2 : VTuber・真白すふれ

 高校生の私は一日のほとんどを学校で過ごすけれど、なにも楽しみは学校に無くたっていい。なんなら、現実世界に無くたっていいのだ。


「それでねー、体育の時に先生に褒められたんだ!」

「まあ、あおいはすごいわねぇ。逆上がりももう出来るようになったしね」

「うん!お姉ちゃん、葵、すごいでしょ!」

「ええ。すごいわよ。……ごちそうさまでした」

 夕食を食べ終え、席を立とうとする私を見て、母は驚いた顔をした。

「ええ!?梓あんた、最近食べるの早くない?早食いは太るわよ」

「ご飯のおかわりはいいのか?」と、父。

「お姉ちゃん、太るよー!」

 小学一年生の弟、葵にまでそんなことを言われる始末。

「太りませんー。学校で動き回ってるからね」

 校則違反者を見つけて注意する為に、昼休みと放課後は校内を巡回パトロールしていますから。

「例の風紀委員の仕事か?頑張るのは良いことだが、あんまり厳しくし過ぎたら嫌われちゃうぞ」

 父の言葉に、母も大きく頷いた。

「そうよぉ。梓は私に似て可愛いんだから、もっとニコニコしてた方が良いわよって何回も言ってるんだけどねぇ……」

「そうだな、ママ」

「そうよね、パパ♡」

 私は一体なにを見せられてるんだ……と、小さく溜息を吐く。今日だけで何回溜息を吐いただろう。

「はいはい。善処します」

 空いた食器を流し台で洗いながら私は言った。

「もー、可愛くないんだから」

 母の言葉に背を向け、私はそそくさと自室へ向かった。


 部屋の扉を閉め、鍵をかける。窓がしっかりと閉まっていることを確認し、デスクの前に座ってパソコンを起動する。

 ヘッドフォンを装着し、画面の前で私は小さく微笑んだ。

「……よし!」

 私が笑うとすれば自分の部屋のパソコンの前でだけ……言うなれば、バーチャルの世界でだけだ。それも私ではなく、VTuberの『真白ましろすふれ』として笑うのだ。


 VTuberとは、アニメキャラのようなアバターを使用して動画を配信する人のことを指す。『真白すふれ』は、VTuberとして活動する上での私の名前だ。

 腰まで届くウェーブした真っ白い髪は、左右の高い位置でお団子に結われている。ターコイズブルーの大きな瞳に、ほんのりとピンクに染まった白い頬。アイスブルーを基調としたメイド服を身に着けていて、その姿はルイス・キャロルの絵本に出てくる少女、アリスを彷彿とさせる。


 すふれは素直で明るい性格で、お話しすることが大好きな女の子。風紀委員長として校則違反者を取り締まっている、学校での私とは正反対だ。

 私が何故VTuberとして活動を始めたのかというと、パソコンでなんとなくネットサーフィンをしている時に人気VTuberの動画をたまたま見て、その可愛らしさとトークの楽しさに心を掴まれたから。それまでVTuberという存在さえ知らなかった。

 

 VTuberは機材さえ揃えれば誰でもなることが出来ると知り、私は今までほとんど手をつけて来なかったお年玉をここぞとばかりに使い、およそ一年前に晴れてVTuberとしてデビューしたのだった。

 因みに、すふれのキャラクターデザインは私が考えた。母が絵画教室の講師をしていることもあり、私は幼い頃からイラストを描くことが得意な方だった。中学からは風紀委員の活動に明け暮れていて、ほとんど絵を描くことをしなかったが、私の隠れた特技が初めて活かせたような気がする。


 すふれとして動画を配信することで、私は『なりたい自分』になることができる。真白すふれが氷見谷梓であることを知る人は、私以外に一人もいない。バーチャルの世界では、みんなが私を『か弱くて可愛い女の子』として見てくれる。


