第3話
蝉しぐれの中にお経の音が紛れ込む。風一つない真夏日で汗は流れ出てくるが暑さからくる鬱陶しさはなかった。この場所だけはひんやりとした空気が漂っている。
失踪していた花蓮が遺体で見つかった。高校三年の夏のことだった。
自殺だったそう。いなくなってから二年と数カ月後に、海に花蓮の死体が引き上げられたのだ。
僕は家族で葬儀に参加した。この目で確かめるまでは信じられなかった。そのうちひょっこりと現れるだろうと思っていたのに。
案内された部屋に入ると、悲しみよりも衝撃が走った。
もう一度名前を確認する。中澤花蓮で合っているし、花蓮の家族もここにいる。隣にいる両親を見ると悲しそうに泣いていた。
――おかしい。みんなで僕をだまそうとしているのか。
僕を笑顔で見つめ返してくる遺影の中の子は花蓮ではなく、全くの別人だった。
いなくなっている間に変貌したのだろうか。整形してもここまで人が変われるとは思えない。棺の中で眠っている子も花蓮ではなく、遺影と同じ見知らぬ子だった。
年齢は同じくらいだが、明らかに違っていた。花蓮はショートカットでその子は黒髪のロングだった。顔も花蓮は目鼻立ちがはっきりしていたがその子は古風な顔立ちだった。だが、誰もそのことに違和感を持っていない。
僕はそれとなく母に聞いてみた。
「ねえ、なんか変じゃない?」
「なにが?」
母が見せた表情は冷たかった。悲しみの涙はいつの間にか消えていて、これ以上その話をするなと言われているようだった。
誰かの視線も感じていた。僕らの会話にそば耳を立てているようだ。振り返って確かめる勇気はなかったし、こっちがこの違和感にその視線を感じ取っていることに気付かれてはいけないと思った。
もう一度、小さな声で反抗するように母に言った。
「いや、だって花蓮って……」
それを遮るようにしてスマホが鳴った。
「こら、蒼汰。電源を切っていなさい」
咎めるように言われる。
メッセージをちらりと見ると、一言だけ書かれていた。
『見つかった』
送り主の名前を見て息が止まった。
花蓮からだった。彼女はまだ生きている――。なら、この葬儀は? あの棺の中にいる子は誰なんだ。
僕の耳、顔、服から出ている肌がピりっとしたものを感じ、鼓動が大きく鳴った。さっきよりもずっと濃い視線を感じる。
こんな表情を見られては、監視している人に目を付けられてしまう。気付かれないように小さく深呼吸をした。
『どこにいるの』と返信した。
このことを花蓮の両親に伝えなきゃと思ったが、彼らはハンカチで口元を隠しながらなにか話していた。時折笑みが垣間見えた。
それなら父に――、
「ねえ、父さん。さっき」
父は感情を失くした顔でどこか遠くの方を見ていた。この部屋に入る前はいつも通りの温和な二人だったのに、今は情が全く感じられない。何かを抜き取られたようだった。部屋から感じられる緊張感や母や父の様子からただ事ではないことが今起きていることを感じ取った。
この部屋にいる人は誰も花蓮の死を悲しんでいない。
ここにいる誰もが僕が知っている人ではないように見えた。
それ以上追求せずただ黙って息をひそめていた。
今も誰かがこちらを見ていて、耳を立てている気がするからだ。自分だけが異質な行動をしてはいけない。
知らない人の亡骸を見ても何とも思わなかった僕は一切泣かなかった。悲しくもなかった。その感情をどこかへ置いて来てしまったように頭の中は空白だった。その点は僕もこの部屋の人たちと同化できたと言える。
そこにあの男がやってきた。花蓮の恋人、
僕とは真逆の人だった。花蓮は彼氏のタイプは毎回違っていたが僕と似ているタイプの人は今まで一人もいなかった。
二人はオンラインゲームで知り合ったそうだ。情報通の友人がわざわざ教えに来てくれた。付き合う気はなかったけど彼の押しに負けたそう。
花蓮に恋人がいない時期はなかったが、いつも告られて付き合って、彼女から別れを切り出すか男がなんか違うと言って振るかだった。この場に来るほどだから今回の彼とは上手くいっていたのだろう。彼なら何か知っているかもしれない。
