虎の親子
「文台殿、貴殿は長沙太守として赴任していたのではないか?」
「はっ、しかし荊州牧の劉表殿に疎んじられましてな。袁術殿の陣営に加わっていたのですが……もう付き合いきれなくなりまして」
「お。おう……」
「この非常時に身内同士で内輪もめを始めるわ、喧嘩を売って大敗して帰ってくるわ、さらに待機を命じていた私に、援軍をよこさんとは何事だ、ときたもんですよ」
「あー、そりゃあ、ないな」
俺の言葉にうんざりした顔の諸侯たちがほぼ同時にうなずく。
「ってことで、長沙太守の印も腹が立ったんで劉表殿に送りつけてきました」
「っておい!」
「はっはっは。というわけで燕王殿下、君臣の契りを所望いたす」
君臣の契りって、そんな簡単なものだったかのう……。
やや途方に暮れていると、近侍の少年兵が孫堅のもとへと駆け寄る。
「父上!」
「おう、策! 大きくなったな!」
「あんた何やらかしてるんですかああああああああああああ!!」
ズダンと床につま先をめり込ませるほどの震脚から両手を広げて抱擁しようとしている、すなわちがら空きの胴に寸勁が叩き込まれる。
「ぐがふっ!?」
俺の横では周瑜が盛大にため息を吐いていた。
「殿、申し訳ございませぬ。伯父上はどうも、ああいった困ったところがありまして」
「ふむ、周異殿と文台殿はたしか義兄弟の契りを結んでいたか」
「ええ、伯符とわたしもそのようにしておりますが」
「ふむ、それは良い。というかなんだありゃあ……」
以前、巡察中に刺客に襲われたとき、孫策がその刺客を討ち取ったのだ。素手で。
その技は船の上でも戦えるという白打の技だと聞いている。なお、その時に寸勁を打ち込まれた刺客はあばらを粉砕されて血反吐を吐いていた。
「ほう、なかなかの功夫だ。鍛錬は怠っていないようだな」
「ちい、このクソ親父、まだくたばらねえか! くらえ!」
身体をひねった勢いで飛び上がると遠心力でしならせた旋風脚が振るわれるが、孫堅はぱしっと平手で叩いてその力をそらす。
「おうおう、久しぶりに遊んでやろうか。さあ、かかってこい」
「うーーーーーーわーーーーーーーーーーーあああああああああああああああああ」
そこからは何と言うか拳法の演武を見ているようだった。というか孫策の武の技量はそこらの将では相手にならない。
連続して繰り出される突き、蹴りを文字通り子供をあしらうかのようにさばいていく。
「ふむ、伯符のやつ……あれをやる気か」
先ほどの旋風脚のように振り回したり鉤突きのように横っ面を狙うような攻撃を繰り返したうえで、いきなり孫策の姿が消えたように見えた。
いや、下にいる。いきなりしゃがみこんだのだろう。そうして手をついたまま逆立ちするかのように垂直に蹴り足を延ばす。
「なにっ!」
いきなりあごを狙って飛んでくる蹴りに孫堅も泡を食って避ける。
「ちっ、あれも避けるか」
「おお、驚いた。三年もたてば小僧もいっぱしになるか」
「そこまで!」
なんというか俺たちは何を見せられているのだろう。とりあえず止めてみた。そもそも軍議でいかに虎牢関を抜くか、という話だったはずだ。
「はっ、それで殿。わたしの武はいかがで?」
「ああ、見事だよ。我が義弟たちに優るとも劣らぬ」
「なれば先陣をお任せいただきたい。呂布の首を討ってくる、とまでは言いませんがね」
「ああ、ここはお前に任す。あと伯符の忠勤に報いよう。先陣を許す。文台の副将に付け」
「ははっ!」
「おう、長年の夢がかないましたぞ。息子と轡を並べて戦場を疾駆するは武人の面目というものですなあ」
「あー、公瑾。燕王の目付として文台を補佐せよ」
「はっ! あの猪を統御して見せまする」
「ああ、本当に……本当に頼む」
酸棗まで兵を進めた。またいつぞやのようにどこからともなく兵が集まり、先陣五千騎が現れる。虎牢関には董卓配下の猛将華雄を主将に、副将に呂布が付いていた。