 今日、配信をすることは、SNSで事前に周知していた。すふれはVTuberとしてはまだまだ無名でフォロワーやチャンネル登録者も少ないけれど、それでも一定数の人が、配信をする度に毎回見に来てくれている。

 

 今日は学校で校則違反者を注意する為に大きな声を出し過ぎたから、配信前に喉にスプレーを吹きかけておく。配信開始の数秒前に、何度か軽く咳払いをした。……よし、チューニング完了。

 午後9時になると同時に、私は配信を開始した。


「みなさん、こんすふれ~!わ~!スタートからいっぱい来てくださってて嬉しい!すふれ嬉しいです~!ありがとうございます!こんすふれ~!」


『いっぱい』と言っても20人ほどだが、配信開始と同時にコメント欄には『こんすふれ~』の文字がいくつか表示されていた。

 一応説明しておくと、『こんすふれ~』とは真白すふれが配信を始める際の挨拶のようなものだ。


 リスナー──即ち視聴者から送られてきたメッセージを読み、それに対して反応を返していく。今回の配信で最初に目に留まったのは、毎回配信を見に来てくれるリスナーからのコメントだった。

『ましゅまろぽてと:こんすふれ~!今日もかわいい』

「ましゅぽてさん、今日もありがと~!」

 ましゅまろぽてと、略してましゅぽて。配信の度に何度もコメントをくれるので、私が勝手にそう呼んでいる。

 配信を始めてからもう一年経つが、アニメの美少女キャラのような甘い声が自分の喉から出ているということが、時々恐ろしく感じることもある。だけど、一年も配信を続けていればそんなことには慣れてしまった。

 

「みなさん、ちょっと聞いてくれますかぁ?今日、ちょっと悲しい出来事があってぇ……」

 コメント欄はましゅぽてを始めとした、いつも配信を見てくれる『常連』からのメッセージで溢れる。

『なになに?』

『すふれたん、どったの?』

『どうした』


「今日ね、道にエロ本が落ちてたんですよ!すぐそこにゴミ箱あるのに!」

『エロ本!?』

『読んだ?』

『読んだな』


「読むワケないじゃないですかぁ~!すふれ、13歳だから!

 それでですよ、すふれは落ちてるエロ本を拾って、『ちゃんとゴミ箱に捨てろや!』って内心苛つきつつも、ちゃんとゴミ箱に突っ込んだんですね」

『偉い』

『エロい』

『さすが』

『突っ込んだw』


「そしたら、私がエロ本を突っ込んだ勢いでゴミ箱が倒れちゃって……」

『あ、察し』

『お疲れ様です』

『あー……』


「中のゴミがそこら辺にぶちまけられちゃったんですよ!!酷くないですか?」

『かわいそ』

『お疲れ様です』

『エロ本読むから……』


「読んでないですよ!でね、ぶちまけられたゴミを私がちゃんと拾ってたら、黒縁眼鏡かけた男の人が急にやって来て、ゴミを拾い始めてくれたんですね!うわっ、やさし~!神だ!神が来た!と思いつつもちょっと申し訳ないから、すふれは『すみません~、大丈夫ですよ~』って言ったワケですよ」

『神降臨』

『エロ本捨てたの見られてた?』

『既におもろい』


「そしたらその人が……あはは、思い出したら笑えてくる。その人がね、『二人でやった方が早いでしょ』って言うんですよ!マジカッコ良くないですか?あ、その人は眼鏡の好青年だったんですけどね。大学生くらいの」

『ほう』

『なんだと』

『イケメン?』


「正直顔はね、横顔だからあんまよくわかんなかった!で、ゴミ全部拾い終わって、ありがとうございますって言おうとして振り返ったらその人もういないの!……っくあははははは、ねえ、どういうこと!?ってすふれ思っちゃって!

 なに?え、なに?ほんとに神かなんかだったのかなぁ……?っていうようなことが今日ありましたけどね」


 今日のムカついた出来事も、配信でみんなに聞いてもらえば笑い話になる。

 結局この日の配信は、23時過ぎまで続いたのだった。

 

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