第27話

 夜の八坂神社は、とてつもなく暗い。祇園祭の時期は、一晩中明かりが点いているので暗さなんて感じさせないのだが――今は4月の半ばである。余程のモノ好きじゃなければ、こんな場所に来るわけがない。

 境内けいだいを歩いているうちに、方向感覚が分からなくなる。坂道をぐるぐると回って漸く本殿にたどり着くから当然だろうか。

 方向感覚が混乱しつつも、僕は八坂神社の本殿に辿り着いた。――スマホを見ると、時刻は午後10時になろうとしていた。

 ――誰かいる。

 その「誰か」の1人は、明らかに明智善太郎という人物だったが――体をロープのようなモノで縛られていた。

 善太郎の喉元には、ナイフが突きつけられている。暗闇の中で顔こそは見えないが、善太郎は「悪いやつ」に命を狙われている。それは明らかだった。

 暗闇は話す。

「江成球院、身代金は持ってきたのか?」

 僕は、暗闇の質問に答えた。

「持ってくる訳がないだろう。ましてや、100万円という大金なんて――そんな急には用意できない」

 これは、言い訳ではなく――事実である。僕の現在の所持金は、現金が1万5千円とQR決済が5千円程、およその合計は2万円といったところだ。

 僕が「身代金を用意できなかった」と暗闇に告げると、暗闇はその正体を見せることになった。

「そうか。――残念だな」

 そう言いつつも、暗闇は――懐中電灯を点灯させた。そこに映っていたのは、明らかに王論宗という人物の顔だった。

 王論宗は、話を続ける。

「じゃあ、この探偵もどきは始末していいんだな?」

 僕は、王論宗の判断に対して否定した。

「――僕の友人に危害を加えるのか。それだけはやめてほしい」

 しかし、王論宗は引き下がらない。

「そうは言うが、私は『無敵の人』だ。なぜなら――私は日本人ではなく、中国人だからだ」

「そんな事、理由にはならないだろう」

 王論宗にそう告げたうえで、僕は話を続けた。

「王論宗、あなたは『無敵の人』と称して無数の人間を殺害したことになる。それは紛れもない事実だ。しかし、日本の警察は優秀だ。たとえ、。――そういうことだ」

 僕の論破は、逆に王論宗を刺激してしまった。

「ケッ、それが理由になるのかよ!」

 激昂した王論宗は、善太郎の喉元に突きつけていたナイフを下に降ろした。――胸部か。

 善太郎は、何かを言いたそうにしている。しかし、口にはガムテープが張られている。これじゃあ、何を言っているのかが分からない。

 僕は善太郎のガムテープを剥がそうとするが――足元にグニャリとした感触を覚えた。

 グニャリとした感触が「アレ」であることに気付いた僕は、王論宗に質問をした。

「王論宗、少しいいか」

「何だ? 質問なら手短に答えろ」

「まさかだとは思うが――若田洋平を殺害したりしていないだろうな?」

 質問の答えは――予想通りのモノだった。

「ああ、確かに若田洋平は殺害した。彼ならそのビニール袋の中に入っている」

 グニャリとした感覚。それは――若田洋平だったモノが入っている黒いビニール袋か。

「どうして、若田洋平を殺害した?」

「理由は単純だ。殺されそうになったからだ」

「若田洋平に殺される? どういうことだ?」

 王論宗は、すべてをさらけ出すように説明した。

「私は、十三で若田洋平が女性を殺害する様子を見てしまった。彼は、所謂『その手の女性』を相次いで殺害しては、解体していた。私が考えるに、恐らく彼は大槻美優を解体しようとしていたのだろう。しかし、このままでは私の命が危ない。そこで、私は彼に対してある提案をした」

「提案?」

「大槻美優の殺害事件を、若田洋平ではなく私の犯罪に見せかけるための偽装工作だ。あらかた『ポーカーの役』は完成していたので、残すは『ロイヤルストレートフラッシュ』だけだった。だから、私としては好都合でもあった。大槻美優の遺体の横に『ハートのロイヤルストレートフラッシュ』を添えることによって、一連の事件に対して混迷を極めさせることに採光した。しかし、邪魔者が入ってしまった」

「それが――僕というか、明智善太郎という人物だったのか」

「そうだ。彼が一連の事件を嗅ぎ回っていたせいで、私の計画が台無しになってしまった」

「計画? ふざけたことを言うな!」

「ああ、確かにふざけたことかもしれないな。ただ、私の場合――『ポーカーの見立て』という完全犯罪を成立させる計画があった。それは、京都というか――阪急京都本線の沿線でなければならなかった」

「今更だけど、どうして阪急の京都線を選んだんだ?」

 僕がそう言うと、王論宗は――あっけない答えを返した。

「私の家は、桂にあるからだ」

「桂? それって、京都市内でも外れの方に位置している都市じゃないか。――言われてみれば、桂駅は特急停車駅だが事件が起こっていない。敢えて除外したのか」

「そうだ。桂駅を除外することによって、この事件は不可解なモノとして警察を撹乱させられると思った、しかし――君たちのような存在が出てきたことによって、私の事件は論破されてしまった。――降参だ」

 そう言って、王論宗は上着を脱いだ。――爆弾だ!

