第11話 ええい、この意気地なしめ

以前に彼女から直接「あたしはおっ母さんの云いつけを守る。ぜったい身体を売らない」なる言葉を聞いている。一葉が外出する際に合わせるように掃き掃除などをよそおって表に出て来、挨拶などをしては話しかけたい素振りを見せていた。母親の葬儀のあとしばらくしてから始めて会話に応じた時、息せき切って「あの、わたし、あなたが小説を書く偉い先生だって知ってます。あ、あたしは横浜の慰留地に居た者で、ち、父はアメリカ人で、だからこんな顔をしてるんです」と云ってははにかむ。聞かれもしないのに素性を述べ、なぜかこの自分を見ては高ぶっている…はてどこかで経験したような…とデ・ジャビ感が一葉を襲う。無論それは平田禿木や馬場孤蝶ら青年文士たちが初めて来訪した時に見せた高揚感とも似ていたが、一方でどこか違うような気もした。『横浜で?…大森で?』わけのわからない錯綜をおぼえたがしかしそれは別事である。とにかくその時以来そのようなお島の言動にいじらしさを覚え、且つ健気とも思っていたのだった。みずからが書いた小説「うもれ木」のお蝶のようだとも。でき得るなら更正への手助けでもしてあげたかったがこの身代では「覚束な」でしかなかった。しかるに物事は待たない、人は待てないのであり、換言すれば一葉の人生そのものが容赦なく、いまこの時を自らに迫つているのだった。どうしようか、行って加勢しようかなどとも思うが身がすくむ。しかしええい、この意気地なしめとばかり意を決して歩を進めようとした刹那、こんなことには慣れっこといった風情でやり手婆のお蔦が止めに入った。

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