練兵の視察

「ほう、おぬしが魏延か。孔明より聞き及んでおるぞ。また子龍からも前途有望な若者が来ていると聞いておる」

「は、ははっ!」

 軍の調練を視察に現れた劉備はさっそく魏延に声をかけていた。


「って、孔明から?」

「ごきげんよう、文長」

「っておい!」

「君が推挙してくれって言われたら断りますけどね、殿から有望な人材はおらんかと問われれば、答えるのが臣下の務めですよね」

 シレっと澄まし顔で答える孔明に、魏延は顔を真っ赤にしていた。


「ふむ、仲が良いのだな。善きかな善きかな。孔明は周りを悪い大人に囲まれておってな。おぬしのような同世代の朋友ができることは実に喜ばしいことだ」


 鄴の練兵場には、近衛二千と、一般兵三千が詰めており、交代で治安任務ための巡察と、訓練を行っている。

 ほかには郊外の砦に詰めている部隊、近隣の城市に配備された部隊など、鄴周辺だけで三万の兵がいた。


「走れ、走れ! 戦場では足を鈍らせたものから死ぬのだ! 生きて手柄を立てたくば足を緩めるな!」


 馬場では馬超が新米騎兵たちを叱咤していた。


「おう、孟起。訓練の調子はどうだ?」

「はっ、関西から馬が届きまして、軍馬としての調練と騎兵の育成をしておりますが、なかなかに前途多難にございますな。文長のような猛者はなかなか……」

「ふむ、文長は馬術も巧みか」

「はっ、すでにいっぱしの騎兵にございますな。馬上で振るう槍も堂に入っておりますぞ」

「なるほどなるほど、実に楽しみな話ではないか」

「はっ!」


 劉備の背後で魏延は孔明につつかれ、顔を真っ赤にしていた。誉め言葉を聞くのはうれしいことではあるが、尊敬する上官から主君に対してあれほどまでにまっすぐな言葉で称賛されると気恥ずかしさがどうしても出てしまう。


「ほう、子龍と互角に渡り合っておるな。あれなるは誰じゃ?」

「ああ……」

 趙雲と馬上試合をしているのは白い戦甲を纏い、白馬を乗りこなしていた。槍の鋭さはそこらの騎兵の比ではなく、張飛などの猛者を見慣れている劉備が刮目するほどであった。

 劉備が注目するほどに馬超は居心地が悪そうな雰囲気を醸し出す。


「あれなるは……」

「ふむ、なにやら言いづらい事情があるのかな?」

「いえ、あれなるは我が妹にござる。天下の豪傑にしか嫁がぬと言いおりましてな」

「ほほう、それは剛毅なことじゃ」


 互角に見えたせめぎあいは、徐々に趙雲の技術が相手を追い込む場面となって行った。


「イヤア!」

 裂帛の気合と共に放たれた突きはピタリと馬超の妹の鼻先で止められている。


「お、おみごとですわああああああああああああああああああああ!!」


 ぽいっと兜を脱ぎ捨て、馬超の妹は馬を寄せて趙雲の馬に飛び移る。


「え!? 女!?」

 

 馬超も偉丈夫であるが、その妹もすらりとしなやかながら立派な体躯をしている。


「雲緑! いい加減にせよ! はしたない!」

「なによ! 兄上より強い人をやっと見つけたんですから! 邪魔しないで頂戴!」

「ええい、当家は漢の名将、馬援の一門ぞ」

「ふん、そんなもの、兄上なら簡単に超えて行くわよ!」


 余りと言えばあまりな放言に周囲の人間はぽかんとする。

「雲緑!」


「あ、ああ。孟起殿の妹御であったか。見事なる腕前、この趙雲、感服いたした」

「はい! それでは末永くよろしくお願いいたしますね、子龍さま」

「お、おう。こちらこそ」

「きゃあああああああああああああ!!!」

 趙雲が何事かわからぬまま答えを返すと、馬雲緑は黄色い悲鳴を上げた。


「あー、子龍殿、一つ聞きたいのだが、おぬしは独り身か?」

「うむ、私が守るべきは殿の御身。家族がおってはその覚悟も鈍ろうというもの」


「身を捨てて主君を守る忠義、素晴らしいですわあああああああああああああ!!」

 雲緑はがっしりと趙雲にしがみつき、その耳元で黄色い声を上げる。趙雲自身も何とか振りほどこうと身体を動かすが、その動きを先読みしてさらに固めるという離れ業を演じていた。


「そうか、であれば問題はないな。まあ殿の側近中の側近たる子龍殿だからなあ。父上も否やとは言うまい」

「お、おう。孟起殿、いったい何の話であるかな?」

「子龍殿、いやこれからは義弟殿になるのか」

「ぎ、ぎてい?」

「これより我らは親族となるのだ。堅苦しいのは良く無いやもしれぬな」

「孟起、話を聞いてくれ! おい!」


 お転婆な妹に困り果てていた馬超はこれ幸いと言うばかりに、押し付ける相手を見つけ、外堀をがっちりと埋めていった。


「子龍よ」

「おお、殿! 殿からもなにか!」

「妻は良いものだ。家族のために働くということは自らの力が何倍にもなったように感じるぞ」

「だめだ! 話が通じない!」

「子龍さま、いえ、あなた。殿に媒酌をお願いできませんか?」

「ほう、それは良い。古参の子龍と新参の孟起の縁はわが軍にとって大きな結束を生むであろう」

「おお、ありがたき幸せ」

「うむ、関羽と張飛も呼ばねばなあ」

「そう言われると思いまして、使者を出しております」

「おお、孔明。さすがである」

「いえいえ、殿と私めは一心同体、水と魚にございますからな」

「はっはっは、うまいことを言うな。されば大海のごとき器で家臣を動かそう。ああ、子龍よ。宴席の手配は余に任せよ」


 もはや困惑を通り越して虚無の表情を浮かべる趙雲。こうして彼は馬雲緑を娶り、馬超の義弟となった。

 雲緑は趙雲と共に陣頭に立ち、兵たちを奮い立たせたという。


「……いいなあ、俺もあんな綺麗な嫁さんがほしいなあ」

 魏延のつぶやきは盛り上がる劉備たちの歓声にかき消され、彼自身の耳にしか届かなかった。

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