第1話 如月春夏③

 慎重に校舎内を歩いて進んでいく。昼間とは打って変わって静けさに包まれており、不気味な雰囲気が辺り一面を覆っていた。


 いつもより長く見える廊下はどこまでも続いているようで、廊下を照らすのは月明かりと火災報知器の赤いランプのみ。それがまた不気味さを際立たせており、別の世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚させる。


 一応、俺の尊厳のために伝えておくと俺は決してビビっているわけではなく、ただ単にホラーが苦手というだけで、ビビっているわけではない。


「どうだ?」


 横を歩く如月に尋ねる。如月は特に怯えている様子もなく、校舎内をキョロキョロと見渡していた。


「懐かしい……感じはします。でも、思い出せるかどうかは分かりません」


 まぁ、期待はしていなかった。たったそれだけで思い出せるのだとしたら苦労もしないし、ここまで考えることもなかっただろう。もしもそうなら如月と適当に散歩をしていれば記憶は全部戻っているだろうからな。


 ただ、懐かしい感じがするのなら如月はこの学校に通っていたというのは間違いないかもしれない。


「あ、ここ」


「ん?」


 そして、如月は立ち止まる。一階のちょうど中央辺りの教室で、奇しくも俺のクラスである。


「覚えている気がします。ドアは……」


 言いながら如月は扉に手をかける。しかし「ガン」という音がなり扉は開かない。


「戸締まり意外としっかりしてるんだな」


 だが、如月は諦めずに窓から中を覗く。何も言わずに教室の中をじっと見つめ、俺は黙ってそれを待っていた。数秒、数十秒、数分、そうしていた。


「間違いないです。私はこの教室に……いました。とても断片的ですけど、それでも絶対に」


 やがて確信に変わったのか、如月は視線を俺に向けてそう言った。それはつまり、仮説は正しかったということになる。如月は俺と同年代ではない……いくつか年上の存在ということ。


 まぁ、そもそも幽霊という存在自体に年齢という概念が当てはまるかは微妙なところだが。死んだ瞬間に年齢が固定されるのなら、やはり歳はそう変わらないか。


「他にも見て回っても良いですか?」


「そろそろ慣れてきたし、いいよ。気になるところとかあるか?」


「そうですね……屋上とか」


「屋上か」


「施錠されてますかね?」


「されてるはずだけど、行ってみるか」


 俺たちはそのまま屋上へと足を進める。階段を一歩ずつ登るたび、ひんやりとした空気が一段と強くなってきた。


 もしも見られたとしたらなんて言い訳をしようか。周りから見れば俺は一人なわけで……適当に忘れ物をしたとでも言おうか。


 大問題にはなって欲しくないな。一応転校してからこれまでの間、当たり障りのない生徒……居ても居なくても変わらない人間として周りからは見られているだろうし。


 何より、親戚に迷惑をかけるのだけは避けたい。身寄りのない俺を引き取ってくれた優しい人だ、あまり会話をしたことはないけど……俺のことを気にしている様子だし。


「しまってますね」


 そんな考えをぐるぐるとしていたところ、気付いたら屋上へ繋がる扉の前に立っていた。が、如月の言う通り扉にはしっかりと鍵がかけられている。


 簡単なガラスの引き戸。もちろんピッキングの心得なんてないし、ガラスを割って開ければそれこそ大問題になってしまう。


「鍵がなくても大丈夫なんだよ、ここ」


「え、そうなんですか?」


 言いながら俺は扉に触れ、上に持ち上げるようにして横にずらす。すると、予想よりも簡単に扉は少しの音を立てて開かれていった。


「おお……本当に簡単に開いちゃうんですね」


「みたいだな」


 というのも、周りで話していたのを聞いただけ。俺にはそんな耳寄り情報を提供してくれる友達なんていなければ、学校で話す相手もいない。悪く言えば盗み聞きということ。


 ま、俺の席の横でそんな耳寄り情報を話していた奴らが悪いということで。


「そういえばさ」


 開いた扉をくぐり抜けながら俺は如月に尋ねる。


「幽霊なら扉とか関係なく抜けられるんじゃないの?」


「……盲点でしたね。あとで試してみましょう」


 試してなかったのかと聞きたくなるが、堪えておこう。ここまでのやり取りで如月に対しての評価は「どこか抜けている」「感情が豊か」「結構強引」といったところか。とは言っても嫌な感じは全くせず、如月が感じた通りこの学校に通っていたのなら友人も多かったのではないだろうか。


 まるで俺とは真逆の存在だ。行動や性格から考えるに恐らく友人が多く、充実した学校生活を送っていたであろう如月。反対に俺は友人なんてものはおらず、お世辞にも充実した学校生活とは言えない。


 そんな如月は幽霊となってしまって、俺はまるで幽霊かのように生きている。


「あ」


 屋上に出て少し歩いたところだった。如月は声を漏らし、立ち止まる。俺はそんな如月の様子を横で見ていた。


 見ていた、はずだった。




「春夏!うまく抜け出せた?」


 声がした。そちらへ視線を向けると、一人の女子生徒が屋上に座ってこちらに向けて手を挙げている。気付けば辺りは昼間になっていて、暖かい日差しが差し込んでいた。


「なんとか……でも本当に大丈夫?バレたらきっと叱られちゃうよ」


 次に声のした方向を見ると、如月がいた。如月は制服に身を包んでおり、黒く長い髪を手で抑えながら屋上へと今来たところだ。当然、俺の横にも如月はいる。如月はそんな様子をただ呆然と眺めている。


 ……一体どういう現象だ、これは。もはや幽霊と会話をしてしまっているし、見てしまっているし、どんなことが起きたとしても驚きはしないけど。


 これはもしかして如月の記憶か?だとしたらどうして俺が見ているんだ?


