Phase 06 53番目の切り札
第20話
スマホのアラームで意識を覚醒させた。どうやら、小説の内容をトレースした夢を見ていたらしい。
スマホとダイナブックを見たが、善太郎からの返事は来ていない。――矢張り、僕の
仕方がないので、僕は食パンをトースターに入れた。お腹が空いていたのだ。
コーヒーを飲みつつ、件の事件の続報を調べていたが、そんな簡単に新しい情報が入ってくる訳ではない。
そうこうしているうちに、トースターの音がした。――パンが焼けたのだ。
僕は、焼けたパンを淹れたてのコーヒーで流し込んだ。正直言って体に悪いとは分かっているが、面倒なのだ。
それから、ダイナブックで保留扱いにしていた小説の原稿を書き始めた。とはいえ、思考回路が働いていない状態でまともに原稿が書けるかと思えばそうでもないが、それなりに書けたような気がする。
原稿を書いているうちに、スマホが鳴った。――善太郎からのメールが入ってきたのだ。
どうせダイナブックの電源を入れている以上、スマホで見るよりもダイナブックでメールを見たほうが効率的だろう。僕はそう思った。
善太郎からのメールには、以下のような文面が書いてあった。
――エラリー、メールは読ませてもらったぜ。
――少しオレのことを誇張しすぎている部分は気になるが、大体お前が書いた通りだと思っているぜ?
――丁度、オレも「刺殺はフェイクじゃないか」と考えていたところだったからな。
――まあ、本当に毒殺かどうかは分からないが、多分別の手立てによる殺人で間違いないと思うぜ?
――ちなみに、親父もエラリーの小説は読んだらしい。曰く「現実的に考えてあり得ない」だそうだが、飽くまでもフィクションだからな。多少の誇張は許されると思う。
――オレは引き続き事件を追い続けるから、エラリーも自分のやるべきことをやれよな。
メールは、そこで終わっていた。
それにしても「自分のやるべきこと」か。正直、今の自分はそれが分からない状態だ。「やるべきこと」を考えようとしても、体が思うように動かない。それは自分の鬱病が悪化しているからなのか。それとも――別に理由があるからなのか。
これ以上善太郎や仁美に迷惑はかけられないので、僕はひたすらダイナブックで小説を書くしかない。事件は自然に解決しないが、京都府警や大阪府警が解決してくれるのは分かっている。どうせ、僕の出る幕はない。
*
原稿を書き始めて2時間が経過した。矢張り、行き詰まっている。
どんなに原稿を書いても、自分の思うように物語が進まないのだ。俗に言う「スランプ」状態なのだろう。
自分の書きたいモノと世間が求めているモノが乖離していて、おまけに件の事件に引っ張られている。このままじゃ、「僕」という存在が破綻してしまう。
こうなると、残された手段は――「原稿の削除」か。いや、それはやめておくべきか。せっかく書いたモノを消すなんて、勿体ない。
万策尽きた僕は、ベランダでアメリカンスピリットを吸うことにした。これで少しは気分が晴れるだろうか。
アメリカンスピリットの煙が、曇り空へと登っていく。それは、なんとなく――死んだ人間の魂が空に帰る風にも見えた。
――煙草には、「草」という字が入っていたな。ああ、そういうことか。なぜ、僕はヘビースモーカーなのに、そのことに気づかなかったのか。
煙草を吸い終わった僕は、書いていた原稿を保存した上で閉じた。
そして、アメリカンスピリットの成分表をまじまじと見る。――当たり前の話だけど、ニコチンとタールが入っているな。
ニコチンとタール。それは体に害を及ぼすとして日本でも規制の動きがある。故に、日本における喫煙者は年々減り続けている。
とはいえ、僕は喫煙者の家系なので――ヘビースモーカーになるのも当然のことである。確か、父親はピースを吸っていたな。その独特の匂いが、僕にとっての父親の匂いだったのは言うまでもない。
母親自体は煙草を吸う人間ではなかったが、特に嫌煙家という訳でもなかった。むしろ、父親の喫煙を受け入れるタイプの人間だった。
――そんなことを考えている場合じゃない。アメリカンスピリットではなく、一般的な煙草に含まれている成分を見る。見るべきモノは――もちろん「タール」だ。
僕が吸っていたアメリカンスピリットのタール含有量は12ミリグラムだった。一般的な煙草のタール含有量は10ミリグラムなので、少し多いのか。
そして、そのまま「タールの致死量」を調べることにした。ありがたいことに、保健所のホームページが引っ掛かってくれた。そのページによると、どうやら成人男性の致死量は「30ミリグラムから60ミリグラム」らしい。――煙草5箱分か。
これは僕の仮定だけど、仮に煙草からタールを抽出して相手に飲ませたとしたら、その時点で刺殺する必要はなくなる。しかし、いずれの事件も遺体にはナイフが突き刺さっている。その時点で死因は「刺殺」だと判断されるケースが大半だろう。
ところが、司法解剖で「なんらかの毒」が見つかれば、死因は刺殺ではなく毒殺だと判断される。つまり、犯人は毒を飲ませてから偽装のために遺体にナイフを突き刺した。そう考えられるのだ。
とはいえ、十三で発生した殺人事件にはトランプの「K」に被害者の血液がべっとりと付いている。これは――被害者の職業がキャバ嬢であるところから考えても、恐らくタールに対する耐性があったのだろう。――つまり、大槻美優という人物は僕と同じヘビースモーカーで、ニコチンやタールに対する耐性が付いていた。そんなところだろう。
僕は、とりあえず綾瀬刑事に連絡を取ることにした。
「あら、江成くん。――どうしたのよ?」
「綾瀬刑事、遺体に対して司法解剖は行ったか?」
「ああ、行ったわよ。でも、なんだか遺体の様子がおかしいのよね」
「おかしい? どういうことだ?」
「なんて言うんだろう? とにかく、大槻美優を例に取ってみたけど――肺が真っ黒だったのよ。普通の喫煙者でもあり得ないぐらいね」
ビンゴ。矢張り、相手はタールを飲まされて殺害されていたか。
僕は、思わず頷いた。
「ああ、そういうことか。ありがとう。これで漸く事件解決に前進しそうだ」
「そういうことって、どういうことなのよ?」
綾瀬刑事が疑問符を浮かべていたので、僕は彼女に対して、思っていることを伝えた。
「これは僕の考えだが――刺殺というのは、恐らく後出しジャンケンだ。一連の事件は、毒殺という死因が先に来ている」
「なるほど。――それ、京都府警にも伝えていいかしら? この事件、私たち大阪府警だけじゃどうにもならなさそうだから」
「よろしく頼む」
そう言って、綾瀬刑事との電話を終えることにした。
それにしても、これが事実なら――矢張り、犯人の目的は「ただの殺人事件」ではなさそうだ。これ以上、殺人事件が起こってたまるか。
一応、仁美や善太郎にもこの件は伝えることにした。当然、2人の反応は「驚きの顔」といった感じだった。
果たして、僕のこの見解は合っているのだろうか? その答えが出る前に――新たな殺人事件が起こるなんて、この時には思ってもいなかった。
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