董卓の油断
鮮卑の兵は北方より長安周辺に侵入し荒らしまわった。董卓が洛陽から奪い去った財貨は様々な人の眼に触れ、そしてそのうわさが鮮卑にまで広まったのである。
「ぬうう、小癪な。我自ら出陣する!」
董卓は一軍を率いて出撃した。呂布は函谷関で張飛と小競り合いに終始しており、ここで敵を撃破したなどの戦果があればまだ違った。しかし、劉備の軍勢に負け続けていると世情では言われており、それは事実でもあった。
華雄、徐栄と言った配下の猛将を失った今、一族を率いて鮮卑を打ち破り武威を高める必要があったのである。
「閣下、長安を開けてはなりませぬ」
「心配には及ばぬ、すぐに敵を片付けて引き返す故にな」
李儒は董卓自らの出撃に反対したが、董卓はそれを退けた。西涼で幾度も遊牧民の騎兵を打ち破ってきた自負がそれを実行させたのだが、鮮卑の騎兵は山間部の機動も得意としている。
そこに董卓の誤算があった。
鮮卑侵入の報は童関の呂布にももたらされた。呂布は并州で幾度も鮮卑と戦っているのでその戦い方をよく知っている。
「閣下が出陣成されたと!? いかん、俺も向かうぞ」
「しかし張飛を放って行くのですか?」
「致し方なし。高順、おぬしは関をしっかりと守ってくれ。俺は半数の騎兵を率いていく」
「承知しました、お気をつけて」
「うむ、頼んだ」
そうして呂布も童関を出て北上した。鮮卑の騎兵は精強で幾度となく漢の兵とも戦っている。西涼の騎兵ともまた違った戦い方になる。そこを理解していなければ、不覚を取ることもあり得るだろう。
呂布は内心のざわつきを押さえつつ、馬を走らせた。
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「歩度根は動いたか」
「はっ」
鄴で配下に加わった田豊の進言を採り、鮮卑の内部分裂に付けこんだ形になるが、漢に近い歩度根一派を抱き込むことに成功していた。こういうこそこそした策略は好きではないが、そんなことも言っていられない。
鮮卑は、歩度根が指導者になってから、その部族の勢いがやや衰え、彼の次兄に当たる扶羅韓がまた別に数万の衆を擁して大人となった。表面上は平穏であるが、水面下では互いに部族の覇権を狙って小競り合いを繰り返していたのである。
「徐晃と張遼を派遣せよ。参謀には審配を付けるのだ」
「はっ」
こちらに着いた歩度根は要請に従い董卓を攻撃してくれた。がら空きになった本拠を狙って扶羅韓が兵を動かす。そこを狙い撃ちにして撃滅することが目的だった。
「長安の方はどうか?」
「近郊に歩度根の兵が侵入し、迎撃の兵が出たと伝わっております」
「うむ、ほどほどに引き上げる手はずなのだな?」
「はい、そのように伝えております」
この一手はただのけん制に過ぎない。少しでも董卓の勢力を消耗させるのが目的だ。そのはずだった……。
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「逃げるか!」
歩度根は執拗に追いかけてくる董卓に半ば呆れていた。
「確かに集落を襲い略奪は働いたがな、ここまでして追いかけてくるのは尋常ではないな」
董卓配下の騎兵の練度は高い。騎馬民族たる鮮卑の騎兵の追跡ができているのだから。それでも馬の質による差は徐々に出始めていた。
「はっ!」
西方で学んだといわれる騎射の腕は見事で既に数人の兵が射落とされていた。それによって反撃に出た兵が返り討ちにあっている。
「敵将の武勇は大したものだ。だがそろそろ頃合いだな」
歩度根の合図に従い、一直線に走っていた騎兵がばらける。
山間部の狭隘な地形で、騎兵は坂を駆け上がる。
「なにっ!」
董卓はすさまじい勢いで走っていた騎兵が一騎に反転し、襲い掛かってくる光景を目にして一瞬我を忘れた。
自身の武を恃み、それを恐れて敵は逃げているものだと思っていた。しかし徐々に脱落していくかのように見えた敵兵は実は散開しただけであり、伏兵となって一斉に襲い掛かってきたのである。
「放て!」
一斉に放たれた矢は董卓とその周辺に集中しており、隣を駆けていた甥の董旻が喉を貫かれて落馬した。
飛来する矢を槍で防ごうとするが防ぎきれるものではない。急所は何とか避け、落馬は免れたが、周囲の被害は甚大だ。
自身の周辺に攻撃を受け、落馬した味方に巻き込まれて後方にも混乱が起きている。進むのか、止まるのか、退くのか、戦うのか。
「退け! 退け!!」
思い切り声を張り上げたつもりであったが、力んだことで矢傷に痛みが走り、思ったほどの声が出ていない。
「まずい、どうする」
自問自答するが答えるべき側近は次々と討たれていく。
周囲には敵兵が満ち、どんどんと逃げ道は塞がれていく。
「ふむ、このような手にはまるとは、よほど慌てていたと見える」
歩度根はあきれたような声で呟くと、とどめを刺さんと弓兵に命を下そうとした。
「閣下!!」
そこに呂布が斬り込んできた。
「奉先!!」
「閣下、ご無事ですか!」
「おお、おお、助かったぞ!」
「我が血路を開きます故、閣下は我が後をついてこられよ!」
「おう、頼んだぞ」
呂布の姿を見て歩度根らはひるんだ。并州で幾度となく戦ったその武勇は骨の髄まで思い知っている。
「呂布だ! 呂布が出たぞ!」
次々と叩き伏せられる味方の騎兵を見て歩度根は歯噛みする。だがその中に斬り込んで行くだけの度胸は無かった。
「ぐぬ……ならば」
歩度根は苦し紛れに矢を放つ。そこに気まぐれの風が吹き込み、矢羽を追い立てた。
「ぐうっ!」
その矢は董卓の背中に突き立った。
「閣下!!」
董卓の更なる負傷に気づいた呂布が叫ぶ。ただ幸か不幸か致命傷ではなかったため、戦場からの離脱を選んだ。
呂布の騎兵の活躍により歩度根の追撃は振り切ったが、董卓の口からは泡混じりの血がにじんでいるのを見て呂布は絶望に叩き落とされた。
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