華北の王

「ふむ、皆よく働いてくれたのだな」

「はっ、中でも儁乂の働きは見事なものにござった」

「うむ。それでだな、劉虞殿の援軍はどうなった?」

 最初の策では関羽の軍が敵の攻勢を受け止めている間に、夏侯淵の騎兵が敵の側面を叩き、最後に援軍の力を借りて敵を討ち砕くという内容だったはずだ。

 曹操は驚きの表情を浮かべている。


「はっはっは、忘れておりました。味方のあまりに見事な戦いぶりに」

「はっはっは、左様か。わははははははは……じゃねえ!」

「殿、興奮すると血脈が乱れますぞ」

「そんな年じゃねえ! というか劉虞殿の面目丸つぶれじゃん! どうすんの、そーーーーーっすんの!」

「細かいとです。良しとしましょう」

「できるかあああああああああああああああ!!」


 大声で叫び続けたために切れてしまった息を整える。荀彧が盃に水を入れて持ってきたのを一息に呷る。


「ふう……」

「して殿、劉虞殿が参っております」

「おう、俺も参ったよ……ん? いまなんと?」

「ですから幽州太守の劉虞殿が王に面会を求めております」

 荀彧の不穏なセリフは聞き間違いではなかったようだ。

「……会おう。諸将も集めるように」

「はっ」


「玄徳殿、久しいな」

「ええ、洛陽でお会いして以来ですか」

 ともに皇族ゆえに身分の上下は無い。椅子を対面に配置して談笑する。


「して今日はいかなる用で参られたのですか?」

「うむ、先日の烏桓討伐についてだがな」

「は、ははっ」

「見事なるいくさぶりに感服したのだよ。公孫瓚殿も中央で軍務につくようでな。そして儂もそなたの治世を見てようやく後を任せられるものが現れたと思うたのじゃ」

「は、はあ……」


 劉虞殿は立ち上がって俺の手を取る。


「我が子は領主どころか、皇族たるの職責を果たす器にあらず。よって儂の身代を全て貴殿に譲る。息子には捨扶持を陛下からいただくことで話はついておる故、案ずることは無い」

 横に控える曹操が喜色満面で俺の顔を見ている。受けろって言いたいんだろ、ああ分かったよ。


「この身に余る重責でございますが、お受けしようと思います」

「おお、おお、これで儂ものんびりと隠居できるというもの。ありがとう、玄徳殿。漢の行く末を頼む」


 すでに根回しは済んでいたのか、ひと月ほど後には洛陽から勅使がやってきた。


「劉虞殿の引退に伴い、劉玄徳殿に薊、北平の太守任命権を賜う。また王号を燕王とせよとのお言葉じゃ」

「ははっ、燕王劉玄徳は漢の社稷を守り、粉骨砕身して国を守ることを誓いまする」


 中山は幽州の一つの郡だ。その勢力は要するに地方豪族くらいに過ぎない。それが戦国七雄の燕王を名乗るように言われたことで、漢の国の中に服属国としてではあるが、独立国を作ることを認められたに等しい。


「そうそう、并州刺史の丁原殿だが貴殿の指揮下に入ることとなった。鎮鮮卑守護使として、北辺の盾となるべく力を振るわせるように」

「は、ははっ!」

 

 薊太守には張飛を任じた。もともと琢で同郷だったこともある。簡雍を補佐に付けたので、めったなことは無い……はずだ。張飛は士大夫に苦手意識を持っており、古老たちにもあまり評判が良くない。そこで簡雍の人当たりの良さを用いて人間関係の改善を図る。ただ黄巾征伐の戦いで大いに武名を上げており、朝廷から正式な官職として将軍の位を賜った。

 その自覚もあって張飛自身も行いをあらためようとしている。ただ前線で矛を振るうだけではない、将としての才知を身に付けつつあった。

 軍事の補佐に戯士才を、政務全般を郭嘉に補佐させる。また劉虞殿から田疇をはじめとする人材を引き継ぐことができた。


 北平には張郃を置いた。先の戦いで大いに武名を上げており、また年若くとも仕官年数が短くとも能力のあるものは出世させますよという姿勢を示した形だ。

 補佐には程立改め程昱を任命する。老獪な彼ならば張郃をうまく補佐してくれるだろう。


 とある日、程立は夢を見たという。日輪を掲げ持ち、世を照らすという内容だった。

 荀彧に相談したところそれは主を助けて正道を照らすという意味だと言われた。よって日を掲げて立つという意味で程昱と名乗ることにした、と聞いた。


「殿、仲徳殿の見た夢は実にめでたいですな」

「ああ、俺の前途を照らしてくれるってのはありがたいことだねえ」


 まず隗より始めよとはよく言ったものだ。冀州のみならず、各地から豪傑、賢人が集い始めた。


「ふっふっふ、我の思惑通り、ということだな」

「ですな。世の評判が高い人物も集っておりますぞ」

 真っ黒い笑みを浮かべる曹操と荀彧だが、その顔は仕官させてから見せるんだぞとだけ伝え、執務室に入る。そこには荀攸と陳羣が山のような書類を抱えて俺を待ち構えていた。


「ん、これはよい。む? ここはなんかおかしいな担当者にこの事情を聞くように。なんだこりゃ!? 却下!」

 ここ数か月、ひたすら書類仕事をしていただけあって、違和感のあることは何となくわかるようになってきた。問題ないものは確認済みの箱に入れ、問題ある者は差し戻す。何だったら書類の体を成していないやつもあった。というか、こんなのこの二人の確認時点でわかるはずで、そういうのをわざと素通しさせて俺の能力をはかっているのかもしれない。


「殿の才は恐ろしいな」

「まったくです。我らも見逃したような小さな漏れを的確に見抜いておられる」

「あれほどの速度で処理できるようになるのに普通は数年かかりますが、数か月であれほどの眼を持つとは……」


 烏桓が大敗を喫したことは北部で瞬く間に広がった。烏桓の単于である丘力居が手も足も出ずに敗れ、ほぼ全面降伏の体で服属したと聞いた鮮卑はその話を信じなかったという。

 元は匈奴の一部族であった彼らは交流があり、丘力居とは仲の良くない部族からかなり確度の高い情報を得たようで、丁原殿に誼を通じ、かなりの貢納をして来たようだ。

 形式上とはいえ、上役に当たる俺に丁原殿があいさつに訪れたのは燕王の位を授与されてひと月ほど後のことだった。

 そこでもう一つの運命が動き出したって言うのは後でわかった話で、この時はそんな大事になるなんて思わなかったんだよな。


「燕王殿下、初めてお目にかかります。并州刺史丁原と申します。こちらは養子の呂布にございます」

「呂奉先にござる」

 猛獣のような眼光をたたえ、全身に覇気をまとったその男は、のちに項羽の再来と言われ、俺の前に立ちふさがるのだった。

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