劉備の陥穽

「麋竺と申します。こちらは弟の芳にございます」

 徐州から豪商でもある麋竺の一族が兗州経由で洛陽までやってきた。呂布に仕えることをよしとしない者は他にもいて、麋竺が彼らを統率してきたわけである。


「うむ、そなたらの来訪、玄徳は心より歓迎いたすぞ」

 その夜の宴席では、麋竺とは初めて会ったとは思えないほど打ち解けることとなった。関羽、張飛とも馬が合うようでにこやかに酒を酌み交わしている。


「天下の豪傑たるお二方に会えるとは、身に余る光栄にございます」

「いや、戦地にあって麋竺殿の手配していただいた物資には助けられていたのだ」

「ああ、たまにうまい飯が食えるってだけで兵たちの気合も違ってくるというものでな」


 董卓との戦いでは徐州からは物資の支援を受けており、その調達と輸送を一手に担っていたのが麋竺の一族であった。

 彼らは私財を投じて、美酒などを差し入れてくれており、そのことを覚えていた諸将は麋竺に好意を持って接していたのである。

 商人らしい如才の無さで縁を結んでいるが、その篤実な人柄もあって麋竺のことを悪く言う者はいない。


「子仲よ、楽しんでおるか?」

「はい、閣下。このような盛大な宴は初めてのことで、見るものすべてが珍しく」

 目を輝かせて笑顔を向ける麋竺に非常な親しみを覚える。関羽らのいわゆる古株は、新参者に厳しい目を向けることが多いが、ほぼ初対面の麋竺に対して打ち解けている。簡雍も人の懐に入り込むのがうまいが、麋竺はまた別の才であろうか。


「陶謙殿のこと、まことに済まなかった。呂布に付け入る隙を許したのは余の不徳である」

「そのようなことはございませぬ。陶謙殿の恩を受けていながら忘恩の徒が……」

「だが今や呂布は徐州牧にして陛下の臣下の一人である。徐州のこと、何ができるかは分からぬが、我が下にいるということであれば庇護を与えるのは構わぬ」

「閣下、ありがとうございます」


 こうして麋竺は臣下に加わった。伝手で陳珪、陳登親子とのつながりが持てたことは大きかった。彼らはあえて徐州に残り、呂布の監視をすると申し出てくれている。


 袁紹はなにを血迷ったか、劉表に戦いを挑んだ。


「背後を突かれるとか一切考えていないのでしょうか……?」

「まあ、実際その余裕はないがな」

 曹操のあきれたような声に、あきれをにじませて答える。

「そこまで読み切っていたというのであれば恐ろしいですが」

「たまたま運が良かったというわけだ」


 宛から南下した一軍は新野の城を抜いた。近隣の城市も攻略され、荊州北部に足がかりを作られた格好だ。そのまま東へ進んで江夏を攻める心づもりらしいが、黄祖率いる水軍に阻まれているという。

 袁紹には水軍を率いることができる将がいないことがここで響いていた。

 江夏を取れば、袁術傘下の盧江に進軍できる。袁術は劉表と結んでいるので攻撃するのに支障はない。

 袁術自身は呂布が来たから睨みを利かせている。広陵には呂布配下で最強の猛将である高順を駐屯させていた。


「内偵してわかったことなのですが、袁紹はすでにその求心力を失っております。背後から呂布、すなわち賈詡が暗躍しているのでしょう」

「なんと」

「こちらとしましては、袁紹、袁術は討つ名分はあります。どちらも逆賊ですからな」

「だが弁皇子の身柄が厄介だぞ」

「ふむ、やりようを選ばなければ手はありますが……」

「やめろ。それをやり始めると戻れなくなるぞ」

「閣下の御ためならば」

「俺を言い訳に使うんじゃねえ。それは許さん。手段を選べるうちは選べ。非道は一度きりだ。使いどころを間違えちゃあいけねえ」

「……はっ、ありがとうございます。さればまっとうな手段で奪還を」

「良い手はあるのかい?」

「それが……」

「袁紹は豫州での人気が高いからな。調略も難しいだろう」

「はい。先日の大敗の後ではありますが、曲がりなりにも袁術に勝利したことでその人気は盛り返しております」

「うむ、となれば正攻法で押しつぶすしかないだろうが……」

「それだけの軍備をするのに時間がかかりますな」

「うぬぬ……」


 こうしてよい知恵も浮かばないまま俺は一度鄴に引き返すことになった。


「殿、ちとお話をよろしいでしょうか」

「うむ?」

 鄴に移動するための準備を整えていると麋竺に呼び止められた。


「じつは妹のことにございましてな、そろそろ良い年なのですが、天下の英雄にしか嫁がぬと言い張っておりまして」

「ふむ、理想が高いのは良いことではないか?」

「ええ、ですがそのような人物に私では心当たりがなく、困り果てております」


 そこににゅっと曹操が現れた。


「麋竺殿、我に心当たりがあるぞ」

「まことにございますか!」

「うむ、目の前におられるではないか」

「目の、前?」

 曹操の指し示す先には俺がいた。

「はい!?」

「なるほど! 殿であれば全く、これっぽっちも不足はありませぬな!!」

「であろ? そもそも我に嫡子がいるのに殿が独り身でお子もいないというのがおかしいのだ。そろそろ世継ぎを!」

「いや、あの、その」

 ふと目線を感じてそちらを見ると、壁から半身を出してこちらの様子をうかがっている女性がいた。


「お、おお……」

 美しい。それに気立てもよさそうだ。なんだ、これが一目惚れと言うやつか??


「おお、妹よ。こちらが主君である劉玄徳様だ」

「はい、末永くよろしくお願いいたします」

「お、おう」

「これはめでたい! 宴じゃ! 祭りじゃ!」

 周囲で様子をうかがっていた家臣たちが四方八方に走り去っていく。

 出立は延期され、妻を迎えてから向かうことになった。


 どうも歓迎の宴会あたりから根回しが進んでいたようである。嵌められたと思わなくもないが、俺の方を見て頬を染め、にっこりを笑みを浮かべる新妻を見ているとそういう疑念はどんどんと消えていくのである。

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