬張った。
「美味しい!はあ、本当に来られてよかった!」
「……そう。それはよかった」
私も甘いものは大好きなはずなのに、なぜかパンケーキを思う存分味わえない。晴見くんがいるからだろうか。
「氷見谷さん、全然食べてないけど大丈夫?具合でも悪い?」
晴見くんの憐れむような、うるうるとしたこの目が私は苦手だ。あなたに心配してもらわなくったって結構。
「平気よ。晴見くん、食べられるなら私の分も半分あげるわ」
「ええっ!?いいの!?けど、氷見谷さん、ほんとに大丈夫?ごめんね……付き合わせちゃって」
ああもう、晴見くんと話していると調子が狂うし苛々する。
私がVTuberの真白すふれであることをバラさないでいてもらう代わりに、晴見くんが要求してきたことがコレ。女子に大人気のパンケーキ店に付き合うこと。
やましいことを強要されなくてよかったと思う一方で、どうしてか胸の奥のモヤモヤが消えない。
「……別にいいわよ。パンケーキくらい」
私は投げやりにそう言った。
それに対して、晴見くんは人の好い笑みを浮かべながら頷いた。
「うん。この店、何年も前から来たかったんだけど女の子のお客さんばっかりで入りづらくて……
俺、友だちも少ないし。だから今日、氷見谷さんが一緒に来てくれてほんとによかった。ありがとう」
そう言って笑う顔があまりにも無垢で、私は急に自分が恥ずかしくなってきた。やましいことを考えていたのは私の方ではないか?
秘密を握られたからって、人の好い晴見くんを悪者にして……
晴見くんは笑うと目が線みたいに細くなる。女の子みたいに睫毛が長くて、肌も透き通るかのようだ。こんなに綺麗な顔をしているのに、クラス内の一部の生徒からは「オタク」だの「キモい」だなどと陰口を叩かれているのだから不思議だ。
そう言う私自身も、これまで彼と話したことは一度もなかったし、こんなにも近くで顔を合わせることはなかったけれど。
私があんまりじっと見つめ過ぎた所為か、晴見くんはやや気まずそうに視線を逸らした。
「あの……氷見谷さん。俺の顔になにか付いてる?」
「クリームが、付いてる……」
「えっ、どこ?こっち?」
晴見くんが紙ナプキンで拭った場所は、クリームが付いているところとは反対側だった。
私は紙ナプキンを一枚取ると、口元のクリームを乱雑に拭ってやった。クリームが付いていた場所には、小さなほくろがあった。
晴見くんはまた目を細めて笑う。なんだか、弟の葵を見ているみたいだ。
「ありがとう、氷見谷さん。いやあ、なんか俺ばっかりはしゃいでて恥ずかしいな……」
照れ笑いを浮かべる晴見くんがなんだか可笑しくて、私は思わず吹き出した。
晴見くんはなぜ私が笑っているのかわからない様子で、きょとんとした表情を浮かべている。それが更に可笑しくて、なかなか笑いが止まらなかった。
「あははは……っ、可笑しい。なんか晴見くん、弟に似てる」
笑ったらお腹が空いたような気がして、私はパンケーキを一口食べた。さっき食べた時はあまり美味しいと思わなかったそれが、今は格別に美味しく感じた。
「えっ、氷見谷さん、弟さんがいるんだ」
「うん。今年小学一年生」
急にパンケーキを食べ始めた私を見て、晴見くんは驚いた様子だ。
「へえ、いいなぁ。俺は兄しかいないから。子供の頃は喧嘩してばっかりでね。弟か妹が欲しかったんだよ」
「ふうん。兄とか姉は損することも多いわよ?『お姉ちゃんだから我慢しなさい』なんて言われて」
「あ、それよく聞くやつだ。……ふふっ、氷見谷さんもクリームめちゃくちゃ付いてるよ」
晴見くんはそう言うと、私がなにか言うよりも先に紙ナプキンを一枚取り、私の口元についたクリームを拭った。それは一瞬の出来事で、なにが起こったのかわからないほど手際よく成された。
晴見くんは何事もなかったかのように会話を続けた。
「こっちも食べる?中にベリーっぽいソースみたいなのが入ってて、すごい美味しいんだよ」
視界が、頭の中がぼおっとする。クリームを拭う晴見くんの手が、今も口元に添えられているみたいだ。尋常でないほど鼓動が激しい。甘過ぎて目眩がする。
顔が熱くてたまらない。
「……た、食べる!」
私がそう言うと、晴見くんは微笑みながら頷いた。
食べかけのパンケーキを切り分ける手は白くてごつごつとしている。美しい手つきに思わず魅入ってしまう。
さっきは晴見くんを弟に似ていると思ったが、今はなんだか、お兄ちゃんっぽい。
「あとさ、思ったんだけど、氷見谷さんは普段もすふれたんと同じ声で笑うんだね」
自分でも気付かなかった。学校で声を上げて笑うことなんて滅多にないから、そんなこと思いもしなかった。
「そ……っ、な、だったら悪い?」
私は晴見くんが切り分けてくれたパンケーキを頬張りながら、彼をじろりと睨みつけた。
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