晴見くん、何をするつもり!?

白井なみ

1 : ルールは守る為にある

 終礼のチャイムが鳴ると同時に、クラスメイト達が一斉に椅子を引く音で教室内は満たされた。

 名門校である桜葉高校の生徒として恥じない行動を……だなどと、今朝の全校集会で校長は仰っていたが、その言葉を律儀に守ろうとする生徒がいるとすれば、それは私くらいだろう。


「ねー、今日カラオケ寄ってく?」

「いいねえ!カナたちも誘う?」

「あ、それ俺らも行きたい!」

「えー、仕方ないなぁ」


 隣の席が騒々しい。放課後の不用意な寄り道は禁止されているはずだ。それを風紀委員長である私の傍で大声で話すとは……私も随分と舐められたものだ。

 私はわざと大きな音を立てて立ち上がった。

 その瞬間、それまで盛り上がっていた隣の席が一気に静まり返り、恐る恐るといった様子の視線が私に集中する。

 私が横目で一瞥すると、彼らは「委員長!ごめんなさーい!」「今回だけですからー!」と叫びながら、瞬く間に教室を出て行った。

 まだ何も言ってないのだけれど……


「うわ、さすが。おっかねー」

「シッ!聞こえる!」

 もう聞こえてるわ!……と、小声で話す男子たちに向かって言ってやろうかと思ったが、些細なことではエネルギーを消費したくないのでやめておいた。

 スカートの丈に授業中のスマホ弄り、髪色、ピアス……挙げ出したらキリが無いが、名門校とは思えないほど校則違反が横行しているこの学校で、小さなことにいちいち目くじらを立てていては心が持たない。

 机に掛けてあるバッグを手に取り、一人教室を後にする。


 掲示板には一学期の中間試験の結果が張り出されていた。

 現国も数学も英語も……どの教科においても成績トップはこの私、氷見谷ひみやあずさ。二年生でも良いスタートが切れた。


「ねー、聞いてよぉ。私、初っ端から数学赤点だったんだけど!」

「あはは。ミク、勉強してないだろぉ」

「えーっ、したよぉ!3日前から!」

「いや遅いだろっ。ミクはほんとにアホだなぁ」


 掲示板の前で交わされるカップルと思しき男女のそんな会話を聞き流し、私は風紀委員の委員会室へと向かって歩き出した。

 私は小学生……いや、たぶんそれよりももっと前から、規範意識が他人よりも数倍は高かった。ルールは守る為にあるものだが、守れていない人を注意して正すことができれば、大人たちはみんな褒めてくれた。

 小学校でのあだ名は「チクりマン」。中学校でのあだ名は「氷女こおりおんな」。そして高校では、全く有難くないが「氷結」の称号を獲得した。

 どうとでも言えばいい。酷いあだ名には慣れっこだし、そんなことで動じはしない。


 けれど、ルールを守っている正しい自分が、時々ひどく惨めに感じることがある。

 中学三年生の時、私には好きな人がいた。彼はサッカー部のキャプテンで、誰とでも分け隔てなく接する人で、クラスの人気者だった。そして、校則や社会のルールを破ったりしない人だった。

 ある日の放課後、下足室で彼とその友人が話していた内容を偶然聞いてしまったのだ。


「氷見谷って美人だよなぁ。やっぱ女子はサラサラの黒髪ロングだよな!」

「わかる!氷女って言われてるけど、ああいう女子に限って実はエロかったりするんじゃね?」

 こう言ったのは彼の友人たちだ。声には出さず、「死ね」と呪いのように頭の中で何度も唱え続けた。

「なあ、近藤も氷見谷良いと思わね?スタイルも良いし」

 この時、私の心臓は爆発しそうなほど激しい音を立てていた。彼の答えを聞きたいと思う反面、聞きたくないとも思っていたが、私は結局その場に止まっていた。

「俺は……なんつーか、もっと愛嬌ある感じの子がタイプかな。氷見谷、良いヤツだけどちょっと言い方キツい時とかあるし」

「わかる!怖えーよなぁ」


 この瞬間、私が初めて抱いた恋心は無惨にも砕け散った。

 もう絶対に恋愛なんてするものか。男なんてみんなケダモノだし、恋愛感情なんて一種の錯覚だ!

 そりゃあ私だって、自分が可愛くないってことくらいわかってるわよ!でも、何でそれをアンタたちに言われなくちゃいけないのよ!悪かったわね、言い方がキツくて!

 その日は心の中で何度も悪態を吐きながら、自分の部屋のベッドの上で、枕をぼふんぼふんと壁に打ちつけた。

 言い方がキツいところは申し訳ない気がしなくもないが、アイツらの言葉で自分を変えるなんて絶対に嫌だった。

 その後、高校に入学した私は中学に引き続き風紀委員に所属し、規範意識の高さと優秀な成績を評価されて、2年生で委員長を務めることになった。


「ピアス!何度言ったらわかるの今すぐ外しなさい!!」

「スカート!短すぎる!下着を見てくださいと言っているようなものよ!!」

「授業中にスマホを触らない!!一週間後まで没収!!」


 学校では毎日叫んでいるせいか、すぐに喉が痛くなってしまうので、のど飴と喉に噴射するスプレーがかかせない。まったく、これで声が出なくなったらどうしてくれるのよ……


「氷結、高校入ってから更におっかなくなったよなぁ」

「大人しくしてたら結構可愛いのに、勿体ないぜ」

 同じ中学出身の生徒からは、そんなふうに言われていることももちろん知っていた。

 私だって好きで怒っているわけじゃない。ルールを守れないお前らが私を怒らせるから悪いんだ……と言ってやりたい。


 風紀委員の仕事を終え、帰路に着く頃には毎日疲れ切っていた。

「はあ……どうして高校生にもなってルールを守れないのか……」

 そんなことを呟きながら歩いていると、ごみ箱がすぐ近くにあるにも関わらず、地面に捨てられた成人向け雑誌が目に入った。

 私はそれを拾い上げ、勢い任せにゴミ箱に突っ込んだ。しかし、苛々していた所為で力を込め過ぎてしまったのか、ごみ箱の蓋が開いて中に入っていたゴミまでもが辺りに散らばってしまった。


「はあぁ~~~~~~~~あ」

 私は近所の人に聞こえそうなほどの大きな溜息を吐き、散らばったゴミを拾い上げる。

 そこに、どこからともなくやって来た黒縁眼鏡の見知らぬ青年が、何食わぬ顔で散らばったゴミを集め始めた。


「す、すみません!大丈夫ですよ!」

 私がそう言っても、その人はこちらを一切見ようとせずにゴミを拾い続ける。

「いえ、二人でやった方が早いでしょ」

 落ち着いた、低い声だった。

「あ、ありがとうございます……」

 

 ゴミを全て拾い終わり、私がもう一度お礼を言おうと振り返ると、その人の姿は既になかった。

 なんなのよ一体……だけど、あの顔をどこかで見たことがあるような……?


「……帰ろ」

 そう呟き、心身ともに疲弊した私は歩き始めるのだった。

 

 

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