成皐の戦い
呂布が殿をつとめ、董卓軍はゆるゆると退いていく。城門が破られたと判断した瞬間、抗戦を諦めて即座に撤退を決断したのは敵ながら見事だった。そしてそのまま主力部隊は成皐の古城に入り、こちらを食い止めんと立てこもった。
漢楚の戦いの中で最も重要な戦いが繰り広げられたのはここ、成皐ではなかろうか。知識として祖先の戦いを学んでいるが、いざその地に立ってみると何やら感慨深いような気がする。
「これでは霹靂車は使えぬな」
険峻な地形に大規模な城があった。ただし、虎牢関ができてからは要塞としてよりも交通の要所としての治安維持が主たる目的となっていたのだろう。
虎牢関が落ちたことで洛陽は騒ぎになっていると聞く。早くに洛陽に入り混乱を鎮めたいものだ。
「定石としては兵糧攻めでしょうが、背後の洛陽からの補給があるでしょう。道は狭いので一手を置いて、洛陽からの援軍を叩くのはいかがでしょうか?」
「なるほどな」
劉曄が参軍として意見を述べる。その内容は奇をてらったものではなく、着実な戦術であった。
「そのまま放置するのも危険だからな。華雄の部隊は撃破しておきたいところだ」
「成皐に取り付いている間に背後を襲われることが一番まずいかと」
「ふむ」
「ではこのような手はいかがでしょうか?」
劉曄の策は面白くはあったがかなりの危険を伴うものだった。だがうまく行けば敵をおびき出し野戦を挑める。
「ならば部隊の指揮は文台に任す。周囲に兵を伏せ、敵がおびき出されたら一気に叩き潰せ」
「……はっ。承知いたしました」
俺は少数の兵のみを伴って成皐山のふもとで声を張り上げた。
「いにしえの高祖を気取って籠城か、この臆病者どもが! 貴様らにネズミの尾ほどの気概があるなら今すぐ山を下りてきて野戦に及ぶがよい。一平残らず討ち取ってくれようぞ!」
適当に組み上げた罵詈雑言だが、一部の兵が怒り狂って出撃しようとしているのを華雄がとどめているようだ。
ふと視線を感じ、山肌に目をやると鋭い眼光が俺を貫いた気がした。まずい!
反射的に身体をひねる。狙いすまされた矢がゆっくりと飛んできているように見えた。そしてそのまま胸に突き立つ。あらかじめ劉曄の指示で、鎧は三重に着込んでいたため、貫通はしなかったが衝撃で息が止まった。
「まずい! 殿、しっかりなされませ! 近衛は燕王を安全なところに逃がすんじゃ!
それまでの取り澄ました口調だった劉曄が慌てふためいた声で騒ぎ立てる。すると、伏せていた呂布の騎兵がこちらに真一文字に突入してきた。
「殿に指一本触れさせるな!」
趙雲の騎兵が周囲に展開し敵の騎兵と切り結ぶ。
「劉備は討ち取ったぞ! いまだ、かかれ! かかれえええええい!」
弓を手に呂布が大音声で味方に呼びかけると、真っ先に華雄が飛び出してきた。趙雲の騎兵が敵に挑みかかるが、坂を駆け降ってきた勢いに押され劣勢だ。
「いってえ……」
「燕王、お怪我は?」
「お前さんの言ったとおりだったな。呂布の弓の腕は大したもんだよ」
飛将軍の異名を持つ呂布は飛ぶ鳥を射落とすといわれていた。その剛力から引く弓は常人には扱えず、その威力もすさまじいものだった。
実際自分も無傷ではない。あまりの衝撃に息がつまり、身動きが取れなかった。蝶んが何とか防いでくれているが長くはもたないだろう。
「退け! 退け!」
劉曄が声を張り上げる。その命に従って近衛部隊が敵と戦いつつ退く。
こちらが下がったことによって敵は勢いを増した。
俺は瀕死もしくは死んだということになっているので、命令は出さない。周囲を兵に守られじりじりと下がって行く。
そうして華雄の兵が十分に退き込まれた時、虎が牙をむいた。
「突撃! 突撃! 突撃!」
三度告げられた命に従い、敵の側面を突く形で孫堅の部隊が突っ込んだ。
「ぐぬ、今少しで劉備を討てようものを!」
「そうはさせん。俺が相手する」
華雄に挑みかかったのは孫策だった。
「小僧、身の程を知るがよい!」
華雄の振りかざす大刀を孫策は受ける剣の角度を変えて綺麗にいなした。孫堅が剛ならば孫策は柔。今だ身体が出来上がっていない故に父ほどの剛力は発揮できないが、逆にそれに対する手段としての技術が磨き上げられている。
「ぬう、ちょこまかと!」
「華雄殿、いかん! そやつは!」
呂布が華雄と戦っている相手を見て思わず声を上げ警告した。しかしそれはわずかに遅きに失した。
「はあっ!」
苛立ちからか大振りになった攻撃を見事に避けられ、懐に飛び込んだ孫策の剣先が華雄の喉首を貫いていた。
「孫伯符、敵将華雄を討ち取った!」
「若がやったぞ!」
「者ども、伯符に続け!」
周瑜が見事に機を掴んだ命を出し、大混乱に陥った華雄の軍を左右から挟み込む。追撃で陣が長く伸びきっていたので、たやすく分断されてしまったのだ。
「ちいっ!」
呂布が味方を救わんと突撃してきた。
「お前さんの相手は俺だよ」
「舐めるな、小僧!」
呂布の振るった槍は一撃で孫策の剣を叩き折った。
「なにっ!」
「いかん!」
思わず剣を抜いて孫策と呂布の間に割り込む。
「殿!?」
「やはり生きておったか、劉邦!」
「は!?」
呂布が意味の分からないことを言いだした。
「俺は劉玄徳だ。高祖ではないぜ」
「え……? あ……? 俺は何を……??」
呂布は頭を振ってやや呆然としている。
「伯符、退け!」
そこに孫堅が駆けつけてきた。
「親父!」
「ぬううううう!」
我に返った呂布はなぜか俺の方を親の仇でも見るような目で見ている。
「勝負は預けた!」
呂布は馬にまたがるととてつもない速さで馬を駆けさせる。
「あれは追いつけぬな。華雄を討っただけでも十分な戦果だ。深追いはやめておけ」
追撃しようとする孫堅をおしとどめるとやや不満げな表情ながらうなずく。
「殿、ありゃあ後々大きな禍になりそうですぜ」
「それでもだ。少なくともお前と刺し違えられては勘定が合わんのでな」
「ほう、それは俺を高く買っていただいていますな」
「無論だ。燕王府の軍事を担ってもらうつもりだからな」
「へ?」
「何らかの将軍の名前が付くだろう。まあ、任せておけ」
「は、はは!」
俺たちのやり取りを背に、孫策は今にも泣きそうな顔で退却していく呂布の軍勢を見ていた。
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