「かかれ!」
虎牢関から出撃してきたのは西涼の騎兵三千。先陣を切って西方の名馬を駆るは呂奉先であった。
「ふん、槍衾を組め!」
孫堅は慌てることなく槍兵の陣列を整える。揃えて突き出された槍の穂先に馬は本能的に怯みその勢いが弱まる。
「今だ、放て!」
待機していた弩兵が一斉に引き金を引いて一千の矢が放たれた。風切り音を立てつつ呂布の騎兵に矢が降り注ぐが、さっと散開してその被害を最小限にとどめるあたりは戦い慣れしている。そのまま騎兵を前進させるが長柄の槍に阻まれてまともに戦うことができていない。そのまま矢に射抜かれて落馬する兵が出ていた。
分厚く布陣した歩兵の陣列を抜くのは難しいと判断した呂布は恐ろしい勢いで矛を振るうと、数人の歩兵が持つ槍を斬り飛ばし、その威を示すとゆっくりと馬首を返した。
「呂布が退いたぞ!」
退却していく呂布軍を見て味方の陣から歓呼の声が上がる。そうして調子に乗った将が兵を率いて追撃に移った。抜け駆けであっても功績を立てれば良いという風潮のためか。
しかし、指揮下にあるとはいっても臣下ではない諸侯の行動に口を出せず歯噛みする。
「あんな見え見えの誘いに乗るとか、やられても自業自得だな」
「しかし、彼らが討たれては味方の士気に水を差すことになりそうですな」
「ふむ、子龍、頼めるか」
「承知」
趙雲率いる騎兵五百騎が矢のような勢いで駆けだした。案の定というべきか、追撃をした味方は呂布の反撃にあって苦戦というかあっという間に蹴散らされている。
半ば包囲されて全滅かという状態を趙雲の騎兵が食い破った。
「ほう、良き敵である。我は呂奉先、汝が首を取って手柄としようではないか」
「常山の趙子龍、参る」
互いに馬を疾駆させすれ違いざまに突き落とそうと槍を突き出すが、互いの武器に阻まれてそれはかなわなかった。ただ打ち合わされた武器の音ががきんと鈍い音を響かせる。
「くっ、何たる剛力よ」
「ぬう、何たる鋭さ。これは油断できぬな」
馬上で武器を合わせること五十回、両者の戦いは永遠に続くかと思われた。ただ一つ差が出てくる。趙雲の乗馬も選び抜かれた名馬であったが、西方のいわゆる汗血馬と呼ばれる馬は、こちらの馬に比べて体が大きく体力もそれに比例して多い。
馬の疲労に合わせて趙雲の分が悪くなって行く。そこに二人の男が飛び出して行った。
「江東の孫文台、参る」
「同じく孫伯符だ!」
孫堅が刀を振りかざし呂布に斬りかかる。その剛力は呂布が目を見開くほどであった。同時に孫策が細かく立ち回って呂布に攻撃のスキを与えない。
趙雲が離脱したことを確かめるとさらに二人は攻勢を強めた。
「ぬう! ちょこまかと!」
「まともに打ち合っては勝てないのでな。よもや戦場で泣き言は言うまい?」
「小僧!」
二人がかりとは言え呂布を封じ込める武勇に味方の陣が再び沸き立つ。あまりの勢いに敵味方は割り込むこともできずに戦いを見守っていた。
「いまだ、かかれ!」
その隙を狙ってか、周瑜が兵を指揮し、呂布の部隊を攻撃する動きを見せる。その様子を見ていた虎牢関より援軍が出撃してきた。
「ちっ、水を差されたか。勝負は預けた」
「おうよ。またやろうぜ」
不敵な笑みを浮かべる孫堅であったが、何度も打ち合わせた武器を握る手には血がにじんでいる。
「ありゃあまだ強くなるな」
「安心しろ、俺がもっと強くなって呂布の首を親父の墓前に供えてやる」
「まだ死んでねえ!」
そのやり取りを見て孫家の軍が大爆笑していた。額を押さえてやれやれとばかりに周瑜がため息をついている。
緒戦は呂布を押し戻したこちらの勝利と言っていいだろう。しかし関羽、張飛であっても呂布は討てまい。そう考えると、いかにして勝ちに行くか。こんな時ばかりはあの曹操の顔が待ち遠しかった。
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