第一話:下界へ

 ここは世界に存在する全ての大陸を含めた中で最も中心に位置する……正に〝世界の中心〟とも言える世界最大の国家〝神聖セントラリア皇国〟。


 この国では多種多様な種族が共存しており、人や亜人、獣人または魔族が互いに手を取り合いながら生活しているという類稀なる国家である。


 そしてこの国こそ、〝原初の龍〟と呼ばれた十匹の龍達の一柱であり、最初……いや、厳密に言えばフェムトの次に生まれた龍である、〝始祖開闢オリジン〟と呼ばれし龍、その名も〝ノア〟が治める国であった。


 十もの大陸の内、その中心である中央大陸に降り立ったノアはその更に中心地に国家を興し、そこに住まう種族達を纏めあげた。


 国を作り、法律を作り、日々国民達の為に邁進する彼女を人々は〝神〟として崇め、そこから〝神皇しんのう〟と称するようになった。


 そんなセントラリアの近郊にある森の中にフェムトは降り立った。


 彼は先ず周囲を見渡し人が居ないことを確認……その後、神界に居た時の服装から旅商人としての服装へと身を包む。


 しかしその服装はフェムトの趣味が満載である為か、黒一色に統一された服、目深に被ったフード、そして口元や鼻を覆う顔布といった、見る者が見れば怪しさ満載の服装であった。


 しかも馬車などを生み出さず、作り出したのは高さが腰元まである長箱のみ……これで旅商人などと言っても信じられぬものであったが、これがフェムトから見た〝旅商人〟の認識であった。


 フェムトは作り出した長箱を背負うと、早速この森を抜けることを目指す。


 普通ならば森の中に生息する魔物や魔獣に襲われそうなものだがフェムトはこの容姿でも立派な龍。


 しかもこの世界で〝原初の龍〟として畏れられている者達よりも更に強大な龍である為、この森にいる魔物や魔獣達はその本能でフェムトを襲うことは無いのである。



「こうして降り立った訳だが……いったいどっちに向かえば街に行けんだ?」



 フェムトはそう言いながらも周囲を広範囲に渡って探り始める。


 創造主によって生み出された龍達には〝神眼〟もしくは〝千里眼〟と呼ばれるものが備わっており、特にフェムトはその眼が非常に長けていた。


 何せ普通は一方向のみ見るだけでも限界であるのに、フェムトは一度に多方向の景色さえも見渡すことが出来るのだ。


 それ故に街がある方角を突き止めるのにそれ程時間を有することは無かった。



「なるほどあっちだな?」



 そうしてフェムトは街がある方向へと歩みを始めた。


 その道中に街へと続く舗装された道があるのも知ったので、先ずはそこに出て街を目指すことに決めたのである。


 その際、フェムトが進む度に身を隠していた魔物や魔獣達は更に森の奥へと身を潜めた。


 まるで絶対王者の行く手を阻むことが無いように……本能でそうしなければならないと察したからである。


 故に代わり映えの無い景色が続くと言えど、フェムトの道中は非常に快適なものであった。


 それに王者への供物なのか森の中にいる獣達が木の実などをフェムトに差し出してくるので、小腹を満たす程度の食料も楽に確保出来てもいた。


 まぁ……原初の龍は他の龍や竜とは違く、別に食事をする必要は無いのだが、フェムト達にとって食事とは嗜好品のようなものである為、神界の時のように食事をしたりもするのである。


 まぁそういうわけで貰った木の実を摘み食べながら歩いていたフェムト……ここでようやく街道へと出たわけなのだが、そこで彼は衝撃の光景を目の当たりにする事になる。


 そこには一台の馬車があったのだが立ち往生しており、その周囲には数匹の狼の群れがあった。


 灰色の毛並みをした狼達は威嚇するように馬車を取り囲み、馬車を操縦していた男はその恐怖に縮み上がっていた。


 そんな中、草の根をかき分けるような音が聞こえてきたかと思えば、そこから先にいた狼達よりも遥かに大きな狼が二匹姿を現す。


 二匹の狼は他の狼達とは違い白銀に輝く毛並みをしており、その形相は憤怒に染まっていた。


 その二匹を見たフェムトは興味深そうにする。



(ほぅ……聖獣が二匹とは。しかもあんなにも怒りを露わにしているとは、あの馬車の人間……いったい何を仕出かしたんだ?)



