第9話

 こういったことが前にもあった。そのときは花蓮をひどく泣かせてしまった。


 それは小学五年生のころ。

 花蓮が女子たちの標的にされていたときがあった。


 リーダー格の女子の好きだった子が花蓮に告白してきて、花蓮はあっさりと承諾してしまったのだ。


 それで恨みを買い、いじめにあっていた。別れればいいのにと言ったが、花蓮は拒否した。そんなに魅力的でもない男子にどうしてと問いたら、「そう君のこと褒めてたし、気が合うかなって」


 それに……と少し言いにくそうに「後ろ姿がそう君に似ているから」と答えた。それがいじめを耐えてでも付き合う理由なのかと思った。花蓮の考えていることは全くわからなかった。


 花蓮がめげずに付き合い続けている頃、女子のリーダーが我慢ならず花蓮を放課後呼び出し裏で痛めつけていた。


 花蓮が鞄を取りに教室に戻ってきたときの姿を見て僕は絶句した。誰にやられたなんて言わなくてもわかる。場所も見当がつく。あの女たちがいつも放課後たまり場にしている場所だ。僕は走っていた。今思えば、あのとき、傷ついた花蓮を保健室に連れて行くなどして介抱してあげればよかったと思う。


 花蓮も僕を止めようと追いかけてきた。

 あの女たちはまだそこにいた。花蓮の悪口を言って笑っていた。


 僕はリーダー格の女を勢いよく蹴飛ばした。そして踏みつける。白いブラウスが足裏についていた砂で汚れていった。


 取り巻きの女子たちは先生を呼びに行こうとしたが、それを僕は背中を蹴りつけて阻止した。


 花蓮がやめてと叫ぶと、強制終了された機械のように僕は止まった。振り返ると花蓮は泣いていた。この女子たちにどんなに酷いことをしても泣かなかった花蓮が泣いていた。


 そのあと親たちも呼ばれる騒動になったが女子たちは服が汚れたくらいで一番酷かったのは花蓮だった。花蓮は顔と体、数針縫った。女子たちの親は謝る一方で僕は後で先生と親から怒られただけだった。


 花蓮は帰り際に言った。


「ありがとうなんて言わないから。あんなことされてもうれしくない。私はただ、そう君にそばにいてもらえたらそれでよかった」と。


 僕はその時、心に誓った。この先どんなことがあろうと、花蓮を泣かせることだけは絶対にしないと。




 無理に笑って、僕を心配させないように明るく振舞おうとする茉実を軽く抱き寄せた。


「ごめん」


 僕の心を乱すのはいつだって花蓮だった。茉実は忘れていたものを引き起こさせる。

 

 茉実は泣きながら「うん」と少しうれしそうに言った。


 僕は身体の全てが彼女と合わさるようにさらに強く抱きしめた。彼女の熱い息が胸に伝わり、ふわふわの髪が僕の首をくすぐる。髪をぐちゃぐちゃにかき乱して、僕の胸に顔を埋め込みたくなったが触る寸前のところで止めた。手の甲から血が出ていて、赤く腫れているのが目に入ったから。すっかり痛みを忘れていた。


 この細くて繊細な髪に交われるほど僕の手は清らかではなかった。

 ピッタリとくっ付けたお互いの体に隙間なんてないはずなのに僕らの間には手を伸ばしても互いを捕らえられないほどの空間が出来上がっていた。その空間は花蓮が消えてできてしまった穴よりも大きく、幼稚園で掘っていたあの穴よりも深かった。


 僕にはもうその穴を埋める術を持ち合わせていなかった。茉実の涙が僕らの穴に落ちていく。

 





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