第7話

 テレビ台の下に転がっているうさぎのぬいぐるみがこっちをじっと見ている。僕も横になり目線を合わせてじっと見つめ返す。


 これは花蓮にクレーンゲームで取ったからともらったもので、立っている耳も入れると膝くらいの位置まである。そのうさぎがなぜかこっそり鈴奈から受け渡された花蓮のパンツを履いていた。


 大切に箪笥の中へしまっておいたはずなのにどうしてそんなところに――。


 その時スマホが鳴った。見ると花蓮からだった。もう来ないと思っていたから驚いて落としそうになった。


『やっほー』


 それだけだった。


『どこにいるの』

 と葬式の時に送った同じ内容を返したがしばらく待っても前回同様既読にはならなかった。



 今日は翔真に会いに行く日だった。事前に連絡してカフェで落ち合うことになっている。いきなり花蓮のことを聞いてくる見知らぬ男からの電話に警戒心を滲ませていたため、初めは断られたが、三日後に向こうから連絡してきた。


 僕が「あなたのことを花蓮からよく聞かされていた」と言ったからだろう。もちろんその頃は僕と花蓮の関係は他人同然だったから翔真のことは噂程度でしか知らない。


 でも彼は自分に都合のよくないことを言われていないか気になったのだろう。“現”彼女の友里さんにも話をしたいと言っておいた。「現」と言うところを意味ありげに強調して言った。


 危ない人っぽいし、蒼汰君、情報聞き出すの下手そうだし、と茉実も同席することになった。その方が僕も少し安心だった。なぜだか茉実といると少し強い自分になれる気がする。

 彼女とは指定のカフェの最寄りの駅で待ち合わせをしている。



 駅に着くと、茉実はもう来ていた。

 ひざ丈の柔らかそうな淡いクリーム色のスカートにまだ九月に入ったばかりで残暑は続くが季節を先取りした薄手の秋色のカーディガンを羽織っていた。肩の上で髪がスカートと同じようにひらひらと風を受けている。ゆるふわにセットされた後頭部を見るとつい手を伸ばしたくなる。


 こうやって改めて見ると茉実はスタイルもいいし、服のセンスもいい。朗らかでいて、落ち着いていて大人っぽい面もある。狙っている男は結構いるだろう。


 それなのになぜこんな愛想も取柄もない自分と一緒にいたがるのか不思議に思えた。すぐにでも別の男がよってきそうなのに茉実は僕と別れようとはしない。一途に僕のことを見ていてくれる。


 それは周囲が見てもわかるほどだ。こんなかわいい子、どうやって落としたんだとか聞かれるが何もしていない。彼女の方から「付き合おう」と言ってくれて、僕は他にすることもなかったから二つ返事で頷いた。


 付き合ってからも誕生日に指定されたものを買ってあげるだけで特別なことは何一つしていない。あんな美人に惚れられて優越感に浸れるだろと言われるが全然だ。ただ彼女が僕といたがるのに断る理由がないだけ。彼女が僕に飽きてくれるのをどこかで待っている自分もいる。


 彼女に若い男が話しかけてきていた。ナンパだろうか。きっぱりと断ればいいのに彼女はその男に笑顔を向けている。


 僕の意思とは関係なしに勝手に心が毛羽立った。その立ち上がった毛を一本一本抜いていきたくなった。痛みでいつもの平坦な自分に戻れるように。


 男が諦めて立ち去り、茉実に声を掛けようとした時、またスマホが鳴った。

 花蓮だった。


『そう君の彼女可愛いね』


 心臓が一瞬だけ止まった。今どこかでここを見ている。花蓮が近くにいる。

辺りを見渡したが花蓮らしき人は居ない。

 スマホを握りしめ突っ立っていると茉実が振り返り、僕に気付いて手を上げた。


「蒼汰君」


 溢れんばかりの笑顔を向けられて、つい後ろを振り返りそうになる。その笑顔が僕に向けられたものなのか確信を持てなくて。

 僕はスマホをしまい、笑顔を作って茉実のところへ行った。


「待った?」


「ううん」と彼女が首を振る。ふわっと動く髪からシャンプーらしき可憐な香りが漂ってきて僕の鼻孔が無意識に膨らんだ。またまた無意識に頭に鼻をつけ、ダイレクトに嗅ぎたくなるがそれはさすがにやめておこう。

 だけどこれはいいだろうと、茉実の手に自分の手を絡めた。


「行こっか」


 茉実は目を見開いて僕の顔と手を交互に見ていたが「うん」と目がなくなるくらいの笑顔で言った。


 自分から手をつなぐのは初めてだった。手のひらに尋常じゃないほどの汗が湧き出てくる。でもこれは義務でやっているのだと自分に言い聞かせた。茉実が他の男の獲物にならないように彼女のためにしているのだ。決して彼氏づらをしたくてしているのではない。


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