 そんな疑問に対する答えは直ぐに判明する事になる……何故ならばその二匹が唸り声をあげた瞬間、フェムトの耳に二匹のものと思わしき声が聞こえてきたからだ。



『人間ども……我が弟を奪うとは良い度胸だ!』

『当然、死ぬ覚悟は出来ているのだろうな!』


(なるほど……それは怒るのも無理は無いな)



 どうやら馬車の男は聖獣の子を奪ったらしい。


 それに気付いた二匹が狼達に命じ、ここまで馬車を追いかけてきたのだろう。


 聖獣とは他の獣とは違い、神やフェムトのような龍に近しい存在である。


 ある地域では聖獣としてではなく神として聖獣を崇めている所もあり、つまり人間がおいそれと手を出して良い存在では無いのである。


 まぁその二匹が何かを言ったところで男には唸り声にしか聞こえず、その二匹の質問に答えることは出来ないのだが……。



(やれやれ……自業自得だが、目の前で死なれるのも目覚めが悪ぃな)



 フェムトはそう思うなり徐ろに今しがた出てきた森の方へと視線を向ける。


 すると不思議なことにそこから一斉に鳥達が飛び出てきて、二匹の聖獣にまとわりつくようにして飛び始める。



『な、なんだ?!』

『よせ!やめろ!いったいどうしたと言うんだお前達?!』



 聖獣達にとってこの森に住む鳥達もまた自分達の仲間であり、そんな鳥達が急に自分達に襲いかかって来たのだから二匹はたちまち混乱へと陥った。


 その隙をついてフェムトは馬車へと駆け寄り男に声をかける。



「おい、大丈夫か?」


「だ、誰です?!それにあれはいったい……」


「流暢に話している暇はねぇ。一つだけ質問に答えろ。お前……何処かで狼の子供を拾わなかったか?」



 男の様子から見て、彼は心優しい人物だと理解したフェムトは〝奪った〟という表現を使わずにそう訊ねる。


 すると男は数回頷いてこう答えた。



「え……えぇ……私の娘が蹲っていた綺麗な毛色の子犬を拾ってきまして……そのままにしておけず、治療の為に保護しました」


「なるほどな……良いか、よく聞け?お前の娘が拾ったのは聖獣の子だ」


「なんですって?!」



 まさか聖獣の子だとは知らなかった男は目が飛び出でるほど驚く。



「あの二匹はその子を取り返そうとあんたらを追いかけてきたんだ。だから今すぐ返せば殺されはしない」


「ですが……その子供は怪我を負っているようでして……早く治療しなければどうなる事か……」


「分かった。待ってろ」



 フェムトは男との話を終えると馬車の後ろへと周る……そこには女性と少女がいて、二人はどうやら男の妻と娘のようであった。


 その娘の腕には先程の二匹と同じ白銀の毛並みを持った小さな子犬らしきものが一匹、布に包まれた状態で力なく少女に身体を預けている。


 フェムトは震える二人を他所に馬車へと乗り込むと、聖獣の子の様子を観察した。



(何かの獣にやられたな……魔獣か?聖獣の子は親と違ってまだそんなに力が無い。とりあえず治療をしねぇとな)



 聖獣の子に触れようとフェムトが手を伸ばした時、それを抱いていた少女が隠すように身体を背けた。



(守ろうとしてんのか……やれやれ、父親似の良い子なんだな)



