第7話

 その日はうっかり「春節祭」ということを忘れていた。別件で元町へ来ていた僕からしてみれば、大勢の中国人観光客が鬱陶しい。

 しかし、せっかく元町に来たからには――春節祭にも行くべきだろうか。そう思って、僕は元町商店街から南京町の方へと向かった。

 南京町は、逆さに刻印された「福」の提灯というか、ランタンが吊るされていた。逆さ模様の「福」は、縁起物として中国で重宝されていて、特に春節となると大量のランタンが中国の街を彩るとされている。

 獅子舞が南京町を闊歩かっぽしている。当然だが、獅子舞の周りには警備員でガードされていた。特に、数年前のハロウィンシーズンに韓国の梨泰院イテウォンで群集事故が発生してからは、そういうモノに対して敏感になっている。

 群衆が獅子舞に対してスマホを向ける中、僕は灰色のフードを被った男性が気になった。大抵の場合――こういう人間は、ろくなことを企んでいない。

 そして、案の定――灰色のフードを被った男性は、その場にいた女性の脚というか、膝を持っていたナイフで刺した。

 周りが悲鳴を上げる中、僕はフードを被った男性の行方を追うことにした。しかし、僕にそんな体力があるわけではない、――男性は、センター街方面へと逃走してしまった。要するに、取り逃がしたのだ。

 兵庫県警の話によると、「フードを被った男性は監視カメラでマークされている」とのことだったが、身元までは分からない。とはいえ、被害者の女性曰く「私を刺した男性は中国語のようなものを話していた」と言っていたらしい。

 *

「それから2ヶ月が経ったが、フードを被った男性はまだ捕まっていない。最悪の場合――本国に帰った可能性も考えられる」

 僕が善太郎にそう話すと、意外な言葉を返した。

「いや、そのフード男は――恐らくまだ日本にいるはずだぜ?」

 フード男が、まだ日本国内にいる? 僕はそれが疑問だったので、善太郎に質問した。

「善太郎、どうしてそう言い切れるんだ?」

 しかし、善太郎は――曖昧な言葉しか返さなかった。

「なんというか、勘だよ」

「勘なのか……」

 ぬるくなったコーヒーを飲みつつ、僕は春節祭で発生した事件と件の事件を照らし合わせる。

 春節祭で発生した事件は刃傷沙汰であり、被害者である女性は全治1ヶ月程度の怪我で済んだ。しかし、件の事件は3人の死人が出ている。――同一犯だとしても、悪質でしかない。

 ただ、言い切れることがあるとすれば――「ナイフを凶器として、何らかの方法で殺人を犯している」ということだろうか。正直言って、僕は行き詰まっていた。

 行き詰まる僕に、善太郎がアドバイスをする。

「エラリー、オレが一連の事件の犯人だとしたら――女性しか狙わないぜ?」

「確かに、被害者の性別はバラバラだが……」

「その証拠に、澤田斗和子の遺体の写真を見てみろ。――

 そう言って、善太郎は澤田斗和子の遺体の画像を指さした。――確かに、衣類は乱れていない。

 僕は善太郎の指摘に対して、「単純な答え」を返した。

「ああ、確かに。――シンプルに『殺害した』という感じだな。特に犯された形跡や荒らされた形跡がない」

「胸部はナイフで刺されたこともあって若干の乱れが見えるが――特に『そういう理由』があって衣類を乱した訳ではなさそうだぜ?」

「金目目当てではない。性的な理由があった訳でもない。――ならば、愉快犯だろうか?」

「そうだな。現時点でオレが出せる答えはそんなもんだな」

 それからしばらくは、善太郎と遺体に対する話をしていたが――矢張り、明確な手掛かりを得ることはできなかった。

 流石に事務所に長居するのも申し訳ないので、僕はさっさと帰ることにした。

「わざわざ来てくれて、ありがとな」

「いや、呼んだのは善太郎の方じゃないか」

「そうだったな。――とにかく、何か『変わったこと』があったらすぐに教えてくれ。その時はすぐに駆けつける」

 そう言って、僕は善太郎の事務所を後にして、四条通の方へと出ていった。――どうせ、京都河原町駅は見えている。

 せっかく四条河原町まで来たからには、何か食べて帰ろうかと思ったが――時刻は午後6時か。微妙だな。このまま芦屋へと帰るべきか。そう思って、僕は京都河原町駅の方へと向かった。

 京都河原町駅は――平日だと言うのに人でごった返していた。大半は観光客だが、通勤ラッシュで京都に帰宅した人もいた。――まあ、所謂「京阪神」と呼ばれるエリアは通勤圏内だから仕方がないか。

 僕は午後6時20分発の大阪梅田行きの特急に乗り込む。――どうせ、十三まで暇だ。そう思って、スマホの音楽アプリを起動した。

 善太郎の事務所に貼られているポスターを見ていると――矢っ張り、件の女性アーティストのアルバムが聴きたくなる。ここは、話に出ていた『体温』が収録されているアルバムだろうか。そう思って、僕は『体温』が収録されているアルバムを再生することにした。――久々だな。

