第26話

 シンプルすぎて見落としていたモノ――それは、「若田洋平」という名前のことだった。普通に考えれば「ワカタヨウヘイ」と読むのが正しいが、僕は敢えて「ジャクタヨウヘイ」という風に読み方を変えた。理由は、「若田洋平」という名前は偽名であると考えたからだ。

 ジャクタ――ジャック。矢張り、切り裂きジャックからは抜け出せない。若田洋平の本名は不明だが、恐らくありふれた名前なのだろう。

 若田洋平についてのあれこれを考えているうちに、綾瀬刑事がある調書を持ってきたようだ。

「ちょっと、江成くん? いいかしら?」

「綾瀬刑事、何か見つかったのか」

「見つかったというかなんというか――この調書について見てほしいの。本来なら守秘義務があるけど、とりあえずスマホに送るわよ」

「分かった。待っている」

 しばらくすると、スマホ宛に綾瀬刑事から複数の写真――調書を撮影したモノが送られてきた。この中に、若田洋平の手掛かりがあるのか。

 僕は、件の調書を見る。――被害者は、大槻美優ではなく別の女性だった。女性は胸部を滅多刺しにされた状態で発見されていたらしく、十三の路地裏に放置されていたとのことだった。

 僕は、綾瀬刑事に思ったことを伝える。

「なんというか――やり口が残酷だな。仮に僕が若田洋平だとしても、ここまで残忍な犯行は行わない」

 綾瀬刑事は、僕が思ったことに対して意見を返してきた。

「そうよね。私でもここまでやらないと思うわ。――そもそも、殺人事件なんてあってはならないんだけど」

「それはそうだな。――ところで、これは一体何なんだ?」

 僕が気になったのは、女性の遺体に放置されていた――トランプだった。

 綾瀬刑事は言う。

「えっと――スペードのA? 一体、どういう見立てなのかしら?」

 見立てか。――思い当たる節は数多くあるが……。

「思い当たる節? ――ああ、例のポーカーの見立てね。でも、この写真にはスペードのAだけが残されてたわ。他にカードがあった訳じゃないのよ」

「そうなのか。――ちょっと待った」

「待つわよ? 言ってみて」

 綾瀬刑事がそう言うなら――言うしかないな。

「知っての通り、京都河原町駅でジョーカーのトランプだけが置かれた遺体が見つかった。被害者の名前は霞城悦子だ。京都府警で容疑者について絞り込みを行った結果、若田洋平と王論宗の2人が容疑者としてリストアップされた。――そういうことだ」

「矢っ張り、そうなるわよね。――私も、できるだけ江成くんたちに協力しようと思ってるから、また色々と意見というか、手掛かりを持ってきてちょうだい」

「ああ、分かっている」

 ――そこで、綾瀬刑事からの電話は終了した。

 *

 僕と綾瀬刑事のやり取りで待ちぼうけを食らっていた仁美が、知らない間にティラミスアイスを3つ注文していた。――いくら何でも、やりすぎだろう。

 ティラミスアイスを頬張りつつ、仁美は話す。

「それで、刑事さんからの手掛かりは得られたの?」

「うーん、それなりに。ただ、事件の解決につながるような手掛かりは掴めていない」

「それはそうよね。――私からも少しいいかしら?」

 そう言って、仁美は自分のノートパソコンを僕の方に向けてきた。

「なんだこれ?」

 ノートパソコンに映し出されていたのは――大槻美優殺害時の状況だった。どうやら、仁美が独自でまとめていたらしい。

「私、明智先輩の下で弟子というか――雑用係をやってたからさ、これぐらい朝飯前なのよ。それはともかく、この『まとめ』を見てほしい訳。江成くんは大槻美優殺しの犯人を若田洋平だと疑ってるけど、それは――正解よ。ただ、他の事件にも若田洋平が関わっているかといえば、多分不正解」

「若田洋平が不正解なら、正解は何なんだ?」

「うーん、矢っ張り王論宗に辿り着くわね。でも、本当に彼が一連の事件に関わってたかどうかといえば、怪しいのも実情なのよね」

「それはそうだろう。――一応、容疑者は5人いるからな」

 十河光成、若田洋平、貴崎由実、王論宗、そして赤澤択人……。多分、5人にはそれぞれ「アリバイ」というモノがあるのだろう。もう少し、こう――踏み入れられないのか。

 とはいえ、善太郎はまだ「探偵」という職業に就いているが、僕と仁美は飽くまでも一般人である。これ以上の踏み入れは――恐らく、不可能だ。矢張り、ここは京都府警と大阪府警に任せるしかないのか。そう思っていると、スマホが鳴った。着信の主は――「非通知設定」となっていた。

 仕方がないので、僕はその電話に出た。仁美にも聞こえるように、スピーカーホンにした状態である。

「お前は、江成球院だな」

 スマホ越しに聞こえた声は――明らかに、加工されていた。

 僕は、加工された音声に対して答えた。

「ああ、確かに僕は江成球院だ。それがどうしたんだ」

「――明智善太郎は、私が預かった。命が惜しくなければ、身代金100万円を持ってこい」

 これは――脅迫か。僕は、誘拐犯の要求に対して茶々を入れた。

「僕は善太郎の友人だが、彼はそんな金じゃ満足しない」

「そうなのか。――まあ、いい。とにかく、100万円を持って八坂神社へと来い」

 加工された音声からの電話は、そこで強制的に切れた。

 会話を聞いていた仁美が、口を挟む。

「江成くん、ホントに誘拐犯の要求を飲むの?」

「飲むわけがないだろう。――いくら何でも、そんな大金を急いで用意できる訳がない」

「でも、明智先輩が誘拐されてるのは事実でしょ。後輩として、解放させる気はないの?」

「当然、解放させる気はある。――でも、自信が持てないんだ」

「自信?」

「そうだ、自信だ。僕は本当に善太郎のことを先輩として見ていたのだろうか? 時々それが分からなくなるんだ。ただ、ミステリ研究会で活動を共にしているうちに――『彼が本当にやりたいこと』が分かったような気がする」

「彼が本当にやりたいこと? 一体何よ?」

「これは僕の憶測でしかないんだけど――多分、善太郎は父親の後を継いで刑事になりたかったんだ。でも、刑事になるには相当な勉強が必要だ。並の人間がやろうとしたら、心が折れてしまう」

「だから、『刑事を諦めて探偵になった』。そういうことよね?」

「ああ、恐らくだが――それで間違いない。とにかく、僕は善太郎を誘拐した犯人に立ち会うつもりだ。もちろん、仁美も協力してくれ」

 僕がそう言うと、仁美は――そっと頷いた。

「分かってるわよ。要するに、江成くんに協力すればいいんでしょ? 私を何だと思ってんのよ?」

「それは――答えに困るな」

「――まあ、いいわ。とにかく、明智先輩は救い出さないと!」

 そういう訳で、僕は仁美と共に善太郎が監禁されている場所――八坂神社へと向かうことにした。

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