第14話

 家に帰るころにはもう夜になっていた。

 電気もつけずに寝っ転がりながら熟考した。


 僕が友里に付いてきてと言っても警戒してこないだろう。翔真に報告されても面倒だ。拉致するっていう手もあるが移動手段がない。免許も持っていないし、タクシーで行くのは運転手に通報される。


 茉実は確か合宿で取ったって言っていたな。だけど犯罪に彼女を巻き込むわけにはいかない。


 視線を感じて何気に横を見ると息を呑んだ。転がっていたうさぎのぬいぐるみが僕と目が合うと立ち上がってドスドスと歩いてきたのだ。履いている花蓮のショーツが生々しさを倍増させている。動くうさぎと言うよりは動くパンツと言った方がいい。 それほど目立っていた。

 顔の横まで来て止まった。僕は勢いよく起き上がった。


「そう君。それはダメだよ」


 うさぎが僕を見上げて喋った。


「へ?」


 夢を見ているのだろうか。


「友里ちゃんのことあの子の所に連れて行こうとしているんでしょ」


 うさぎが僕の太ももに両手を置いて揺すっている。

「そんなことしたら茉実ちゃん、私と同じ目にあっちゃう」


 もしこれが夢なら、目を覚ましたくないと思った。だって彼女は、


「……花蓮か」


 そう君と呼ぶのは花蓮しかいなかった。


「うん」 


「なんでそこに」


「そう君の所が一番安全だと思ったから。それにこれに入りやすかった」


 いつから――と聞こうとしたが、それは聞かない方がいい気がした。

 僕がショーツをちらちら見ていると花蓮もその視線に気づき、下を見るなり叫んだ。「なんでこんなの履いてるの。えっ私の部屋から持って来たの?」


 疑いの目を向けられる。それに今気づいたということははかされた後に入ったのだろう。茉実との行為を見られていないようでホッとした。


「鈴奈ちゃんが持って行けって」


「他にもあるでしょ。なんでよりにもよってこんなものを。そう君困らせて。もう」


 下着を持っていくことはいいのか。論点がズレている気がする。

 そんなに嫌ならと、僕が脱がそうとすると、その手を抑えてこのままでいいと言った。


「これやっぱ返した方が」


「そう君に見られるの恥ずかしいけど嫌ではないから」


 そう言いながら手で隠し、足をもじもじさせている。

 僕は大きめのハンカチを腕の下に巻いてあげた。ちょうど隠れる長さだ。


「これだったらどう」


 うさぎがくるりとまわる。動くと隙間から見えた。


「うん、いい」


 うさぎの花蓮が足の上に乗ってきた。


「僕に連絡くれたのは花蓮?」


 花蓮が友里になっているのもおかしいし、ルルちゃんの存在もおかしい。このうさぎも。でも今更それを考えていても仕方がない。考えても答えが出ないことなのだから現状を受け入れるしかない。


「そうだよ、時間かかっちゃったけど」


「なんですぐ助けに来てって言わなかったの」


「ルルちゃんの力が弱まると私の力が出てくるからギリギリまで待ったの」


「僕は、花蓮さえ戻ってきてくれればそれでいい」


「そう君」


 花蓮が短い手を伸ばして抱きついてきた。


「でもそう君がやろうとしていることはダメだよ」


 その時、インターフォンが鳴った。出ると、茉実だった。


「電話出てよ」


 僕を押しのけて部屋の中に入ってきた。ご立腹らしい。いろいろあり過ぎて茉実のことをすっかり忘れていた。

 確認すると着信がニ十件も来ていた。


「こんな暗闇で何してんの」と落ちているうさぎのぬいぐるみを持ち上げた。


「なんでこんなの巻いてるの」


 巻いてあげたハンカチを乱暴に取った。


「これ見ると花蓮さん思い出すから?」とうさぎからショーツを脱がして、うさぎを床に落とした。花蓮はぬいぐるみのふりをして動かなかった。僕がこっそり鈴奈からもらったところを見ていて、これに履かせたのは茉実だ。これを見た時から彼女がやったという確信があったが、何も問わず、脱がしもせずそのままにしていた。彼女も彼女でなにもこれには今まで触れなかった。


