北からの使者
烏桓が侵入して来たとの報を受けたのは先日の曹操との会話からしばらくしてのことだった。烏桓は元々匈奴から分かたれた一派で、最初は匈奴に臣従していたが、徐々に勢力を増し、匈奴との戦いに勝利して彼らを北に追いやった。
その後漢に服属しているのだが、時にこのように軍事行動を起こし、境を侵すことがある。
「劉虞殿の使者はそなたか」
「はっ、田疇と申します。公孫瓚将軍の不在を見てとって烏丸族の一部が侵攻してきました」
「なにっ!」
そこに曹操が息を切らせて一人の青年を連れてきた。
「殿、殿おおオオオオオオオオオ!!!!!!」
「おう、孟徳。一大事じゃ。烏桓が攻め寄せてきたそうじゃ」
「ははっ、そのような者、この者が居れば問題ありませぬぞ! 儁乂、こちらが主君である中山王じゃ」
「はっ、張儁乂と申します」
「ほう? むむむ!」
まだ年若いが素晴らしい眼光だった。身のこなしも素晴らしく、名のある武人となるだろう。
「殿もお判りいただけましたか! この男を目にした瞬間、我の背中を雷光が突き抜けましたぞ!」
「ふむ、されば五百の部下を付けよ。先陣にて働くがよい」
「は!!? え!? ちょ!?」
田疇もぽかんとしているが、これがうちのやり方である。才ある者は即座に登用する。
「南皮太守に伝えよ、北平へ向け出撃せよ。鄴からは夏侯淵と曹仁に出撃を命じる。差配は孟徳に任す」
「はっ、奴らは北平の西、徐無に向かっているとのこと。北平の留守居は弟君の公孫越殿にも使者を送りましょう」
「薊からは鮮宇輔殿が鮮卑の騎兵を率いて出撃されるそうです」
「奴らも本気ではあるまい。ひと当てして此方の状況をはかろうというのであろう」
「ふむ、ならば向こう十年は漢に逆らおうという気が起こらないくらいにしてやらねばなりますまいな」
いつの間にか広間に現れた郭嘉が凄絶な笑みを浮かべて地図を眺めている。
「奉孝よ、ここに兵を伏せるのはどうじゃ?」
「なるほど、仲徳殿の伏兵の冴えは見事ですなあ」
「ふむ、奉孝の速戦も見事。互いに得手の軍略を組み合わせればわが軍は負けを知らぬであろうよ」
「おぬしら、百戦百勝は軍略の下なり、だ。勝って当たり前と驕るその心を攻めるのが孫子の真骨頂であるぞ」
「「孟徳殿!!」」
うん、入って行けねえ。ただまあ、この地図なら……。
ぽんっと思い付きで部隊を意味するコマを置く。ここに置けば四方ににらみが効くよな。
「なっ!?」
「ぬううううううう……これは」
「さすがは殿、軍略の何たるかをよく理解しておられる」
何やらうまく急所を突いたらしい。
「雲長殿に伝令、この地を早急に確保するよう伝えよ。妙才の騎兵はその右に布陣せよ。薊より出撃する軍がこの背後を衝く」
「はっ!」
「文若、輜重はどうか?」
「はいっ、いくらでも、とは言いませぬがこの規模の戦いを二月ほどなら」
「十分だ」
南皮にも使者は届いており、俺の軍令を携えた使者、程立が到着するや、そのまま参軍として出撃した。こちらの兵は槍持ちを中心に、騎兵を追い払うのに長けた部隊となっている。
堅陣を組み、弩を弓を駆使して騎兵の突撃を阻む編成だ。
それでは相手に大きな打撃を与えられない。そのため、比較的物資に余力のある鄴で騎兵を編成する。親衛騎兵は趙雲率いる五百。それ以外の遠征に耐えうる騎兵を二千用意した。
「くくく、ここで烏桓を叩けば奴らから馬を買いたたけるな。そうすれば更なる騎兵の充実を図れるというものよ」
曹操が黒い笑みを浮かべて軍の出撃準備を急いでいた。
「ここで勝って声望を高めれば更なる招聘に応じる者も増えるはず。商人から銭の拠出も弾んでこよう……うひ、うひ、うひひひひひ」
荀彧も曹操と同じように真っ黒な笑みを浮かべてその実高速で手が動いていた。各地に飛ばす命令書を書き上げると、宛先を書いて背後に投げる。
荀彧に付けられた文官がそれを受け取るとあて名を見てすぐさまその相手に早馬を飛ばすといった流れだ。
「うむ、ありゃあつける薬もねえな。文若に付ける文官を増やさねえと……」
「あ、殿、言い忘れておりました」
「なんだい?」
「甥の公達(荀攸)を招きました。わたくしの留守は公達に任せますので、お伝えしましたぞおおおおおおおお」
最後の方は、おそらく曹操の後を追って走り出したのだろう。
曹操自身も馬場に向かって自らの直属の兵を率いると北へ向かって出撃していった。
「なんか、あれだねえ。烏桓の連中が気の毒になってきちまった」
「おう、それだ。胃のあたりにもやもやしてわだかまってた言葉はな」
「殿、なんかそんな年月経った気がしねえんだが、なんか遠くに来ちまったねえ」
「まったくだ、憲和よ。というか旗揚げして一年くらいしかたってねえよ」
やれやれと肩をすくめる。曹操が遠征に参加しているってことは奴がこなしている仕事はこっちに回ってくるということだ。
俺は書類と木簡に埋もれる覚悟をして執務室に入ると……一人の文官がものすごい勢いで書類をさばいていた。
「それがしは陳長文と申します。曹孟徳殿の推挙を受け、王の補佐官に任命されました……よし。これでここにあった書類は確認いたしました。王の決裁が必要なものはそちら、不備があったものはこちら、重要性が低いものはこちらとなっております」
「お、おう。すっげえ……な」
簡雍はぽかんとしている。俺はこいつのことを知っている気がしたが記憶にもやがかかったように思い出せない。
まずはと決裁が必要な書類を見ていると来客を告げる声が聞こえた。
「曹孟徳殿に招きかれ、荀公達が参った!」
こいつが荀攸か。旅の疲れを癒すように伝えてもそのまま執務室に居座り、陳羣と目配せをした後は、再び積みあがって行く書類を陳羣と共に恐ろしい勢いで政務が処理されていく。
「ふむ、ここの役人は換えた方がいいですな」
「屯田の割り当てに不備があるようです。こことここを入れ替えるように」
「殿、この者私腹を肥やしております。処罰の決裁を」
「待て、何をどう見てそれが分かったんだ? 冤罪じゃねえだろうな?」
「おお、申し訳ありませぬ。ではこことここ、こことここも、出納の数字がおかしい。それで商人からの税がこの額なのですが、こやつが上げてきた報告では目減りしております……」
この膨大な量の書類から紛れ込んでいる違和感を見つけて探り出すだと? いったい何もんだこいつら……。
そして曹操がいない間は夜ゆっくり眠れると思ったのもつかの間、陳羣と荀攸の二人に、急な決裁を求められたたき起こされる羽目になるのだった。
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