第2話

 僕の幼馴染――中澤花蓮はその日以降、しつこく付きまとってきた。

 

 どこがそんなに気に入られたのかわからなかったが、常に隣には花蓮がいた。皆の輪に入ることが苦手で、隅っこを好む地味で目立たない僕を彼女はどこにでも引っ張り出していく。


 家が近く、親同士も気が合ったため家族ぐるみの付き合いも始まった。お互いの家に招いて食事をご馳走しあったり、遠出したりすることもあった。花蓮は家族でいるときも僕の家の方の車に乗りたがって自分の親から怒られていた――僕の家族が受け入れて隣にちゃっかり座っていたが——、とにかく隣にいたがった。


 親たちは花蓮が僕に恋していて夢中になっていると言っていたがそれは違うと思った。花蓮には付き合っている人が絶えなかったし、その人のことについてしょっちゅう聞かされていたからだ。そう君はどう思うってよく意見も求められた。


 僕らは高校まで同じ学校だった。地味な僕に比べて花蓮は男女問わずモテた。そんな彼氏たちに僕の存在が中学の終わりころから疎ましく思われ始め、高校からは陰湿な嫌がらせが始まった。


 僕は彼女と距離を取るようになった。それを感じ取ったのか、それとも僕に飽きたのか、彼女も僕と関わろうとしなくなっていった。


 花蓮とは話さなくなり、目が合っても挨拶もしなくなった高校一年の秋ころ。

 帰り際に学校の玄関口でバッタリと出くわした。

 いつも通り素通りして行こうとしたところ、


「あの……」


 弱弱しい声が聞こえた。それが花蓮の声だと認識するのに数秒かかった。花蓮はいつも元気ではつらつとしていた。


「一緒に帰らない?」


 驚いて、意図を探るようにじっと花蓮の顔を見つめていると、髪を耳に掛けおどおどしながら少し照れたようにもう一度言った。


「一緒に帰ろう……ダメ、かな」


 帰る方向はどうせ一緒だ。周りには誰もいないから変な噂を立てられることもないだろう。断ることもできたが、了承した。彼女の様子がいつもと違っていたから。


「いいけど」


 彼女はその返事にぱあっと不安げな表情が晴れていき「ありがとう」と

笑みを浮かべた。

 

 虚を突かれ、僕は顔を背けた。顔が上気していくのがわかる。話すのが久しぶり過ぎてフィルターを掛けるのを忘れていた。中学までは一緒にいても慣れと、この防御力のあるフィルターのおかげで彼女といても心臓の異常はたまにしか現れなかった。


 花蓮は僕の心を乱す。あの時からずっと。それが僕にとっては苦痛で、花蓮から離れたい理由の一つでもあった。


 こんな表情を見られて彼女に勘違いされては困る。この場を早急に離れたくなり、足早に出て行くと花蓮が慌てて追いかけてきた。

  

 長い土手沿いを徒歩で歩く花蓮に合わせて僕は自転車を押しながら夕日に向かって歩く。沈みかけ始めた夕日はこの道を飲み込んでいっているかのように見えた。僕たちもこのまま進んだら飲み込まれてしまうのだろうか。そんな結果が待ち構えていたとしても僕はこのまま進むだろう。


 花蓮はどうだろう。抵抗しようとするのか受け入れるのか。僕が知っている花蓮が今隣にいるなら、彼女はきっと僕の範疇を超えたことをしでかすに違いない。それが吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからないようなことを。


 水気を含んだ心地よい風が僕の異常な心音を静めてくれた。自転車を間に挟んだ距離感がちょうどいい。


 沈黙が続く中、自転車の車輪の回る音だけが僕らの間を通って行く。

 途中まで来たころで花蓮は唐突に言った。


「人間もパッと咲いてパッと散れたらいいのに」


 何を急に言い出すのだと思ったが、花蓮は思ったことをすぐに口に出す子だったというのを思い出した。彼女が言った言葉を出だしから理解するのは不可能だ。背景や意図など気にして受け答えしていたら疲れてしまう。だから僕はいつもその言葉を咀嚼せずそのまま答えていたんだった。


「散ったらダメじゃん」


 花蓮は少し考え込むようにして人差し指を唇に当てた。その突き出た唇に思わず目が行った。


「んー。だって人って最終的には散るでしょ」


「そうだけど、その場合、散るんじゃなくて枯れるんじゃない? しかもパッとじゃなくて徐々に」


 合点がいったかのように彼女は手のひらに拳をポンと置いた。


「そうだね。それがぴったりくるね」


 ――でも、と川辺に咲く花を寂しげに見つめた。


「私はパッと散りたいな」


「何だよ。急に」


 そんなこと言うなんて彼女らしくない。


「そう君は私がいなくなったらどうする?」


 その名前で久々に呼ばれて、ドクンと心臓が高鳴った。


「どうって……、」


 花蓮がいなくなったら、全校生徒が悲しむだろう。大言壮語して言っているのではない。学校にも外にも花蓮のファンはたくさんいる。そいつらがまずは騒ぐだろう。


 僕は——たいして悲しまないかもしれない。彼女と僕とでは住む世界が違うのだから。


「別に」


「そっかあ、そうだよね。そう君にとって私ってそうだよね」


 寂しそうに彼女は笑った。

 僕はなにかとんでもないことを言ってしまったかと思ったが、ここで彼女との中を取り繕うとしたって無駄なのだ。


 男子や女子から花蓮と近くにいるな、生意気だと言われ、されたことは消えないし、また仲良くなろうなんてしたら、次は何されるかわからない。彼女を遠さげることは自分の身を守るためでもあるのだ。これが彼女から離れた最大の理由だ。


 二匹の赤とんぼが目の前を通って行った。それとともに花蓮の香りも運ばれてきた。僕たちの間には人が一人入れそうなほどの距離がある。この距離感はちょうどいいが、もう一歩彼女に近づきたくなった。近づいて彼女のその支離滅裂な頭の中を理解したいと思った。


 だが、それは許されないこと。僕が彼女を引き留めることも同じルートの上を歩くことも誰も許可してくれない。勇気を出してそんなことをしたらどこからかブルドーザーがやってきて傷だらけに痛めつけられ、ルートから放り出される。

 そして穴を掘られ、そこに埋められるだろう。もう二度と這い上がれないように。


 


 それから数か月後の肌寒くなってきたころ彼女は突然この世から消えた。

 あるメッセージを僕に残して。


『きれいに散れなかった』


 紙切れに殴り書きで書かれたそれは僕の通学鞄のポケットから出てきた。彼女がいなくなって一年が過ぎ、春が来ようとしていた頃に見つけた。


 いつどこでこの中に忍ばせたのか。花蓮がここまで接近したことはなかったし、鞄に触れられたこともなかった。教室で誰もいないときに入れたのだろうか。だとしたら、その時には何かが起こるとわかっていたはずだ。消えたのは自らの意思だったのか。


 一緒に帰った時も、彼女は何か知っていて、それを話そうとしていたのではないか。だから珍しく話しかけてきたのだ。そうとも知らずに僕は——。

 あの時、もし違う言葉をかけていたら彼女はまだここにいただろうか。




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