泰山にて根本たるものを得る

 長社の戦いで勝利した官軍はその勢いを駆って黄巾の残党の掃討に入った。万を数えるほどの大規模な集団は各地で撃破され、また首領が討たれたことで降伏する者も出てくる。


「降ってくるやつは受け入れてやんな。もう悪さはしねえってんならな」

「はっ」

 無位無官のままになぜか討伐軍の一隊を率いている俺は泰山のふもとにある黄巾の大集落を目の前に布陣していた。

 といっても彼らは食い詰めた農民の成れの果てだ。


「孟徳殿、彼らを食わせて行かねばならぬ。なにか手立てはないか?」

「ふむ、左様ですな……韓浩と言う者の上申書に曰く……」

 屯田制の上申書であった。ああ、確か孔明が漢中の前線でやってたやつか。


「なるほど。持ち主のいなくなった畑を貸し与えると。壮丁には兵役に就かせるとなれば国力と兵力の底上げになるな。良い手立てだ」

「問題は我らにはそれを成しうるだけの財も権限もありませんが」

「なれば銭は俺が出そう。なに、国元には今回のいくさのたびに受領した褒賞の銭があるのでな」

「文台、それは私財であろう?」

「金は使うためにあるんですよ」

 さらっというあたりこいつの器もすげえ。

「ふむ、ならば言葉に甘えるとしよう。無論後日倍にして返す」

「ほほう、ならばその日を楽しみにさせていただきますぞ」


 粗末な服に素槍を構えて決死の覚悟でこちらをにらみつける兵たち。ここを追われればの垂れ死ぬしかないと思っているのだろう。


「聞け! 我らは義勇軍であり官軍ではない。我らは民の味方を自任している。おぬしらの求めるものは何か聞かせてもらいたい。まずは話をしようではないか」

 曹操が思い切り官軍の鎧を着たまま声をかける。


「お主は騎都尉でそもそもその戦装束は官軍のものであろうが……」

「下邳の丞の孫文台殿、何か?」

「ふむ、たしかにな。そうなると早く玄徳殿に何らかの官職についてもらわねばな」

「うむ、彼の仁にふさわしき地位に登ってもらいたいものだ」


 こいつらが何やらひそひそと話している。向こうはこっちに槍を向けたまましわぶき一つ立てずに縮こまっている。こりゃあ、らちが開かんな。



「にいはおっ!!」

 いつぞやと同じ手を使うことにした。馬に乗ったまま大音声で呼びかける。馬も慣れたもので俺の大声には驚かなくなった。いっぺん棹立ちになって振り落とされたからな。


「俺は劉玄徳だ。劉子敬の甥でな、その志を継ぐためにここにいる」

 また叔父上の名を借りることになるが手段を選んではいられん。この辺なら河北にも近い。少しは響けばいいんだが……。


「俺は幽州の出だ。子敬殿のことは聞き及んでいる。大仁の方だともな。だが河北の黄巾との戦いで命を落とされたとも聞いている。いわば我らは仇ではないのか?」


「ああ、そうだ。だが河北の黄巾は討った。黄巾つっても地方ごとに別ものだろ? それにだ、食い詰めて生きるために動いたお前さんたちを討つ剣は持ち合わせていねえ。……それを言ったら河北の連中もそうだったんだろうがな。だからこそ今度は間違えることはしたくねえんだよ」


「間違えるとは?」

「有無を言わさず問答無用で戦ってしまったことだ。叔父上のことは悲しい。親代わりに俺を育ててくれた方だからな。けどな、叔父上ならこういうとも思う。仁を持てってな」

「……信じてもよいのか?」

「礼と智はちょいと足りんかもしれんけどな。仁と義は叔父上から継いだ。そしてこれより信を成そう。それが国ってもんだろう」

「……我ら青州党は玄徳殿に従おう」

「かたじけない」


 こうして青州黄巾党五万が俺の配下になった。食わして行く手立ては……曹操と孫堅に丸投げしている。


「ふむ。郷里に人をやって早急に呼び寄せねばな」

「寿春あたりは豫州の黄巾残党が向かったとも聞くな」

「それよ」

「ならば子孝、文台殿の御家族を護衛せよ」

「はっ!」

「恩に着る」

「なに、よい」


 いつぞや波才を討った将が一帯を率いて南へと向かっていった。当面は兵糧を供出して青州党の食事を確保するが、なにしろ数が多い。


「兄い、買い付けようにも売ってねえ」

 食料の調達に向かった簡雍も困り果てていた。それでも四方に人をやって探していると、平原に向かった一隊が食料を持って帰還してきた。


「兄者。平原より食五万石を持って帰還しました」

 関羽は計数に長け、一時商人の手伝いをしていたこともある。よってこういう任務にも従事できたわけであるが……。


「おいおい、一軍を賄えるな量だな。ってか根こそぎ買い付けてきたのか?」

「いや、さすがにそこまでは。ですが平原付近の郡県がこぞって兄者のためにと供出してくれたのです」

「おう、そうかい。ありがたいねえ……」

 思わずこみあげてくるものがあった。命がけで戦った甲斐があったと言うものだ。


「さすが大徳の仁ですな。うむうむ」

 曹操自身も故郷から私財を投入して物資の調達に動いてくれている。しかし乱の爪痕は各地に残り、物資の欠乏は青州に限った話ではなかった。


「うーむ、なんとか立て直さねえとな。腹が減ってるやつは大体ろくでもねえことを考えるもんだ」

「食は国の根本ですからな」

「ああ、切羽詰まるとあと先を考えられんようになる。そうなる前に何とかしてやらにゃならねえ」

「至言かと」

「孟徳殿。お前さんの伝手で高官とか動かせねえかい?」

「祖父の伝手を使って動いております。あとは街道の安全が確保できれば……」

「よし、ここはいい。文台殿、お前さんは遊撃に当たってくれ。胡乱な輩はとっ捕まえて抵抗するようなら討っていい」

「ははっ、かしこまった」


 曹操は一度都に戻って一族の伝手で朝廷に働きかけるそうだ。

「元譲、お前はここで俺の名代として働け」

「承知した」

「妙才、元譲の補佐だ。兵をまとめろ」

「かしこまった」

「子廉は俺と共に来い」

「御意」


 こうして曹操はわずかな護衛の兵と共に出立していった。


 孫堅の働きは日ごとに聞こえてくる。部隊をそれぞれの将に分けて広範囲の治安を安定させていった。

「降ってくる者は受け入れよ」

 降伏した者はいったん受け入れた後でこちらに送ってくる。それらを編成して働かせたり軍に加えたりと大忙しだ。

 攻撃を警戒する必要が無くなった青州党の面々は武器を手放し農具に持ち替えて開墾を始めた。

 いくさの気配は去り、のどかな日常が戻ってきたようだった。そうして半年ほどが過ぎたころ、数名の騎兵がこちらにやってきた。


「曹孟徳殿よりお伝えしたいことがあると」

 使者はぐるぐる巻きにして厳重な封をされた木簡を差し出してきた。そこにはこう書いてあった。


 黄巾の乱を鎮圧するに功のあった者を集め論考の場を設ける。直ちに朝廷に出仕されたし。

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