袁家の内訌

 袁紹は陽擢で戦場から離脱したことを理解し、呂布に助けられたことに憮然としたが、曹操を撃退したことで気を取り直したのだろう。呂布の献身に報いねばならぬなどと身勝手なことを言いつつ許に帰還した。


「袁将軍、ご無事で何よりにございます」

 呂布は居住まいを正し、礼節を守って袁紹に接する。文醜を討ち取った許褚も呂布では子ども扱いで叩き伏せたという話を聞き、溜飲が降りたのだろう。


「奉先殿の奮戦で曹操を破ることができた。貴殿の功に報いねばなるまい」

 

 上機嫌で告げる袁紹に呂布はけげんな顔をした。そもそも攻め入ったのは袁紹の方で、敵の砦を落としきれずに撤退した。さらに敵の伏兵に遭って全軍崩壊寸前まで追い詰められていたのだ。

 砦の攻撃で多大な軍備を失い、野戦で大損害を受け、軍の中枢を担っている将たちを何人も討たれている。

 はっきりと言えば大敗北で、半身不随になるほどの損害のはずだ。


「将軍、袁紹はもはや……」

 賈詡が目を伏せ首を横に振った。

「ぬう、なんとしたことか」

 その時、東の国境を守っていた陳宮からの使者が駆け込んできた。


「申し上げます。袁公路殿、当塗の地にて王を自称! 淮南より汝南に向け兵を集めている模様です」

「なに! 袁術ごときが王だと! 不遜な、全軍出撃し袁術めの不遜を正し、正道を示すのだ!」

 

 群臣はうんざりした表情を浮かべていた。調子に乗って軍を前進させたため背後をがら空きにして先日の敗北を招いたことを忘れたのかと。

 そもそも遠征に向かうにあたっての食料は先のいくさで焼き払われ、遠征に出るような余力はない。


「殿、袁術のふるまいはまことに不遜。されば徐州の陶謙、河北の劉備とも和を結び、また劉表ともよしみを結びましょう。さすれば援軍が来るあてもなく袁術の勢力は先細りになって行くでしょう」

 郭図の提案は実に現実的な内容であった。普段郭図と反目するような参謀たちもしきりに首を縦に振っている。


「ならぬ! 我が袁本初の覇道は此処より始まると知れ!」

 もはや正気の目つきではなく、群臣は互いに顔を見合わせている。

 そこにすっと賈詡が進み出た。


「呂奉先が臣、賈詡、字を文和と申します。発現をお許しいただけますでしょうか?」

「うむ、申せ」

「はっ、されば袁術めの僭称の許しがたきは衆の一致するところにございます。さればその覇道の一歩目を踏み出す栄誉を我が主君にお任せ願えませんでしょうか?」


 対袁術の戦線で先陣に立つと申し出たのである。火中の栗を拾うかのような振舞にざわめきが起こった。


「なるほど、良かろう。兵をどれくらい所望するか?」

 袁紹の一言に軍備を担当していた文官から悲鳴が上がりかける。兵の疲弊は限界に達しており、物資も備蓄はほぼ吐き出してしまった。兗州経略は袁紹の勢力にとって乾坤一擲の賭けでもあったのである。


「いえ、手持ちの兵のみで結構です。わが軍が袁術を打ち破ったのち、ゆるりとお越しください」

「ほう、そうか、そうか。うむ、されば任せたぞ。見事我が期待に応えたならば褒美は望みのままにつかわそうほどに」

「ははっ!」


 袁紹は上機嫌で、酒を煽ったかのようなふらつく足取りで軍議が行われていた広間から退出した。


「……父上はもういかんやもしれぬ。もし父にもしものことがあったら、我がその意思を継ぐがいかがか?」


 袁紹の三人の子の一人、長子の袁譚が群臣に問いかける。


「父上はいまだ健在である。兄上のその言葉は謀反の意思ありとみなされるぞ?」

 末子の袁尚が眦を釣り上げて反論する。

「何を言うか! 貴様こそ父上に取り入り跡継ぎの座を狙っておるのであろう?」

「そのようなことはしておらぬ!」


 そこで袁譚と袁尚がつかみ合い寸前の状態で言い合いを始めた。それぞれの派閥に属する家臣たちも激論を繰り広げ始めた。


「……ひどいものだな」

「どこにでもあるお家騒動に過ぎませぬが、名門ともなればしがらみが多いのでしょう」


 そこに郭図がやってきた。


「文和殿、感謝の念に堪えぬ。可能な限りの物資を用意させていただく」

「それには及びませぬ。ただ願わくば宋と汝陰の兵権を与え給え」

「おう、それでよければ。そも袁術の兵は汝陰に向け兵を進めておると聞く。前線に周囲から兵を抽出して送り込むことも約束しよう」

「それはありがたいことで。それともう一つ。我らは客分に過ぎませぬ。袁紹殿の家臣ではない。そこをはっきりさせていただきたい。さすがに対等などと言うことは申しませぬが」

「うむ、呂布殿は我が主の盟友にござる。そのように周知いたしましょう」

「ありがたきことにございます」

「郭図殿、貴殿の心遣い、この呂奉先は忘れませぬぞ」

 呂布が郭図の手を取り感謝の言葉を告げると、郭図はやや涙ぐんだ目で呂布を見る。

 派閥に別れて互いににらみ合う家臣たちとは別に、袁紹の身を案じる者たちもいたのである。

 そうした者から見れば、呂布は袁紹の危地を救った恩人にほかならなかった。


「では、出陣する!」

 あらかじめ伝令を飛ばし、郭図に手配してもらった命令書を前線に届けてあった。 そして呂布は最初に率いてきた騎兵のみを率いて東へ向かおうと城門へ向かうと、s個には参陣を願う将兵が詰めかけていた。


「呂布殿、参陣をお許しください」

「呂布殿、我も参りますぞ」

「呂布殿、呂布殿、呂布殿……」


 出陣しようとする呂布のもとに将兵が駆け寄る。中には生々しい傷を負った兵もおり、ふらつく足を槍を杖代わりにして立っている有様だった。


「兵は神速を善しとする。まずは我らが先行し敵と当たる。貴殿らは袁紹殿の臣である。故に我は貴殿らに命を降す権がない」

 呂布の言葉に兵たちはうなだれる。

「故に袁紹殿の許しを得てから参陣を願う。袁家のために戦いたいと、そう願うのだ。我は貴殿らを預かり、必ずや勝利に導こう」

 矛をかざし兵たちに呼びかける呂布の言葉に兵たちの熱狂は頂点に達した。そうして改めて呂布は出陣の命を降す。


 その姿は軍神が揺らぎ出たような武威にあふれていた。

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