 とはいえ早く治療しなければ聖獣の子は死んでしまうだろう……そうなればあの二匹はきっとこの親子が殺したのだと勘違いし、彼らを食い殺してしまうかもしれない。


 あの二匹が〝神をも殺す牙〟と称されし聖獣〝聖狼フェンリル〟という事をフェムトは既に知っており、故に怒り狂う聖狼がどれ程気性が激しくなるのかも知っていた。


 だからこそ二匹の怒りを鎮めるためにも聖獣の子を治療しなければならない。


 フェムトは伸ばしかけていた手をそのまま少女の頭へと置くと、そのまま優しく撫でながら説得を始める。



「お嬢ちゃん……今この馬車を襲ってんのはその子のお姉さん達なんだ。二匹ともその子を取り返そうと躍起だ。早く治療して戻してやらねぇとどうなるか分からない」


「でも……」



 何かを言いかけながらチラリと聖獣の子に目を向ける少女……どうしても聖獣の子が心配らしい。



「安心しな。俺は治療魔法が使えるんだ」



 フェムトがそう言うと少女はひとまず彼を信じることにしたのか、そっと聖獣の子を差し出した。


 フェムトが早速布を取り払うと、聖獣の子に付けられたその深い傷跡に彼は思わず顔を顰めてしまう。



(こいつはひでぇ……よく食われずに済んだもんだ)



 聖獣の子に訪れた奇跡に関心しつつフェムトが手を翳すと、聖獣の子の小さな身体は淡い光に包まれ、かと思えばその深い傷跡が見る見るうちに消えてなくなっていった。


 しかし傷が治ったのにも関わらず聖獣の子が目覚める様子は無い……この事にフェムトはある仮説を打ち立てていた。



(ふむ……どうやら魔力と神力が枯渇しているようだ)



 魔力は説明せずとも分かるだろう……しかし〝神力〟についてよく知る者は居ない。


〝神力〟とは神やフェムト達原初の龍、そして今目の前にいる聖獣の子のような存在のみが持ちうるとされる力である。


 人間で言うところの生命力にも似たようなもので、これが枯渇しているという事はつまり今の聖獣の子はかなり憔悴しきっているという事である。


 瀕死の状態とも言えるだろう。



(魔力は休んでりゃいずれ回復してくるが神力はそうじゃねぇ)



 フェムトは背負っていた長箱を降ろすと、そこから小さな小瓶を取り出す。


 その小瓶には透明な液体のようなものが入っていた。


 フェムトは蓋を開け手の平を器の形にしてからそこに液体を注ぐ。


 そして弱っている聖獣の子の口元にそれを近付けた。



「それはなんですか?」



 母親と思わしき女性がそう問いかけてくる。



「これは簡単に言えば弱った聖獣を元気にするもんだ」



 その液体を近付けられた聖獣の子は弱々しくも鼻をひくつかせてゆっくりと顔を近づける。


 そしてペロペロと舐めるようにその液体を口に含み始めたのだが────するとどうだろう……聖獣の子は次第に元気を取り戻したのか、先程まで死にかけていた姿からは想像もつかない程に元気になり、いつの間にか自ら立ち上がって液体を飲み始めた。



「よしよし……あとはこいつを器に入れて……」



 片手で今日に長箱から小さな器を取り出したフェムトは小瓶に残っていた中身を全てその器へと注ぐ。


 すると聖獣の子は待ってましたとばかりに勢いよくそれを飲み始めた。



「おいおい、落ち着いて飲め」



 聖獣の子の小さな身体を撫でながら呆れたようにそう話すフェムト。


 彼が聖獣の子に飲ませたのは〝神水〟と呼ばれるもので、要約すれば神力が注がれた水である。


 これは人体にも効果があるのだが、その際には水などで何十倍にも薄めて使用しなければある種の毒になってしまう代物であった。


 それを用いて作られ、この下界に広まっているのが〝神水薬エリクサー〟というものである。


 残りの神水を飲み終えた聖獣の子はすっかり元気になったのか、まるでお礼を言うかのようにキャンキャンと鳴いていた。



「さて……そろそろお前さんの姉達を説得しなけりゃな」



 そっと優しく聖獣の子を抱き上げるフェムトはそのまま馬車を降りて二匹の元へと向かう。


 その頃には二匹は鳥達を追い払い終えたのか、自身達の弟を腕に抱くフェムトの姿を視界に捉え、眼光鋭く睨みつけるのであった。

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