制度改革

「玄徳様、こちらが韓浩と申しましてな。屯田制を提案した男です」

「お初にお目にかかります」


 風采の上がらない男だがよく鍛えられているのはわかった。将としてもひとかどの力量を持つだろう。


「うむ、先の反乱で土地は荒れ果ててしまっておる。民が安心して過ごせるよう、まずは食を確保したい」

「はっ、まずは反乱に参加して土地とのつながりがなくなったもの、もしくは土地を持てず兵となった者を集めてください」

「集めるまでもなくいくらでもいる。いまは灌漑工事に従事してもらっているがそもそも彼らに与えるべき食も不足しているのだ」

「そのあたりは孟徳殿から聞き及んでおります。まずは収穫の早い雑穀を蒔きましょう」


 韓浩の提案に従い、灌漑の行き届いた地にまずは雑穀を蒔く。手の空いた者には山に分け入って山菜の採取や狩猟。または川で魚を取らせる。

 

「兄貴、でっかい猪が獲れたぜ!」

「おう、皆に分け与えるのだ」

「って言ってもなあ。この大都市のみんなに分け与えたら毛ほどしか残らんぜ」

「ならば働きの良い者から分け与えよ」

「なるほどな。そりゃいい考えだ」

 益徳は戦場の武勇のみならず、山に分け入っての猟師としての腕もあった。斥候が巧みだと思っていたがこうした下地があったようだ。

 

「殿、幽州より食料の買い付けに成功いたしましたが、向こうも直接戦闘は無かったとはいえ荒れ果てた土地も多いようです」

「うむ、こちらの事情もあるが、あちらが飢えても困る故な。うまくやってくれ、文若」

 荀彧は俺の秘書官のような仕事をしてくれている。大まかな方針を決めると荀彧がそれを手分けしてそれぞれに割り振る。適材適所を見抜くのが抜群にうまかった。


「殿! 周異殿の伝手でまた賢人を招くことが出来ましたぞ! 徐州に名高い張昭殿と張紘殿が来てくれるそうです!」

 そこに曹操が満面の笑みを浮かべて飛び込んできた。


「あいやー! それはすごいですな孟徳殿!」

「わかってくれるか文若よ!」

 ガシッと手を取り合い笑みを浮かべる姿は何というか……輝いていた。

「殿、軍制についてご提案がございます」

「おう、奉孝」

「これは孟徳殿」

「ちょうどよい、我にも見せよ」

 郭嘉が戯士才と共に立案した兵戸制は、兵役のみを負う家を定め、一戸につき一人の兵を出させる。その分ほかの税については免除となり、平時は兵に最低限の訓練をさせる。

 こうすることで戦死者が出ても質を落とさずに補充が効く。とはいえ内実は青州党の面々がその任を担っている。

 先述の屯田も同じことで、彼らの数は万を数えるので、こうした形で居場所を作ってやらなければならなかった。

 逆に、それを守らせればいかなる逆境でも逃げ出さない鉄壁の結束が生まれると郭嘉あたりがにこやかに言っていた。言いたいことはわかるがいい方がひどい。


 しかし、身なりのいい家臣が増えた。それは琢から一緒にやってきたような、良い方は悪いが出自の定かならぬ者は追いやられているということだ。

 いわゆる上流階級である士大夫層の人間を登用しなければ世の中は動かない。土地の実力者の推薦などで人脈を持っているからだ。

 逆に言えば士大夫を味方にしなければ統治はおぼつかない。学問を修め、郷里で名を上げる、これが出世の糸口と言うものだった。

 荀彧、張昭、張紘、もしくは周異といった名士と呼ばれる人間は、そうではない人間を無意識に見下す。彼らの意識は士大夫にあらねば人にあらずとでもいえばいいだろうか。


「よう、孟徳よ。なんか身なりのいいのが集まったなあ」

「はっ、殿が気前よく禄を弾んでいただいたので、当家の評判は上々にて」

「ああ、だがよ。士大夫だけじゃあいくさはできねえ。雲長はいい、左伝をきっかけに彼らともうまくやっている。だが益徳や子龍のような武芸一辺倒の奴らの居場所もいる」

「ええ、それは我も常々思うておりました。論語は道徳としては優れておりますが、実学とは言えないものとなり果てております。どこそこの書のどうという文句がどうこうと……はっきり言えば、それがどうした、と言いたいですな」


 漢の建国に関わった曹氏と夏侯氏の系譜に連なるものとは思えない一言が飛び出してきた。

「お、おう。そこまで言い切って良かったのかい?」

「構いませぬ。無論彼らは彼らとしていてもらわねば困ります。しかし、武人も彼らに並び立つ存在でなければならない」

「知識とは、いわんや「智」とは人々の生活に資するものでなくてはならぬと我は考えております。無論、道徳が無ければ世は混乱し、平穏な生活などなくなってしまうでしょう。しかし同時に新たな才の芽を摘むことになってしまう。それは本末転倒です」

「ふむ、言いたいことはわかる。あらゆるものが儒を通して評価されるということだな」

「左様、儒教の教えだけで世が成り立つのならば苦労はありませぬ。それだけで治まらぬゆえに武が必要となっている。これは矛盾というべきことでしょう」

「うむ、儒だけで成り立っていた時代を理想とするには人々はいろんなことを知ってしまっている。良くも悪くもな」

「故に、儒を一つの学問としてしまい、ほかの知識と並べてしまうのです」

「それは漢という国をひっくり返すことになるぞ?」

「それでも、です。儒教による徳治は現状に即していませぬ。少なくとも清廉な人物だけで世が動いているわけではありませぬので」

「なるほど。よくわかった。ならばどうする?」

「まずは魏郡のみではありますが、賢人を求める令を出そうと思います。これまでは古老たちによる推薦しかありませんでしたが、自薦も可とします」

「ふむ、その者を孟徳が見るか?」

「はい、そうして出てきた人材を相応の待遇で迎え、その者が功を成せば……」

「ふむ、なかなかに険しい道のりであるな。だが余も忸怩たるものがあったのだよ。琢郡から付いてきてくれた家臣はみな士大夫とはとても言えぬ者たちだ。彼らを引き立てることにつながるならばぜひやってもらいたい」

「殿の仁徳に感服いたします」

「世辞は良い。それにだ、報いるべき者の中には孟徳も含まれておる」

「それは我の提言が形を成した時にでもいただくとしましょう」

「おう、好きな位を授けよう。なにが良い? 大尉か?」

「はっはっは、ではその時を楽しみに仕事に励むとしましょうぞ」

 曹操は再び笑みを浮かべる。

「ああ、励むのもいいが、適度に休みは取るようにな……?」


 またあの夜討ち朝駆けの日々が始まるかと思うとぞっとした。本拠地の城の中心部で夜襲に怯える日々というのはいったい何なのだろうか。

 

「はっ、殿の心遣い、痛み入ります。されど国家の大計を成すのに休んでいる暇などありませぬ!」

 そう言い残すと曹操はすごくいい笑顔をして執務室から退出した。


「殿、強く生きてくだされ」

「憲和ああああああああああああああああああああああ!!」


 簡雍が無表情のまま俺の肩をポンと叩き、そのまま手元の竹簡に目を落とした。

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