第6話
「――え。蒼汰兄ちゃん?」
見開かれた目線が下へ行くと鈴奈は息を呑んだ。叫ばれるかと思ったが、彼女は黙ってそれをじっと見ていた。
「――ッ、茉実!」
茉実が我を取り戻し、固定していた手をほどいた。花蓮のショーツが鈴奈との間に飛んだ。僕は急いで服を着た。
「これお姉ちゃんの」と鈴奈は投げ飛ばされた伸びたショーツを手に取った。
「お姉ちゃんの下着見つけてムラムラしちゃったの?」
「いや、違うんだ」
それからニコッと笑い、
「蒼汰兄ちゃん、やっぱりお姉ちゃんのこと好きだったんだね」
なぜ、そうなる。それにそれを茉実の前で――。
彼女は下唇を噛み、居心地悪そうに立っていた。
鈴奈は茉実のことは眼中に入らないようだった。
「二人はお似合いだってずっと前から思っていたんだ。お姉ちゃんもビッタリだったし」
「それはずっと前のことだよ。高校からは全然」
鈴奈はちらりと茉実を見て言った。
「ふーん。でもお姉ちゃん家で蒼汰兄ちゃんの話ばかりしてたよ」
「え」
僕がその話に食いついたからか鈴奈は得意げに言った。
「そう君とどこここであったとか、そう君が何々してたとか」
「まさか」
花蓮は僕と会っても他人のように素通りしていた。それは僕もそうしていたが。鈴奈は強い口調で言った。
「ほんとだよ。お姉ちゃんはずっと蒼汰兄ちゃんのこと好きだったんだから」
心が疼いた。だけど、そんなことはあり得ない。花蓮はいつだって他の男といた。僕はただの幼馴染でしかない。それに――。
「……そんなことないよ。僕とは釣り合わない」
「私にはお姉ちゃんには蒼汰兄ちゃんしかいないと思うけどなあ。本人に聞いてみたら?」
――え。
「お兄ちゃんにも連絡来てたでしょ? お姉ちゃんから」
「え、うん」
僕だけじゃなかったんだ。鈴奈にも届いていたのだ。
「あれは本当に花蓮から……なら花蓮は生きているの?」
「そうだよ。私はあんな偽物信じないから」
「鈴奈ちゃんもあれは別人だと気付いてたの?」
「うん。まだうっすらとお姉ちゃんの記憶残ってる。でもそのうち全部あの女にすり替えられる。思い出の写真もみんなの頭の中のお姉ちゃんの姿もあの女に変わっていったように」
蒼汰兄ちゃんもお姉ちゃんの記憶まだ残っているの、と聞かれ僕は頷いた。
「私と蒼汰兄ちゃんは半分お姉ちゃんで出来上がっているのかもね」
と笑った。奥で椅子に座って黙っている茉実が気になり、僕はそれにぎこちない笑みを浮かべた。
それからスマホの中にあった写真を見せてくれた。そこには友里と仲良く映る鈴奈がいた。
今まで避けて見ないようにしていた自分のスマホの写真も見てみた。そこに映っているのもやはり友里だった。
どうやらあの花蓮がはっきりと残っているのは僕の頭の中だけらしい。そのうち頭の中にいる花蓮もみんなと同じように友里に変換されてしまうのだろうか。あまりの恐ろしさに身の毛がよだった。彼女はいったい何をしたのだ。
「どうしてこんなことに」
「わからない。だけど、これ見て」
と表示されたスマホの画面に花蓮とのやり取りがあった。どれも失踪前のもので、最後の方を指されて見ると、葬式後にもメッセージが届いていた。
『逃げて』
と書かれていた。
「どういうこと」
顔を上げて聞くと、鈴奈は首を捻った。
「わかんない。けど、お姉ちゃんのスマホを探せばなんにかわかるかもしれない。まだそれだけ見つかってないから」
「わかった。探してみるよ。あと、花蓮の前の彼氏の連絡先って知っているかな」
鈴奈はあからさまに嫌な顔をした。
「あの人大っ嫌い。お姉ちゃんを暴力で従えていたから。別れろっていっても別れないの。こうするのが一番だからってわけのわからないことを言って」
それからスマホを操作し画面を出した。
そこには翔真の電話番号と住所が登録されていた。
「あいつがお姉ちゃんに何かしたと思ってメモっておいたの」
僕はそれを自分の携帯に写した。彼に会えればそこにはきっと友里がいる。
部屋を出て行こうとすると、僕のズボンのポケットに鈴奈は何かを無理やりねじ込んだ
探って見るとさっきまで僕の手を縛っていた花蓮のショーツだった。
鈴奈はニヤつきながらこっそりと言った。
「使っていいよ」と。
僕は返そうとしたが思いとどまった。先に階段を降りている茉実は気づいていないようだ。形見の一つくらいもらっても罰はあたらないだろう。家族の了承も得ているし。それにこれは花蓮がここに存在していたという証でもある。無理やりな理由をこじつけて「うん……じゃあ」とそれをポケットに押し込んだ。
鈴奈は満足そうに頷いた。
茉実が疲れたと言うので僕の実家には寄らずに帰ることに。あんなに僕の親に会うのや部屋を見るのを楽しみにしていたのに、鈴奈が言っていたことを気にしているのだろうか。
「蒼汰君さ、」
「うん」
「いつも以上に感じてたよね」
予想外の言葉にドキリとした。
「そうかな」
「そうだよ。それって花蓮さんのベッドだったから? それとも花蓮さんの下着で縛られてたから」
答えに困っていると、茉実は目線を下げ軽く笑った。
「どっちもってことか」
ここは弁明するところなんだろうが、何を言っても彼女を安心させられない気がして黙っていた。付き合っていると周りにも公言しているし、浮気ももちろんしない。茉実が求めれば応じているのにこれ以上何を望んでいるのか理解できなかった。きっと僕では彼女を満足させられないのだ。
今の僕はそんな茉実の気持ちよりも右ポケットにあるものがちゃんと落とさず入っているかの方が気になっていた。
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