Phase 02 明智善太郎という男

第5話

 カフェを後にしたところで、仁美は僕を岡本駅まで送ってくれた。

「それじゃ、何か分かったらまた連絡して」

「そのつもりだ」

 改札口を抜けた所で、大阪梅田行きの普通電車が停まっている。――特急だと通り過ぎてしまうので、丁度良かった。

 芦屋川駅に着くまでの間に色々と考えるつもりだったが、矢張り1駅程度じゃ何も考えがまとまらない。

 仕方がないので、僕はアパートに戻ってから改めて事件を整理することにした。

 善太郎のスマホから送られてきたメッセージによると、高槻市駅の殺人の被害者はこんな感じだった。

 ・被害者 一橋徹也いちはしてつや

 ・年齢 27歳

 ・職業 システムエンジニア

 ・遺体の状態 「♤2♡2♧8♢Q♤7」という並びのトランプが置かれていた

 ――まあ、こんなところだろうか。「一橋」という名字だからワンペアだとしたら、犯人は意外と安直な考えを持っているのだろうか?

 一応、善太郎曰く「大阪府警には連絡した」とのことだが――正直言って、府警に任せるべきだと思う。僕達の出る幕ではない。

 とはいえ、矢っ張りこうなると言い出しっぺである善太郎のためにも事件の解決に向けて協力しなければならない。――難しいな。

 ダイナブックを開きつつ、僕は『血塗られたこけし』の原稿を書いていた。進捗状況は全体の75パーセント程度であり、そろそろ脱稿といったところだ。

 見立てを「ポーカー」にしてしまったが故に、実際の事件と被ってしまったことになる。最悪の場合、根本から原稿を書き直す必要があるのだろうか? いや、矢っ張り現状維持か。

 スペードのロイヤルストレートフラッシュを遺体の見立てに使って、「スペードのA」だけアイデアが浮かばない状態だったが、なんとなく――「凶器であるナイフでトランプを刺す」というアイデアを思いついた。トランプを使った見立てとしては基本的なモノであるが、このナイフに付着していた指紋で犯人を特定するということにした。要するに――ミステリ小説でよくある「完全犯罪の不完全な部分」と言ってしまえばいいのだろうか。どうせ、完全犯罪なんてこの世に存在するはずがない。

 そもそもの話、僕は「完全犯罪」という言葉があまり好きではない。――そんなこと、現実的にあり得ないからだ。

 僕は、どんな犯罪にも「不完全」な部分があると思う。警察による捜査の精度が向上した結果、これまでないぐらい犯人の特定は早くなった。――刑事事件における「時効制度の撤廃」も大きかっただろうか。

 つい先日、長年に渡り逃走していた爆弾魔が逮捕されたというニュースを目にした。その爆弾魔は末期の胃癌であり、「最後ぐらいは警察のお世話になるべきだ」と思っていたらしい。どんなに身分を誤魔化していても、「自分が罪を犯した」という事実は誤魔化せない。まあ、そういうことなのだろう。

 もちろん、一連の事件の犯人はきっちりと捕まえないといけない。――もっとも、捕まえるのは僕達じゃなくて警察の仕事なのだけれど。

 そうこうしているうちに、ホームチャイムが鳴った。――午後6時か。

 ケーキが胃の中に残っていて、そんなに食欲がある訳ではない。もう少しだけ『血塗られたこけし』の原稿を書くとしようか。

 無音状態じゃつまらないので、なんとなく――サブスクで適当な音楽を垂れ流す。僕は古いタイプの人間なので、新しい音楽に馴染めない。故に、サブスクで聴く音楽も――25年前ぐらいの「古い音楽」が多い。

 そんな「古い音楽」を垂れ流しつつ原稿を書いていると――閃いた。

『血塗られたこけし』に登場する被害者の名前はそれぞれトランプの柄に因んだモノであり、「スペードの10」は十亀聖子とがめせいこ、「スペードのJ」は宮川若冲みやかわじゃくちゅう、「スペードのQ」は多田川綺咲ただがわきさき、「スペードのK」は加賀獅子王かがししおう、そして「スペードのA」は二野前一歩にのまえはじめとした。――我ながら、センスがまるでない。

 この貴重な閃きをなんとかしたい。そう思った僕は、メモ帳で適当に殴り書いていく。いかにして犯人は殺人を犯すか? いかにして探偵――浅賀善太郎はこの殺人事件を解決するのか? そこに至るまでのフェーズを、なんとなくテトリスのように当てはめていく。――いや、テトリスだと一列に並ぶと消えてしまうか。