翔真は偽物の花蓮を見て泣いていた。だけど大根役者が大げさな演技をしているようなわざとらしさがあった。
彼も誰かに見られていると思ってそうしているのかもしれない。心配して近寄ってきてくれた人たちに「取り乱してしまいすいません。外の空気を吸ってきます」と断りを入れて部屋を出て行った。僕は「トイレに行ってくる」と母に告げ、そっと彼の後をついて行った。
人影のいない裏に行った翔真は気怠そうに煙草を吸っていた。これも彼なりの心の静め方なのだろうか。どう声を掛けようか壁に隠れながら様子を伺っていると、翔真に誰かから電話がかかってきた。盗み聞きするつもりはなかったがある言葉に耳を疑った。
「あの顔だけの能天気バカが自殺なんてな。まいっちゃうよ。俺が何かしたって疑われるじゃねえか」
翔真は笑っていた。
「でもよ、なんか違和感あるんだよな。花蓮ってあんな顔してたっけかなって」
そう言って、何かを思い出すように顔を上げた。だが相手からの言葉に考えるのをやめたようだ。
「そうだよな。もう一年くらい会ってなかったんだから」
にやりとした表情を浮かべた彼を見て僕は背筋にゾワっとしたものが通った。
「あいついなくなる前の日に何て言ったと思う?」
ごくりと唾をのんだ。これ以上は聞かない方がいいのに耳が彼の声を一言も漏らさないように張り付いて離さない。
「俺のこと大して好きじゃなかったって言ったんだよ」
花蓮なら言いそうなことだなと思った。まだ彼女からの恋愛相談を引き受けていた頃も何度かそう言って別れていた。
二人は花蓮が失踪する前に別れていたのなら、失踪した理由を翔真は知らない可能性が高い。
「もう腹に来て一発殴ってやったんだけど、まさかそれが原因だったりして」
豪勢に声を出して笑った。
花蓮を殴った――だと。あの花蓮を。
怒りで全身に力が湧き出てきた。握っている拳が震えている。
「俺も、もったいないことしたよ。あんな美人と付き合えることなんてこの先ねえよ」
煙草の吸殻を地面に足で擦り付けて冷ややかな笑みを浮かべて言った。
「もっと楽しめばよかったなあ」
問いただして、一発殴らなきゃ気が済まない。いや、一発じゃ足りない。足元に落ちていた大きめの石を拾い、壁から出て行こうとしたところ、女の子の声が聞こえてきた。
「翔真くん」
他校の高校の制服を着た女の子がやって来た。
その子の姿を見た途端、冷水を浴びせられたようにマグマのごとく煮えたぎったものが一瞬で消え去った。僕はその子から目が離せなくなった。
翔真は彼女の姿を見るなり電話を切った。
「
「心配で来ちゃった」
「元カノの葬式に友里が来ちゃだめだろ。何言われるかわかんねえから。俺だってこんな辛気臭いところ来たくなかったけど、来なきゃ疑われるかもしれないから仕方なく来たのに」
翔真は彼女の頭を撫でた。長い黒髪が左右に揺れる。
「えー、私もお別れしたかったのに」
「友里は優しいな。でも今はここを離れろ」
頬を膨らませ、むすっとした表情をする彼女の頭に翔真が口付けをした。
「あとで連絡するから」
照れたようにキスされた所を手で隠しながら、「はーい」と去って行った。
僕はそんな彼女の一挙一動も見逃さず、じっと瞬きするのも忘れて見ていた。彼女が立ち去っても、殴りに行くこともできず、足を太い釘で地面に打ち付けられたように一歩も動けなかった。
その友里と言う女が遺影の中の女と瓜二つだったのだ。
その時、ポケットに入れていたスマホが短く振動し、驚いて石を落としてしまった。気付かれたか、と男の方を見ると、もうそこにはいなかった。
メッセージが届いていた。花蓮からかと思ったが母からだった。「早く戻ってきて手伝いなさい」と。
花蓮からは返事がなく、僕が送ったメッセージも未読のままだった。
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