3 : 晴見くん、何をするつもり!?

 昨日の配信も楽しかったな。それに、新規の人も何人か見に来てくれていて嬉しかった。

 そんなことを思いながら、洗面所で身支度を整える。

 

 ダイニングでは、母と弟の葵が既に朝食を取っていた。父は仕事が早い為、一緒に朝食を取ることは滅多にない。

「おはよう、梓」

「お姉ちゃん、おっはー!」

「おはよ」

 葵の隣の席に座り、トーストに苺ジャムを塗って口へと運ぶ。


 向かいに座る母が、頬杖を突きながら私をじっと見ていた。

「……あの、なに?」

「べーつにぃ。今朝、ご機嫌だったじゃない。歌なんか歌っちゃって。なんか良いことでもあった?」

 どうやら私は、洗面所で学校へ行く用意をしながら無意識に歌を歌っていたらしい。

「べ、別にないよ!あ、もう行かなきゃ!」

「もう?相変わらず早いわねえ」

 玄関まで出迎えにきた母に「行ってきます!」と告げ、ドタバタと家を出た。


 風紀委員長の朝は早い。他の生徒よりも早い時間に登校し、教師と共に校門の前で挨拶運動を行う。同時に、校則違反者を見つけたらその場で注意をするのだ。


『風紀委員』と書かれた腕章を付けると身が引き締まる。

 快晴の空の下、眠そうな顔をした生徒たちの目が少しでも覚めるように、私は高らかな挨拶を繰り返した。

「おはようございます!」

「おはようござ……ちょっとあなた!スカート!短すぎですよ!」

 

 大抵の生徒は小さな声で「おはようございまーす」と言って逃げるように校舎へと歩き去っていくが、運動部の生徒など、中には「おはようございます!」と風紀委員にも負けず劣らずの元気な挨拶を返してくれる者もいる。

「おはようございます!おは……」

「おはようございます」

 突然、目の前で挨拶をされたので少し驚いてしまった。

 目にかかる長さの黒髪に、やや伸びた襟足。黒縁眼鏡の奥の目は、なにかを見極めるかのように私の顔をじっと捉えていた。


「お、おはようございます。あなた、ちょっと前髪長すぎ。襟足も」

「あ、はい……すみません、今日切ります」

 彼の顔を見て、私は妙な既視感を覚えた。この人、どこかで……?

「それじゃ、失礼します」

 私が思い出すよりも先に、彼は校舎へと歩いていってしまった。

 ……なんだろう。なにか釈然としない。



 翌日の終礼後、委員会室へ向かおうとしていた私は、教室の前で呼び止められた。

「氷見谷さん!」

 振り返ると、そこには見慣れぬ男子生徒がいた。が、よく見るとその人は、昨日の朝私が髪の長さを注意した生徒だった。昨日言っていた通り、髪は清潔感のある長さにカットされている。

「あなたは……」

 そこで私は、ある事実に気が付いた。いや、寧ろ昨日の時点で気が付かなかったことがおかしい。

 彼は同じクラスであり、出席番号が私の一つ前の晴見はるみくんだ。そして恐らく彼は、一昨日、私がぶちまけたゴミを一緒に拾ってくれた。


「氷見谷さん、ごめん、今忙しい?ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど……」

 晴見くんは遠慮がちな表情で、申し訳なさそうにそう言った。

「なにかしら?ここじゃ話しにくいこと?まあ、少しなら大丈夫よ」

「よかった!ごめんね。委員会あるのに」

「問題ないわ。それで、どこならいいの?」

「そうだな……じゃあ、ついて来て!あそこなら風紀委員の教室にも近かったと思うし!」


 晴見くんと並んで歩いていると、同学年の生徒からは物珍しそうにじろじろと見られた。

 歩きながら、晴見くんは言った。

「あ、あと言われた通り髪切ってきたよ」

「ええ。そっちの方がすっきりとして良いじゃない」

「えへへ、そうかな?」

 晴見くんは照れた様子で笑った。髪を切って顔周りがすっきりとした所為か、彼が思いの外綺麗な顔立ちをしていたことに気が付く。昨日まで彼の顔さえまともに覚えていなかった私が言えたことではないけれど。