「だーいじょうぶ大丈夫。そうそうバレないし、バレたことないし」


「本当に?なら良いけど……」


「そんなことより、お昼食べよ。今日はなんと……春夏の好きなサンドイッチ!」


「え、――――ちゃんが作ってくれたの?」


「そうだよ~。しかも中身はもちろん……」


「甘い卵焼き!一番好きなやつ……!」


 二人は笑って、楽しそうに横へ座る。俺はその光景を見て空を見た。太陽はちょうど上を指していて、気温の暖かさから春から夏にかけてのことだろうか。


 ざ、という音が頭に響く。同時に視界にノイズが走り、目の前の光景は崩れていく。気付けば目の前には暗く、何もない屋上が広がっていた。


「今のって、如月の記憶だよな?何か……」


 思い出したか、そう聞こうとして俺は口を閉じる。横で同じ光景を見ていた如月の瞳からは涙が溢れていたからだ。


 如月は今、何を感じているのだろうか。もう二度と戻らないその日常に対しての後悔だろうか。それとも少しずつ記憶を取り戻している感動だろうか。


 俺には分からない。ただ、今は何も言わずに黙って待っていた方が良いだろう。




「すみません、もう大丈夫です」


「ん、そっか」


 しばらくの間、如月は何も映らない屋上を眺めていた。俺はその横で壁に背中を預け、如月が落ち着くのを待っていた。


「さっきの……相馬さんも見たんですよね」


「ああ、そうだな」


「私の記憶です。確か、あの日は友達に呼ばれて……屋上に行って。お昼を一緒に食べることにしていたんです」


 如月は少しずつ話し始める。あの光景を見て、それがキッカケである程度の記憶が戻ったのだろう。


「屋上は立入禁止で、それでも開ける方法があって。一緒だったんです、さっき相馬さんがやってくれた方法と」


「そうか」


「教師にバレないといいなと、ドキドキしてました。それと、悪いことをしているのにちょっとだけワクワクしてたんです」


「そういうもんだろ」


「でも」


 如月は続ける。声は少し、震えていた。


「忘れていました。きっと私の中で大切な思い出のはずなのに……忘れてたんです」


「今もまだ、ハッキリと思い出せません。他にもたくさん、たくさんあった気がして……なのに、まだその友達の名前すら思い出せないんです。思い出さないと、急いで思い出さないと」


 俺には分からない。俺にはそんな思い出なんてないし、覚えているのは家のことくらいのものだ。いつも喧嘩して、俺を捨てていなくなった家族のこと。そんなことばかりで友達との楽しい思い出なんて記憶にはない。


 ただ。


「ゆっくりで良いだろ。焦る必要でもあるのか?」


「でも、そうしないと」


「時間なんていくらでもあるんだし、気長にやればいいさ」


「私はそうです。私は大丈夫ですけど……相馬さんの時間があるじゃないですか」


「だから、いいって。如月に協力するのには俺のメリットでもあるから」


 今のところ、果たして本当にメリットと言えるかどうかは分からないけども。それでも良いと思ったんだ。


 如月春夏に協力し、今日のように如月の記憶を見ることはもしかしたらそれ自体がメリットとなるかもしれないと感じたから。


 さっき見た記憶。あれがもしかしたら普通の姿なのかもしれないと、そう思ったのだ。俺が目指す普通に生きること、普通に生きていくこと、それは如月の記憶を見ることでより近づけるのかもしれないと。


「相馬さんって、ツンデレですよね」


「ちげえよ」


 俺が言うと如月は口元を抑えて笑う。先ほどまでの泣きそうな、死にそうな、いかにも幽霊がしていそうな表情の如月はそこにはいない。


「そろそろ戻りましょうか。こんな夜遅くに居ないことに気付いたら家の人も心配するでしょうし」


「そうだな。まぁ寝てると思うけど」


 如月の記憶を取り戻す話。如月が幽霊となった原因を探す話。しばらくかかりそうなそれは、ゆっくりと進めていこう。


 一歩ずつ、着実に。


 ここからは余談。


 それから家に帰った俺たちを待っていたのはしっかりと起きて玄関前で仁王立ちする双葉さんだった。


 出会うや否や頭をこつんと叩かれてひと言。


「出掛けるなら出掛けるで言うように。分かったか?」


「……すんません」


 怒っている……とは違った気がする。俺が知っている人たちの怒り方というのはとても理不尽で、もっと暴力的で、有無を言わさないものだったから。


「体冷えてるだろ。風呂に入ってしっかり寝るように」


「はい」


 それだけ言うと、双葉さんは満足したように頷いて自室へと戻っていく。それを見ていた如月から声がかかった。


「良いお父さんですね」


「……いや、父親じゃないよ」


「そうなんですか?」


「ああ」


 如月にも事情は話しておいた方が良いのだろうか。だが、俺にこうして取り憑いてしまっている以上、そのうち如月も気付くことになるはずだろう。


 わざわざ俺から言う必要もないし、聞かれたときに答えるくらいで良いかもしれない。


「あ、お風呂に入ったらしっかりと髪を乾かしてくださいね。髪に悪いですし、風邪の原因にもなってしまうので」


「はいはい」


「それと長風呂もダメですよ。逆に体への負担になってしまうこともあるので。何事も適度が一番ということですね」


 うんうん、と腕を組みながら言う如月。一体どの目線から物を言ってるのだろうか。


 それとちなみに余談の余談。


 如月は結局、ほとんどの人が想像する幽霊のように壁を抜けたりすることはできなかった。わりと不便なそんな幽霊。感情が豊かな幽霊なのだ。

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幽霊な君と、幽霊みたいな俺 @nekonotete

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