見習い武官と見習い文官

 宛から一人の少年が洛陽にやってきた。彼は募兵の看板を見て兵として軍に入り、その胆力と武勇を認められ、上告されて武官見習いとなった。

 そして趙雲と面談することになった。


「我が名は趙子龍という。名を教えてくれるか?」

「はっ! 魏延、字を文長と申します!」

「うむ、募兵の看板を見て軍に入ったということは字は読めるのか?」

「はい! 一人の武人として字が読めねば命令書を理解できず、また兵書も読めなければ敵の策にはまることになりましょう」

「よい答えだ。貴殿のこれからの立場としては武官見習いとなる。私の責務は知っておるか?」

「はっ、燕王閣下の近衛を率いられていると」

「うむ、お前の直属の上官は私となる。すなわち君は近衛に抜擢されたわけだ」

 そう聞くと魏延は顔を紅潮させて喜びを全身で表した。


「これより更なる鍛錬に励み、一日でも早く一人前の将となりたく思います!」

「うむ、励むがよい」


 こうして魏延は洛陽から鄴に移り、軍営で汗を流す日々が続いた。訓練が休みの日は書庫で兵書を読み、わからないところは時折現れる同世代の少年がすらすらと答えていく。

 ただこの少年こと諸葛亮は運動がからっきしらしく、馬に乗るのにも苦労しているようだった。

 馬術は趙雲仕込みの魏延は孔明少年に馬術のコツを教える。こうして休みの日には城外に出て馬を走らせる程度には打ち解けていくのだった。



 魏延が鄴にやってきて早一年ほど。魏延は初陣を迎えた。その際に戦った相手は山賊の類だったが、矢を放ち、敵中に突っ込んで刃を振るった。

 数人の敵兵を討ち取る手柄を立て、趙雲から称賛されたのは記憶に新しい出来事だ。


「なあ、孔明」

「なんだい文長」

「燕王閣下の名声に惹かれて、俺は宛から洛陽まで来た。袁紹は名門だけど自分のことしか考えちゃいない。だから何時か宛を袁紹の悪政から解放したいんだ」

「ふうん、立派な志だな」

「なんだよ、軽いなあ」

「故郷を守りたいってのはわかるよ。僕の故郷は徐州でかの地は呂布の支配下にある。そこまで悪政ではないみたいだけどね」

「そうか……」

「どうしたんだい?」

「わからなくなったんだ。先月、賊討伐に出陣しただろ?」

「ああ、手柄を立てたらしいね。閣下が喜んでいたよ」

「なにっ!」

「ああ、言ってなかったっけ。僕は閣下のお側仕えだからね」

「なんでそれを早く言わない!」

「言ったらどうだって言うんだい? まさか君は閣下に推挙してもらいたいとか思っていたのか?」

「あ、いや、ちがうんだ。そんなことをしなくても俺は必ず閣下の前に出る。そうじゃなくて、俺の手柄を聞いて閣下が喜んでたって話のことだよ」

「ああ、よかった。君のことは友人だと思っていたからね。そういう閣下のためにならない人間はしょぶn……いや、何でもない」

「おい、いますごく物騒なこと言いかけなかったか?」

「気のせいだよ」

 シレっと告げる孔明の笑顔に底知れないものを感じて魏延は少し震えた。


「ああ、話を元に戻すぞ。賊とは言え相手は人間だった。俺が斬り倒した敵兵は傷にのたうちながら母の名を呼んでいた」

「……そうか」

「もっとやりようがあったんじゃないかって思ってしまったんだ」

「そうだな。あったのかもしれない、けど投降を呼びかけても無駄だったかもしれない。一つ言えることは、彼らは罪を犯した」

「罪?」

「ああ、何の罪もない無辜の民を襲い、略奪し、殺した」

 普段は茫洋としている孔明の表情に珍しく感情が浮かんでいた。怒り、悲しみ、やるせなさ、そういったものが渾然一体となった、渦巻く感情を持て余しているようだ。


「だから死をもって償わせたのか?」

「そうだ。彼らを許すことは、他の罪びとに不誠実だから。罪を償うために罰を受けた者が居る。死をもってとは言わないけれども、刺青を入れたり髻を切ったりね」

「そうだな」

「じゃあどうすれば殺された人が戻る? どんなに医術を尽くしても、どれだけの財貨を積んでも、死んだ人は蘇らない」

「だからと言って殺すのか?」

「ああ、一度人を手にかけるとね、次はもっと簡単に人を殺すようになる。だからこそ武人と言うのは罪業が重いって思うけどね」

「それは武人を目指す俺に対する皮肉か何かか?」

「そうは言わない。僕の目指す先は管仲や楽毅のような人物だ」

「宰相に将軍か。それも飛び切りの大人物じゃないか」

「フフン、そうじゃなくてはね。目指し甲斐がないってものだよ」

 ニッと笑みを浮かべる孔明は年相応の少年の笑みだった。


 ただ孔明は孔明で、この年に似つかわしくないものを背負っている。時折見せる闇の深さは、この年で主君の側仕えとなっていることでもそれがうかがえた。


「まあ、いいさ、今はそこを考えていても始まらないことがよくわかった。君が管仲を目指すなら俺は鮑叔にでもなってやろうじゃないか」

「ははは、大きく出たね」

「もっと大きいこと言ってるやつが何を言っているんだ」


 こうして二人の少年は劉備の配下として後年に大きな活躍を見せる。文の諸葛亮、武の魏延の二人はともに劉備の国の中核を担っていくのであった。

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