 仁美が、後ろに引き下がりつつ僕に話す。

「江成くん、これってマズいわよね?」

「ああ、とってもマズい。ただ――どうすればいいかは分からない。恐らくだが、王論宗は善太郎もろとも爆破して命を絶つつもりだ。そんなこと、あってはならない」

「でも、どうすんのよ? 犯人――王論宗は、爆破スイッチを持っている訳でしょ?」

「うーん、困ったな。僕にはどうしようもない」

 僕にできること――それは、なんだろうか? とりあえず、京都府警を呼ぶことだろうか? しかし、この状況下で警察を呼んでしまったら、却って王論宗という極悪人を刺激してしまうことになる。

 気になるのは、善太郎の行動だ。――彼は、手を後ろに縛られている。だから、身動きなんて取れるはずがない。

 しかし、どういう訳か――善太郎は、手をモゾモゾとさせている。どういうことだ?

 *

 色々な事を考えているうちに、王論宗の親指は起爆スイッチを半分沈めていた。このままだと、王論宗と善太郎はその命を絶ってしまう。王論宗が命を絶つのは勝手だが、善太郎の命が絶たれることなんて、あってはならない。

 僕は、善太郎のことを回想する。――ミステリ研究会での彼は、なんというか身勝手だった。けれども、僕に「小説家」という職業を提案してくれたのは、紛れもなく彼だった。

 正直言って、僕の立志館大学での青春は「イケてるもの」ではなく、むしろ「陰キャ」と呼ばれるジャンルの人間だったかもしれない。でも、明智善太郎という「陽キャ」に感化された僕は、どういう訳か彼を題材にした短い探偵小説を書くことにした。多分、昔使っていたダイナブックの中にデータが残っていると思うが――正直言って黒歴史である。

 ただ、僕から見て「明智善太郎」という人物は、なんというか――その後の人生に対して大きな影響を与えた人物だったことは間違いない。

 *

 王論宗が、親指にかけている起爆スイッチを完全に沈めていく。――もう、どうなってもいい。そう思っていた。

 しかし、肝心のモノは――起爆しない。王論宗は、思わず暴言を吐く。

「クソッ! どういうことだ! どうして、爆発しないんだ!」

 怒りに震える王論宗に対して――聞き覚えのある声が論破する。

「残念だが、私の息子に危害は加えられない。なぜなら――この爆弾は解体されたからだ」

 聞き覚えのある声は、明智警部のモノだった。

 仁美は、困惑しつつも明智警部と話をする。

「明智警部。どうしてここが分かったのよ?」

「ああ、善太郎のスマホのGPSだ。――王論宗も、詰めが甘かったのだろう」

 なるほど。今のスマホなら、GPS機能で特定の人物がどこにいるのかはすぐに割り出せる。――というか、どうして王論宗は善太郎のスマホを破壊しなかったのか。普通なら、スマホを破壊して完全犯罪を成立させるのに。

 明智警部は、王論宗を追い詰めていく。

「王論宗、なぜ私の息子のスマホを破壊しなかったんだ?」

「そ、それは……そこまで考えが回らなかったからです」

「そうか。――まあ、おかげさまで私の息子は多少のかすり傷はあるものの、ほぼ無傷の状態だったのだが。それで、どうしてこんな回りくどい連続殺人事件を行ったんだ?」

 明智警部の質問は、ジワジワと王論宗の精神を追い詰めていく。

「く、くっ……」

「話しづらかったら、署で話してもらってもいい。――もちろん、今回の事件を追っていたそこの青年にも同行してもらうが」

 そこの青年――僕のことだろうか? そう思った僕は、思わず口走った。

「明智警部、それって――僕ですよね?」

 明智警部の答えは、分かっていた。

「もちろんだ。江成君には後日事情聴取に同行してもらう」

「は、はい……」


 果たして、これで良かったのだろうか? 色々と疑問は残るが、とにかくこの時点で京都と大阪を騒がせた「ポーカー連続殺人事件」という愚かな事件に対して終止符が打たれたことは確かだった。

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