 だけど少し言い訳をさせてもらうと、彼はクラスの中でもかなり目立たない方で、授業で自分から発言したり、誰かと話しているところを見かけることすら少ないのだ。

 そんな晴見くんの背は私よりも頭一つ分高い。痩せ過ぎというほどではないが線が細くて、『闘ったら私でも勝てそう』とか失礼なことを考えてしまう。


「あの、晴見くん」

「ん?」

「一昨日、一緒にゴミを拾ってくれたわよね。その、あの時はありがとう」

「あー……、全然いいよ。そんなの気にしないで」


 彼に連れてこられた場所は、風紀委員の教室がある校舎の中庭だった。この場所は普段から人が少なく、私もほとんど訪れたことがない。辺りには私たち以外に誰の姿もなかった。


「……それで、聞きたいことって?」

「あの、ただ気になるから聞くだけで他意はないから、気を悪くしないでもらいたいんだけど……」

 長い前置きの後で、晴見くんは頬のあたりをポリポリと搔きながら、私をちらりと見た。

「大丈夫よ。で、なんなの?」

「氷見谷さんさ……もしかして、真白すふれっていうVTuberのだったりしない?」

 

 ……は?この人は今なんと?

 何で私がすふれだってことを知って……?


 背中を冷たい汗が伝った。それと同時に頬にも雫が伝い、首筋を流れて胸元へと滑り落ちていった。今は5月だというのに、真夏に激しい運動でもしたかのような大量の汗が全身を伝っていた。

 

 え、ちょっと待って。落ち着け。落ち着け私。

 まず、私は私が真白すふれであることを誰にも言っていない。

 じゃあ、どうしてバレた?身バレするようなことなんて何も言っていないはず……

 もし、晴見くんがこのことを他の生徒にバラしたら?

 証拠なんて何もないだろうけど、すふれの声をよーく聞けば私だと気付かれる可能性はある。

 すふれはまだまだ無名のVTuberとは言え、もしそうなれば私は風紀委員長としての立場を失うどころか、ネット上に本名や学校名を晒されて人生が終了する……!?


「……して」

「え?」

「どうして私が……すふれだとわかったの?」

「え、えっと……一昨日の配信で氷見谷さん──じゃなくてすふれたんがエロ本を拾って、ゴミをぶちまけた話してたじゃない?

 ゴミを一緒に拾った時、俺はすぐに氷見谷さんだとわかったんだけど、氷見谷さんは気付いてないっぽくて……

 その、ごめんね。あの時バイトに行く途中で、急いでて……

 で、その後の配信ですふれたんがその話をしてたから、もしかしてって思ったんだ。

 あ、俺ましゅまろぽてとって名前で、よくコメントしてるんだけど。それにしても、こんなことってあるんだね!」

 

 それを聞いて、私の頭の中は真っ白になった。なにも考えられない。完全にフリーズした。いっそのこと砂にでもなってさらさらと消えてしまいたい。

 コイツが……晴見が、ましゅぽて……?信じられない。そんなことがあっていいのか。神様、私はいつもルールを守って、守らない人がいたら注意してるのに、私が一体何をしたっていうの……?

 終わった。もうなにもかも終わりよ……

 私はこれから晴見に『正体を晒されたくなければ言う事を聞け』と脅されて、このケダモノにエロいことをされるのよ。いや、それはまだマシな方で、どこかの店に売り飛ばされるかもしれないし、ああもうどうすればいいの……っ!?


「あのー……氷見谷さん?もしもーし?」

「……り」

「えっ?」

「だからっ!私に何をするつもりよ!?何が目的なの!?」

「えっ!?別に目的なんてないよ!」

 惚けた顔をして、どこまでも白々しい!どうせ頭の中ではエロいことばっかり想像してる癖に!

「嘘よ!さっさと言いなさいよ!その代わり、一つだけ言う事を聞いてあげるんだから、バラしたらタダじゃおかないんだから。で、何をするつもり!?」

 

 気付いた時、私は声を荒げながら校舎の壁際まで晴見くんを押しやっていた。これではどちらが秘密を握られている方なのか、ぱっと見では誰にもわからないだろう。


「え、えぇ……別に誰かに言うつもりなんてないよ。黙ってるから」

「そんなワケないじゃない!アンタのやましい考えはお見通しなのよ!さっさと言いなさい!」

 晴見くんは私から視線を逸らし、かなり困った様子だった。

 もしかして、本当に誰にもバラさないつもりだった……?

 いや、そんなことあるはずが……


「じゃあ、一個だけお願い、聞いてもらっていいかな?」

 ほら来た。やっぱりエロいことをするつもりなんじゃない!

「な、なにをするつもり……?」

 

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