烏桓征討 緒戦

 関羽の率いる一万の兵は南皮を出立し、徐無に入った。北のから見ると、山あいを抜けた先の開けた平地であり、騎兵の威力を最も発揮できる地形である。


「ふむ、兄者……いや、殿の命は此処に陣を構えよとのことであるが、実に見事なる地よ。ここを迂回しようとすれば側面を突かれる」

「そのようなものですか」

「うむ、周倉よ。殿が大きくなればより多くの将が必要となる。そうなればお前にも一軍を率いるということもあり得る。ただの賊上がりと呼ばれぬようにすることだ」

「ははっ」

「羽将軍、陣の構築を始めたぞい。廖化には騎兵を率いて物見をさせておる」

「おう、仲徳殿」

「孟徳殿の援軍が来るまでは此処で守りを固めよとの指示じゃ。まずは先遣隊の夏侯淵殿が来るよってな」


 騎馬は平たんな地形でもっともその威力を発揮する。言い換えれば障害物や土地の極端な凹凸に弱い。足を止めてしまえば弓兵の的だ。何しろ馬とは大きな生き物であるがゆえに、人を狙うよりもたやすく当てられる。


 今目の前では地面を遠目ではわからない様に掘り返し、簡易の堀を作っている。出てきた土も手前に盛り上げ、土塁とする。

 また簡単に陣列に侵入できないよう柵を巡らせる。騎兵は高速で接近し、高速で離脱することに意味がある。歩兵の足では追いかけることは不可能なので、最初から割り切って正面と横をしっかりと固めてしまう。背後は出撃が可能なようにある程度隙間を開けるが、互い違いに柵を巡らせて速度を殺す造りとしている。


「彼らの作業の手際は見事ですな」

「もとは野良仕事をもっぱらとしていた者です。こういう作業はお手の物でしょうな」

「なるほど。屯田で農作業と同時に土木作業に習熟した兵を……」

 程立殿はぶつぶつとつぶやきつつ、手元に用意した布にいろいろと覚書を書き付けていた。


「兄者の考えでもあるのですよ。青州党は数は多く、精兵もおりますが、戦いに向かぬ性質の者もいると。かといって全ての者に田畑は与えられぬ。そこで軍の中にこういう仕事を考えたのですな」

「ほほう、人を使うことにかけては高祖も斯くやということですな」


 迎撃の手はずを程立殿と話し合っていると、周倉がやってきた。


「殿、夏侯淵殿が到着します」

「うむ、飲み水の用意はできているか?」

「はっ、飼葉と合わせて用意しております」

「うむ、廖化からの報告は?」

「今だ帰還してはおりません。山間に伏せて少数の兵を出して偵察すると聞いております」

「ならばよい。行軍の疲れを残しては思わぬ不覚を取るかもしれんからな」


 南から砂煙を蹴立てて夏侯の旗を掲げた一隊が近づいてきた。よく見ると曹の旗も上がっているということは孟徳殿も来られたか。


「関将軍、夏侯淵以下二千、ただいま到着しましたぞ」

「おう、妙才殿。待って居った。おぬしの騎兵がこの戦いの胆となる。よろしく頼む」

「はっ、中山王の武威を知らしめてやりましょうぞ」

「おう、期待している……ん? そちらの者は?」

「ああ、こちら新たに加わった張儁乂と申す」

「張郃、字を儁乂と申します。関将軍にはよろしくお引き回しのこと、お願いいたします」

「ほう、兄者には会ったか?」

「はい、曹孟徳様に連れられて」

「ならばよい。おぬしの働きに期待するぞ」


 陣の後方、柵の切れ目がある側に騎兵を配置し、いつでも出撃できるよう整える。前面には盾を持たせた歩兵を配し、槍を構えさせる。馬は本能的に尖ったものがあると足を緩める。その後方に配置した弓兵が攻撃の要だ。


