中山王と河北統治

 鄴は春秋時代に斉の桓公が興した地である。のち戦国七雄の魏が首都とし、黄河から大規模な運河を引き込み、大規模な灌漑事業を行ったことで、今でも穀倉地帯として知られている。


「玄徳さま、お待ちしておりました」

 冀州刺史の韓馥が城門で出迎えてくる。その配下たちも同じく歓迎の意を示していた。


「ああ、よろしく頼む」

「はっ」


 韓馥はこれより并州に赴くことが決まっているが、この地に根差した家臣らはそのまま俺が引き継ぐことになっている。

 向こうは丁原という将が軍を率いて匈奴と戦っているので、その支援が主な任務となるそうだ。


「さて、平原ですが田豫殿を配しましょう。南皮には雲長殿を」

 政庁に入ると曹操がさっそくまとわりついてきた。

「雲長をかい?」

「殿と雲長殿の交わりはよく存じておりますが、おそらくもっとも信頼できる人物に任せるべきと勘案しました」

「……雲長を呼んでくれるかい」


 関羽も引っ越しの準備やらで忙しいはずだがすっ飛んでやってきた。


「兄者……いえ殿、お呼びと聞き、はせ参じました」

「ああ、ご苦労。それと人前じゃなきゃ今まで通りでいいぜ」

 ちらりと俺の隣に控える曹操を見やる。お互い何やら目線で会話した後、関羽は笑みを浮かべた。


「承知しましたぞ、兄者」

「ああ、んで話なんだがな……」


 関羽を偏将軍に任命し、合わせて南皮太守を命じた。


「……承知しましたぞ」

「もうちとなんかあると思ったんだがな」

「ははは、それは我がままと申すものでしょう。なに、兄者の側に益徳と子龍が居ればわしの心配はありませぬ。まして孟徳殿が知恵袋としてついているとなれば」

 そこで関羽はじろりと曹操を一瞥する。戦場で感じたような殺気が一瞬だけ放たれ、すぐに収まった。


「無論だ、我が理想を果たすための大事な旗頭だからな」

「ならばよい。よろしく頼む」

 あの気位の高い関羽が頭を下げたことに驚く。


「なに、兄者のすべきことを考えるならばわしの頭などいくらでも下げましょう」

「そうか……感謝するぞ」

「ふふふ、ならばまずはここに兄者の国を作りましょうぞ」

「おう、乱に悩まず、貧困に苦しまず、民草がすべからく幸福に暮らせるような国を作る」

 そう伝えると関羽は満足げに頷き、周倉と廖化を連れて南皮へと赴任していった。


「私は以前、官に就く前のことですな。人相を見てもらったことがあるのですよ」

「ふむ、特段珍しいことではないだろう?」

「ええ、ただその評価がちと引っ掛かりましてな。曰く治世の能臣、乱世の奸雄」

「それは……なんとも極端な評であるな」

「ええ、奸雄の汚名を着てでも、必要とあらば力を振るうつもりではありました。しかし貴殿に出会った」

 そういうと曹操はいつもの胡散臭い表情ではなく、まるで少年のように透き通った笑みを浮かべその身をひるがえした。


 そうして赴任後の仕事をこなしてひと月ほど後、急な来客があった。


「劉玄徳様にございますね。それがし周異と申します」

 横に控える曹操が、先の洛陽県令と教えてくれる。その先代も高官を歴任した名士だという。


「うむ、お初にお目にかかる。して此度はどのような用向きかな?」

「はっ、しれがし孫文台殿と交友があり、彼の家族を預かっておりましたが、江東では黄巾の残党が流れてきており治安が悪化しておりまして」

「ふむ、何とかしてやりたいが、まだ赴任したばかりでな。我が領土のことで手いっぱいなのだよ」

「いえ、そういうことではございません」

 そう言って周異が振り向くと、彼の連れてきた一行が顔を上げた。その中にひときわ眼光の鋭い少年が二人いる。


「お初にお目にかかります。孫文台が長子、孫伯符にございます」

「同じく周異が長子、周公瑾と申します」

 

 その瞬間曹操ががばっと二人の手を取った。


「我が名は曹孟徳と申す。おぬしら二人を幕下に加えたいのだがどうか?」

「おい!?」

「そのことにございます。この二人を玄徳さまの家臣としてお側に置いていただけないかと言うことと、文台の家族の保護をお願いしたいのです」

「それは貴殿も含めてか?」

「能うならば」

「よかろう。貴殿を食客として迎える。伯符と公瑾は武官と文官見習いとして孟徳、おぬしが世話せよ」

「ははっ!」


 曹操の悪癖として、これはと見込んだ者が居ると寝食を忘れて勧誘を始めてしまう。この二人はまだ幼いながら長じて英雄となれるほどの輝きを発していた。

 

「典韋! 伯符殿と手合わせじゃ」

 練兵場に伯符を引っ張って行った。


「仲徳、公瑾の面倒を見てやってくれるか」

「はっ、これは先が楽しみな……」


 そうして、先月までの悪夢を思い出す。


「殿! 灌漑についての計画書がまとまりました!」

「ふむ……よし、これで進めよ」

「はっ!」

 とまあ昼に執務室に書類を持ってくるのは良い。


「殿、郷里が近い縁で荀彧殿の招聘に成功しました!」

「おう、それは心強い。こちらに来られる日取りが決まったら余が迎えよう」

「はっ!」

「ではもう寝るでな」

「はっ、お休みなさいませ」

 寝る直前に駆けこんできたときは何事かと思った。


「殿! 一大事です!」

「な、なんだ!?」

「荀彧殿と仲徳殿が手紙を出してくださったことで、智者の名高い郭嘉殿と戯士才殿が招聘に応じてくださいましたぞ!」

「お、おう。それ明日じゃいかんかったの?」

「ははっ、吉報は一刻も早く届けたいと思いまして……」

「お前いつ寝てるんだよ?」

「ふふふ、仕事が楽しくて寝食を忘れるとはこのことにございますな」

「いい加減にしろ! お前が倒れたら中山国は立ち行かなくなるだろうが!」

「ははっ、我をそこまで高く買っていただけるとは、曹孟徳感激の至り!」


 こういうのがひと月、夜討ち朝駆けで続いた。そうして人材登用がひと段落着くと、曹操は寝台に倒れ込んで三日三晩眠り続けたそうだ。

 まあその働きがあってこそ、人手不足は解消しつつあり、何とか今後の統治の目途が付いているのも事実である。

 取りあえずあれだ。こいつは出世させよう。

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