 *

 そういう訳で、原稿は午後9時まで書いていた。流石にお腹が空いたので、僕はキリのいいところで原稿を書き終えて、カップラーメン用のお湯を沸かした。

 カレーラーメンにお湯を入れて、3分待つ。この3分という時間の間も「小説を書きたい」という気持ちでうずうずしていたが、流石にそんなことをしてしまうと麺が伸びてしまう。スマホのタイマーが鳴った所で、僕はカレーラーメンを啜った。

 カレーラーメンを啜っていると、少し噎せてしまった。――辛かったのだ。まあ、美味しいからいいのだけれど。

 そして、この間にも――僕は小説のアイデアと一連の殺人事件の推理を同時進行で行っている。一連の殺人事件が僕の小説のプロットに似ているから当然だろうか。

 一連の殺人事件と『血塗られたこけし』のプロット――どちらが先かは分からないが、とりあえず今のフェーズで言えるのは、「僕が書いているプロットをトレースした殺人」であることだ。――まさか、犯人は善太郎なのか? いや、仁美という可能性も考えられるか。どっちも考えたくないのだけれど。

 カレーラーメンを食べ終わった所で、とりあえずシャワーを浴びた。シャワーを浴びた後で、僕はまた『血塗られたこけし』の原稿を書いていく。

 結局、その日は日付変更線を越える少し前まで原稿を書いていただろうか。眠くなってきたので、ベッドの中に入った。

 しかし、これは僕の悪いクセなのか――ベッドの中に入ると。却って目が覚めてしまう。だからってスマホを触ると不健康だし、起き抜けにダイナブックを起動する訳にはいかない。ああ、どうすべきだろうか? ――こんな時は、本を読むに限るか。

 本棚から出したのは――『江戸川乱歩全集』だった。我ながら、そっちに引っ張られている。まあ、『少年探偵団』シリーズなら気軽に読めるか。――明智善太郎に、小林仁美か。別に意識しているつもりはないが、矢っ張り「明智」と「小林」という名前が並ぶと色々と考えさせられる。

 かくいう自分も「江成」という名字であるが故に「球院」という名前を付けられてしまった。一歩間違えばキラキラネームである。両親が「キラキラネームじゃないギリギリのライン」を突いた結果――僕は「江成球院」という名前になったのだ。

 結局のところ、『妖怪博士』の途中で眠くなってきた。――スマホを見ると午前2時だったから、当然だろうか。子供心に『妖怪博士』の展開は怖くて「夢に出そうだ」と思っていたが、特にそんな夢を見るわけでもなく――普通に眠っていた。多分、夢は見ていたのだろうけど、どんな夢を見ていたかは覚えていない。

 *

 スマホのアラームで目を覚ます。――午前7時30分だった。

 トーストを焼いて、目玉焼きを作る。普段はトースト1枚で済ませることが多いが、その日はなんだか目玉焼きが食べたくなった。ちなみに、目玉焼きはしょうゆ派である。

 朝食を食べつつ、高槻市駅で発生した殺人事件の詳細を調べる。――ニュース記事を読む限り、矢張り「淡路駅と長岡天神駅で発生した2つの殺人事件との共通点が多い」という見解を示していた。当然だろう。僕もそう思うぐらいだ。

 善太郎から入手した情報と、一連の事件を照らし合わせる。――トランプの配列が鍵を握っているのか。最初の2つはノーカンだとしても、矢張り「一橋徹也のワンペア」が気になる。このままだと、「ワンペア→ツーペア→スリーカード→ストレート」となるのか?

 しかし、僕が『血塗られたこけし』において遺体の見立てを行ったのは「ロイヤルストレ―トフラッシュを完成させるため」であり、別に遺体の横にトランプを並べている訳ではない。これが一連の事件と僕の小説の根本的な違いである。

 世間様は月曜日だが、僕は小説家なので曜日の概念はあまりない。――それは善太郎も同じだろうか。そんなことを思っていると、スマホが鳴った。

 当然ながら、スマホのメッセージの主は善太郎からだった。

 ――エラリー、暇か?

 ――もし暇だったら、京都まで来てくれないか?

 ――とりあえず阪急の京都河原町駅まで来てもらったら、後は案内するから。

 そうか。――悪くないな。そう思った僕は、善太郎のスマホに返信した。

 ――丁度善太郎に会いたいと思っていたんだ。

 ――今すぐ向かうから、待っていてくれ。

 これでよし。

 鞄に入れるのはダイナブックとメモ帳、そして『江戸川乱歩全集』だけでいいか。そう思いながら、僕は芦屋川駅の方へと向かう。――丁度電車が来ていた。

 これから、僕は1時間に及ぶ長旅を強いられることになるのか。そう思いつつ、スマホで「25年前に流行った女性アーティストの名盤」を再生することにした。

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