「あ」の先が言えなくて

@yume_mina

第1話

 みんなの騒ぎ声が渦を巻いて襲ってくる。なにか気に食わないことがあったのか泣き叫ぶ声や怒りの声、それらがうるさくて僕の心を擦り切れさせた。


 それを聞かないように、熱心に幼稚園の広場にある砂場の砂を掘り続ける。掘ることにだけ集中した。僕にかまうな、かまうな……と心の中で唱えながら。


 やっぱりここは自分には合わない。こんなところ初めから来たくなかったのに、今日もお母さんに無理やり連れて来られた。

 お母さんにどう言えば明日からここには来なくてよくなるだろう。


 突如、掘っていた穴の奥が暗闇で見えなくなった。人影が僕の全てを覆っている。ここに存在していることを気付かれてしまったようだ。あんなに耳障りだった子供の騒ぎ声も遠さがっていった。僕の全神経は後ろの人物に集中した。また心の中で唱える。消えろ、消えろ……と。


「そこに何かあるの?」


 掘っていた手が止まった。

 乱暴な子たちに見つかって、僕の髪を掴むか、押されるか、それとも先生がみんなと遊びましょうと無理やり連れて行くかのどれかだと思っていたが、頭の上から降ってきた声は柔らかくて暖かかった。


 恐る恐る顔を上げると、大きな女の子のお人形さんが穴の中を上から覗き込んでいた。「わ」と驚いて尻餅をつく。


 大きな丸みのある目が穴から僕へと移動した。じっと見つめられて恥ずかしくなり顔を背けた。


 彼女はお人形さんではなく、同じクラスの花蓮ちゃんだった。かわいくて明るくて、一番の人気者。先生たちからも人気があった。


「何かすっごいものでも見つけたの?」

「……別に」


 学校一の人気者に話しかけられたのはうれしかったが、自分の領域に入ってきてほしくなくて突き放すように答えた。

 先生に言いつけられたら面倒だなともう一度彼女を見ると、ニコっと歯を見せて笑った。


「君にしか見えない宝物があるんだね」

「そんなのない。何にもない。ただ掘っているだけ」

「ううん。だって私から見たら君、特別に見えるもん」


 花蓮ちゃんは周りを見渡し、内緒話でもするように声をひそめて言った。


「みんな騒いでいてバッカみたい」

 と眉尻を下げて笑った。それから、

「君、名前何て言うの?」と。


 僕は名前を知っていたのに彼女は僕の名前を知らなかった。同じクラスなのに知られていないことに心がチクリと痛み、俯いた。無理もない。彼女は目立つけど僕は教室の隅でいかにして目立たないように過ごすかが日課だったから。


 呟くように「蒼汰そうた」と言った。


「私、花蓮。よろしくね、そう君」


 ――そうくん?

 驚いて顔を上げると、彼女は僕に手を差し伸べていた。

 その手は金ぴかに輝いて見えた。

 僕はその手を握り立ち上がった。


「うん」


 彼女は満面の笑みを向けてきたがそれは僕の心に大ダメージを与えた。心臓がバクバクいい、息もできなくなった。その攻撃をまっすぐ受け止められるほど僕は強くなくて、逃れるように視線を落とすと、掘っていた穴から蟻がたくさん出てきていた。 

 僕はその穴を足で埋めていった。

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