 着々と工事が進む。兵たちはわき目もふらずに働いていて士気は非常に高かった。


「玄徳さまに恩を返すはいまじゃ」

「おう、我らの命を救っていただいたからのう」

「新たな土地に居場所を作ってくれたのじゃ」

「さあ、この陣はお味方の命を守る大事なものだ。おぬしら、励め!」

「「おう!!」」


 檄を飛ばす頭役に応える声は短い。だが、叫ぶ力すらも目の前の作業に振り向け、一刻も早く陣を完成させるのだと、昼夜を分かたず泥まみれになって働く姿は凄絶ですらあった。


「なんとも愛しき兵どもよな」

「実にけなげなさまにござる」

「こやつらのためにも我らは勝たねばならぬ」


 数日後、陣はほぼ完成し、堀には逆茂木が埋められ上には草をかぶせて偽装した。遠目には柵を巡らせた陣屋だけが見える様子だ。


「妙才殿、貴公ならばこの陣、どう見る?」

「ただの柵であれば先陣を体当たりさせ、倒すことを考えるでしょうな」

「疾駆する騎兵に矢を当てるのは至難故な」

「左様にございます。ただ、空堀があるとなれば先陣の壊滅は必至。その被害に耐えて戦うことができるかはまた別の話でしょう」

「うむ」


 さらに二日、廖化の率いる騎兵が全速力でこちらに戻ってくるのが見えた。


「廖化が戻ったということは敵が迫っているということだ。者ども、迎撃の支度をせよ!」

「手はず通りに動け! 周倉殿は先陣をお任せします」

「おう!」

「儁乂、おぬしは兵を率いて廖化の撤退を支援せよ」

「承知!」


 逃げてくる斥候と敵の追撃部隊の間に割り込むように兵を動かすと、声をかける。


「夏侯淵殿の手の者だ! 貴殿らは陣に駆けよ! 敵の追撃は俺が引き受ける!」

「承知、感謝する!」

 廖化の背には二本の矢が刺さっており、部隊の最後尾で奮戦したことが見て取れた。


 張郃は手勢を二つに分けた。

「一手は俺に続け、もう一手は、俺が退き、敵が追ってきたらその側面を突くのだ」


 敵の先陣は一千ほど、背後を見やると本隊も追ってきているのが分かる。

 かなりの長距離を駆けてきたのだろう、馬は疲れ息を切らしているようだ。


「我が名は張儁乂なり! 中山王より直々に先陣を任された。命のいらぬ者からかかってくるがよい!」

 パラパラと矢が飛んでくるが、追撃中に使い切ってしまったのだろう、こちらに被害はない。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 先頭を駆けてくる敵兵と切り結ぶことなく一刀のもとに斬り落とすと、そのまま敵中に突入して縦横無尽に叩き伏せていく。続く兵たちも精鋭ぞろいで、見事な戦いぶりをみせた。


「ふん、ここまでだな。者ども、退け!」

 ある程度戦って敵の勢いを削いだとみるや、敵兵を押し込んだ空隙を使って一気に兵を反転させる。


「逃げるか! 追え、追ええええ!!」

 先陣の指揮官がその動きについていけず慌てて指示を下す。一度止められた速度を取り戻そうと加速した矢先に、側面から兵が突っ込んできた。


 完全に足を止められ、混乱する敵陣に向かって再び突撃を敢行すると、今度は一文字に敵を斬り裂き、敵将に挑みかかる。


「張儁乂、推参!」

「ぬうう、こわっぱがっ!」

 武器を打ち合わすこと無く、一振りで敵将の首を跳ね飛ばすと、何事もなかったかのように兵を率いて陣へと戻る。

 余りの強さに敵兵は唖然として静まり返ってしまった。


「敵将、張儁乂が討ち取った!」

 陣からは歓呼の声が上がり、敵の先陣は散り散りになって逃げだす。緒戦はこちらの勝利であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る