動乱の始まり
呂布は騎馬を縦横に駆けさせ、張飛の周囲を回る。一方張飛はぐっと腰を落とし、大樹が根を張ったかのような姿勢で矛を中段に構えていた。
「おらああああああ!」
すれ違いざまに振るわれた呂布の矛を張飛は軽く振るっていなした。これまで技もあったが、どちらかというと剛力で叩き伏せてきた戦い方とは違っている。
「益徳殿に頼まれましてな。槍術の基礎を伝授してござる」
趙雲の言葉に得心が行った。槍術の基本は受け、払い、突きの三点に集約されるといわれる。
速い攻撃であればあるほど、逸らす力には弱い。ただ、呂布の攻撃はどれも神速と呼ばれるほどの速さで、その刹那を見切って受けるのは並大抵のことではなかった。
よく見ると張飛の額には玉のような汗がにじんでいる。それでも口元には笑みが浮かんでおり、余裕は失っていないようだった。
「ふん、そう来るか」
「おう、兄貴のもとにお前が行けなきゃ俺の勝ちだ。お前の兵は孟徳が片づける。そうなればお前ひとりでどこまで戦えるかな?」
「武人の意地は……いや栓無きことか」
「おうよ、背負ってるものが違うからな。俺一人の意地でそれを投げ捨てるようなことはできん」
互いの間には言葉と同時に常人なら一突きにされそうな攻撃が飛び交っている。呂布の連続して放たれた突きはすべて完璧な防御によって跳ね返された。
同じく張飛の攻撃も同様に通じない。武の頂点を競うかのような戦いが続く。
洛陽城外に布陣している兵は一万ほどで、呂布の騎兵以外はそれぞれ部将が率いているようだ。
しかし、援軍として加わった河北の兵は士気も高くまた曹操の指揮によって縦横に駆け巡り、董卓軍を蹴散らして行く。
「我は徐公明なり!」
「太史子義参る!」
新たに加わった二将が次々と敵兵を蹴散らすさまは見事だった。
「もはやこれまでか。だが時間は稼いだ。張飛とやら、お前の武に敬意を払い、我が全霊の突きをくれてやろう」
呂布の言葉に背筋に冷たいものが走った。
「益徳! 逃げろ! 弓兵、呂布を撃て!」
関羽が前に出て張飛の首根っこを掴んで回収する。その直後、百の弓兵から呂布一人をめがけて矢が放たれた。
「ふん、興ざめよ。我らは長安に退く。追いかけてくるがよい」
呂布は騎兵を率いて整然と退却していく。西涼の騎兵は練度が高く、中原の騎兵とは格が違った。
「殿」
「行くな」
趙雲の呼びかけをすぐに止める。烏桓の騎馬を配備した趙雲の兵なら追いつけるかもしれんが、趙雲自身が呂布に勝てない。あいつの武力は人としての領域を超えている。
あの張飛がへたり込んで息も絶え絶えになっている。兵から水を渡されて飲み干すと地面に大の字になった。
「死ぬかと思ったぜ」
その姿を見て普段の張飛を知る味方の兵が震えあがっていた。
北と南から洛陽に突入した孫堅の兵は街路を塞ぐがれきや逆茂木を叩き壊し、残されていた住民を城外へと誘導していた。
財貨や物資は根こそぎといっていいほどに持ち去られており、住民の大半が難民化する。
「これはまずいことになったな」
「はい、董卓をすぐに追跡するのは難しいでしょう」
「うむ、おそらくは兵も伏せているであろう」
非道と言えばその通りなのだが、あまりに徹底したこちらへの足止め策にいっそ感嘆すら覚えた。
「申し上げます! 董卓の残党の首を取ると申されて、劉岱殿をはじめとする諸侯軍が追撃に入っております!」
曹操が天を仰いだ。ただでさえ貴重な戦力をすり減らされてはたまらない。
「雲長殿、貴公を後詰にするが……」
「うむ、深追いは避けて味方の回収に徹しよう」
「よろしく頼む」
「ああ」
関羽は手勢を率いて西へと向かう。一日ほど行軍すると案の定というべきか、徐栄の伏兵に遭った諸侯軍は粉砕され、劉岱殿をはじめとして半数の将が討たれるという大敗を喫していた。
「鮑信殿、無事か!」
「関羽殿か、すまぬ。あ奴らを抑えきれなんだ。我が身の力不足よ」
声を張り上げて味方を励ましていた鮑信であったが、ついに力尽き、関羽の前で息絶えたそうだ。
徐栄がさらにこちらを叩こうと追撃してきているが、殿の部隊が見事な戦いぶりを見せている。
「殿軍を救うぞ、廖化!」
「ははっ!」
廖化が騎兵を率いて先発する。そしてそれと足並みをそろえて関羽の本隊が動く。
「味方が来たぞ! 今少し踏ん張れ!」
「「おおおおう!!」」
絶妙の機を捉えて兵を叱咤する。
「ちっ、ここまでか」
「そうだな。貴様はここまでだ」
徐栄はここまで追撃をすべきではなかった。もしくは関羽の軍が見えた時点で追撃を切り上げるべきだったのだ。
「ぐわーーーーーー!」
胴を割られた徐栄は断末魔と共に倒れた。
「関雲長、敵将を討ち取った!」
そのまま敵の先陣をさんざんに蹴散らし、残兵を収容して洛陽へと帰還する。状況を報告する使者が走っていたので大まかな事情はすぐに伝わった。
「弱りましたな」
兗州を治めていた人間が揃って討ち死にしたのだ。
「うむ、差し当って適当な人物は……」
「おう、それならば。鮑信殿の部下で見事な人物が居りますぞ」
関羽の提案に引き合わされた者は確かに見事な将であった。
「于禁と申します」
主を守れなかった悔恨からか少しやつれているが、それでも見事な偉丈夫であった。
「程昱、おぬしを臨時の兗州刺史に任ずる。于禁は武官として程昱を助けよ」
「はっ!」
程昱は兗州の出身で、地元の評判も高い。洛陽の復興もせねばならないが、そもそもとして先立つものが乏しかった。
「うぬう、どうしたものか」
軍略や計略ならば何とでもできるが、いくら頭をひねっても銭や食料は湧き出してこない。
兗州から徐州、青州まで黄巾の乱で荒れ果てていて余剰な食料は無い。さらに豫州は袁家の兄弟が争っている。いや、袁術が敗北し、揚州に逃れたらしいとは伝わってきた。
「ええい、仕方ない。袁紹を豫州刺史、袁術を揚州刺史に追認する。ただし朝廷が正常に動くようになるまでの臨時措置だ」
曹操は苦笑いを浮かべていた。そもそも、また争われては周囲の物資を食いつぶして行く。とりあえずの停戦を呑ませるために目先をそらしたに過ぎない。
まずは洛陽の復興をしてここを拠点化しないと長安への遠征などできようもなかった。
諸侯軍は解散してそれぞれの任地に帰還させた。洛陽は荀彧を置いて復興の指揮をとらせる。
袁紹は意気揚々と許に入り、周辺地域を併呑し始めた。袁術も呉郡に本拠を置き、兵を集めていると聞く。荊州の劉表は我関せずと襄陽に乱を逃れてきた知識人を集め清談に精を出しているそうだ。
董卓を中心とした混乱はいまだ始まったばかりだった。
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