「そんなに花蓮さんとしたいなら、私が代わりをしてあげる」

 と、下を脱ぎ棄て花蓮のをはいた。じっとしていたうさぎが下の方で僕の足を手でポカポカ叩いて抗議をしていた。


「私のこと花蓮さんだと思ってやっていいよ」


「おい、どうしたんだよ」


「私じゃなくて花蓮さんがいいんでしょ。だからこれからは私が花蓮さんの代わりになってあげる」

 と言い、首に腕を回してきてキスをしてきた。花蓮が見ている前で。


 放そうとするが体をびったり押し付けてきて、さらに激しくキスをされる。花蓮に見られていると思うとぞくぞくしてきた。下を見ると、花蓮はスマホから花を摘まもうとしていた。


「やめろっ」


 僕は茉実を勢いよく押しのけ叫んだ。転がるようにしてスマホを守った。


「痛っ……たい」


 茉実はベッドから落ちていた。


「もういきなりなんなの。そんなに私じゃだめなの」


「ごめん、茉実」


「謝んないでよっ」


 茉実は出て行った。

 追いかけようとしたら、足を掴まれた。下を見るとうさぎがしがみついていた。


「行かないで」


 今ここを離れたら花蓮がまたどこかへ行きそうな気がして、僕はとどまった。茉実ならあとで事情を離せばわかってくれると思った。



 もう期限の二週間が近づいて来ている。ベッドの上で隣にはうさぎの花蓮がくっついて寝ていた。家にいるときはずっとくっついて来ていた。あの下着はもう見たくないからと今はハンカチだけ巻いている。


 頭の中であれこれ考えてみたが何も実行に移せずにいた。

 殴って鞄に詰めて運ぶのもありだなと大きなスーツケースを持って行こうとしたら花蓮にスーツケースの取っ手を壊されて断念させられ、翔真に何かしたと言って呼び寄せるのもいいなと思って連絡したら、その翔真が隣にいて嘘だとすぐにバレてしまった。このままでは花蓮が戻れなくなってしまう。


「ねえ、そう君。こうやって二人で暮らしていると新婚さんみたいだね」


「どこがだ。僕にはただの喋るぬいぐるみにしか見えない」


「むー。私のパンツ取っていったくせに」


「だから、あれは鈴奈ちゃんが」


「断ることだってできたでしょ」


「えっ、まあそれは」


「ほら。そう君も男の子なんだよ。女の子の下着見たら興奮しちゃうんだよ」


「違うよ。あれは花蓮のだったから……」


 思わず言ってしまった。口をきゅっと噤んだ。


「……わかった。元に戻れたら、ちゃんと見せてあげるね」


 それから花蓮はベッドの上にダイブし、毛布の中にうずくまってしばらく出てこなかった。


 茉実はあれ以来連絡を寄こさなかった。あの日あったこと、友里がしたこととルルちゃんのこと――花蓮がうさぎのぬいぐるみに入っていることは伏せたが——を彼女にも知らせておきたくて、メッセージで送ったが無視されていた。


 茉実がこの部屋を出て行き、それを追いかけるのをやめた時に発生した胸のざわめきが日に日に大きくなっていく。

 彼女が発するどんな罵倒も怒りも感情もこの胸で受け止めてやりたいのに、虚しさだけが僕を抱きしめてくる。




 とりあえず友里のことを尾行することから始めた。彼女は学校から帰ったら翔真と会ったり、塾に行ったりしていた。

 

 だが、今日は友里の様子がいつもと違っていた。学校に行かず、家から出てこなかった。具合でも悪いのだろうか。


「もう学校始まってる時間なのにね」


 鞄から顔を出す花蓮。自分も行くときかなかったので仕方なく連れてきていた。


「顔引っ込めておけって。誰かに見られたらどうすんの」


「そう君が変人だって思われるだけ。しかも高校生を付け回しているし」


「それはな――」


 友里が家から出てきた。制服ではなく普段着を着ている。

 スマホを握りしめ、駅に向かって行った。学校方向とは反対の電車に乗った。気付かれないように車両を一つずらして同じ電車に乗った。その時――。あれから連絡が来ていなかった茉実から一通の写真付きのメッセージが送られてきた。


 あの砂浜にいる翔真の後ろ姿だった。あそこに彼は今、茉実といる。

『一足お先に』と一言添えられていた。

 友里は何度も不安そうにスマホを見ている。きっと茉実が友里にも写真を送ったのだろう。



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