 そうこうしているうちに、特急は大阪梅田に向けて動き出した。大阪梅田までの停車駅は――烏丸、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路、そして十三である。僕が乗り換えるべき場所は十三なので、しばらくは暇だ。

 暇を持て余すのも仕方がないので、持ってきていた『江戸川乱歩全集』を読む。確か、『妖怪博士』の途中にしおりが挟まっていたか。なんだか懐かしいな。

 *

『妖怪博士』を読み終わり、次は『少年探偵団』を読もうとしていた。特急は高槻市駅を過ぎようとしていた。しかし、茨木市駅へと向かう途中で――完全に停車してしまった。そういえば、阪急京都線は「人身事故が起こりやすい場所」として知られていたな。特に高槻市駅から茨木市駅の間は人身事故発生率が高く、度々運転見合わせになることが多かったか。時間帯を考えても、人身事故が起こるのは致し方なしだろうか。

 車窓を見ていると、大阪府警のパトカーが停まっている。――事件性のあるモノだろうか? 僕はなんとなく窓を見てみる。――あれ? あの赤い日産GTRは……。

 そう思っていると、スマホが鳴った。――メッセージの送信主は、矢張り善太郎だった。

 ――おい、エラリー。もしかして阪急に乗っているのか?

 ――もし乗っていたら、茨木市駅で下車してくれ。

 ――どうやら、高槻茨木間で運転を見合わせている原因は人身事故じゃなくて殺人事件らしい。

 ――遺体に置かれていたトランプの並びは「♢8♤8♧8♢A♤J」。所謂「スリーカード」だな。

 ということは――僕の厭な予感は的中しようとしているのか。このままだと、「ロイヤルストレートフラッシュ」も辞さないだろうか。

 そんなことを考えているうちに、電車はゆっくりと茨木市駅に向かって動き出した。

 善太郎のメッセージ通り、僕は茨木市駅で下車する。――当然だが、茨木市駅の前には善太郎の日産GTRが停まっている。

 善太郎は、僕の姿を見るなり言葉を発した。

「帰宅途中に事件に巻き込まれるなんて、エラリーもツイてないな」

「ああ、そうみたいだな。――それで、被害者の様子とかはどうなんだ?」

「それに関してだが、どうやら事情が複雑らしいぜ?」

「だから、どう複雑なんだ」

「えーっと、人身事故を装った殺人……ってところか?」

「人身事故を装った殺人か。――確かに、善太郎の言う通り複雑そうだな」

「さて、これがホトケの姿だぜ? しっかりと拝んでおけ」

 なんて不謹慎なヤツなんだと思いつつも、僕は――男性だったモノを見つめる。

 男性だったモノの胸部には、確かにナイフが刺さっていた。――今までの事件と同一犯か。

 そして、善太郎の証言通り遺体の横に置かれていたトランプは「♢8♤8♧8♢A♤J」という並びになっていた。

「それで、これからどうするんだ?」

「とりあえず、遺体を大阪府警へと引き渡す。――というか、もう引き渡しの手続きは終わっている。後は刑事が来るのを待つだけだ」

「刑事?」

「ああ、オレとも付き合いがある大阪府警の刑事だ。信頼しても大丈夫だぜ?」

 後で聞いた話だが、善太郎は京都府警や大阪府警、そして兵庫県警ともコネクションを持っているらしい。――矢張り、探偵だからなのか。

 そして、件の刑事が駆けつけてきた。刑事は、僕の姿を見て驚いていた。

「あれ、善ちゃん――友達がいたの?」

 善太郎は、刑事の質問に答える。

「そうだ。大学時代からの付き合いだぜ?」

「へえ。――そのうち、大学時代の話も聞かせてもらえるかしら?」

「それはどうだろうか。分からん」

「まあまあそんなこと言わずに。――コホン。えっと、善ちゃんの友達は私と会うのは初めてよね? 私の名前は綾瀬瑞希あやせみずき。大阪府警捜査第一課の刑事よ」

 綾瀬瑞希と名乗った刑事は、僕の顔を――じっと見つめる。

「僕の顔に、何か付いているのか?」

「ううん、何でもない。ああ、あなたの名前を聞いていなかったわね」

「僕の名前は江成球院だ。――別に、ふざけた名前じゃない」

 そう言うと、綾瀬刑事は――笑った。

「――アハハハハ! あなたの両親、相当なミステリ好きね」

「そ、その通りだ……。当然だが、『江成球院』という名前は『エラリー・クイーン』から来ている」

「エラリー・クイーンねぇ。ベタだけど『ローマ帽子の謎』が一番好きだわ。――ゴメン、こんな話をしてる場合じゃなかったわね。善ちゃん、江成くん、ちょっとこっちに来てくれる?」

 そう言って、綾瀬刑事は――僕と善太郎を呼び出した。一体、彼女は何がしたいんだろうか?

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