尉氏の戦い

「我こそは燕人張益徳なり!」

 特製の矛を振り回すと十余りの敵兵が吹き飛ばされた。断末魔を上げることもできずに何があったかすらわからないままに敵兵は死んでいく。


「関雲長ここにあり! 者ども、奮えや!」

 大刀によって胴を両断された兵が絶叫しつつ倒れ伏す。ばしゃりと上がった血しぶきは周囲の兵を濡らし、立ち込める鉄さびの臭いで兵たちは猛り狂う。


「がっ!」

「ぐふ!」

 飛んできた矢に貫かれもがいているとどこからともなく現れた敵兵にとどめを刺される。そこには仁も礼もなく、ただ生き残るために目の前の敵を屠る。まさしく修羅場があった。


「北の大地に息づく兵たちよ。厳寒の冬に鍛えられし勇者よ! 今こそ奮い立つのだ!」


 俺の激に兵たちは目の色を変えて敵兵に槍を突き出し戦斧を振り下ろす。


「弓箭兵! 構えよ!」

 簡雍が弓兵を指揮して敵の後方に矢を降らす。わずかに足が止まったところを張飛が斬り込んで敵の陣列を突き崩す。


「ええい、怯むな! 次々と襲い掛かれ! ここで敵を道連れに死ねば大賢良師の恩寵があるぞ!」

「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」

「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」


「ありゃあ蟻の群れだな。考えることをやめてただ唯々諾々と従ってやがる」

「仕方ねえ。いろいろ考えて生きるにゃ辛すぎるんだろうぜ」

「憲和よ。おめえもそうなった方がいいのか?」

「俺は御免だね。なにより殿がやらかすことが面白くて仕方ねえ。次はどんな飛んでもねえことをやるかってな」

「ああ、俺も奴らにかける言葉がある。だがそれは今じゃねえ」



 関羽と張飛の陣はやはり数の差に押されてじりじりと下がってきている。簡雍の弓兵による援護も効果は限定的だ。

 ってなればここは切り札を投入すべきだろう。


「常山の趙子龍、見参!」

 趙雲率いる騎兵が敵前衛の側面を突いた。


「「ここだ! 押し返せ!」」

 お互い合図でも送っていたかのような息の合い方で陣を押し上げる。

 それでも戦況は一進一退だ。


「だああああ、曹操のやろう、早く来いってんだ」

「呼んだかね?」

「ぶわっ!?」

「うむ、玄徳殿。お召しに従い曹孟徳が参上したぞ」

 ああ、どこかで聞いたことがある。その名を語れば影が差すと。曹操のうわさをするとそこに現れるってやつだ。


「っておい、おめえさんの兵は敵の背後を衝くって話だったじゃねえか。なんで大将のお前がここにいるんだよ!」

「ふむ、なに、我が部下は有能なのでな。そろそろだ」


「悪来と呼ばれた典韋じゃあ!」

 巨大な丸太のような棍棒を振り回す大男が敵陣に殴り込んだ。周囲を固めるのも同じような巨漢だ。

「地元から呼び寄せた兵を伏せておいたのだ」

「お、おう」

 相変わらずわけわかんねえ軍略でいつの間にか勝ってるやつだ。こいつが指揮を執ったいくさはいつもそうだった。


「我が妙才を見せ、主君に勝利を捧げん。撃て!」

 騎兵が横一列に並んでいたかと思うと、弩を放った。

「騎兵用に小型化したのだよ。問題は耐久性が無くてな。まあ、こけおどしで一回撃てれば何とかなろう」

 いきなり矢を撃ちこまれた敵兵は混乱する。そこに弩を捨てた騎兵が剣を構えて切り込む。


「夏侯元譲が参った! 曹孟徳の武威を見せよ!」

 先日の戦いの焼き直しって言うには攻め方が苛烈だ。


「狂信者というやつはな、死んでもらうしかないのだよ。いかなる理を尽くしてもどのような利を与えてもそれを顧みることは無い故な」

「そうかよ」

「であれば彼らの教えに殉じてもらえばよい。かわいそうではあるがね」

 かわいそうとか言いながらこいつの眼には一切の憐憫の情は浮かんでいない。ただただ冷徹に兵の生死を見る姿はいっそ人間離れしていた。

 ああ、こいつとは何度も戦場を共にした。最初は味方で、のちには敵として。生涯をこいつと渡り合ったと言っても過言じゃねえ。だからこいつが、曹操が死んだって聞いたときには信じられなかった。胸にぽっかり穴が開いたようだった。


「って、え? 曹操が死んだ、だと? 馬鹿を言うな、目の前にこいつはいるじゃねえか」


 何やらよくわからない、瞬きの間に人生を生きたような圧倒的な実感。それは夢のようで現実のようで頭がグルグルしている。


「私が死んだとは?」

 つぶやきを拾っていたようだ。鬨と断末魔と剣戟の音が満たすこの場でどんな耳してやがる。


「いやすまん、なんかお前さんとは長い付き合いになりそうだと思ってね。妄想が飛躍してお前さんが先に逝ってしまったような気がしたのさ」

「ははは、私も貴殿もまだまだこれからでしょう。玄徳殿はなかなか想像力が豊かなようだ」

「くくく、そうだなあ。なんか他人って気がしねえんだよ」

「はは、ならばいずれ力をお借りすることになるでしょうな」

「ああ、まあそれもだ。このくそったれな戦場を生き抜いてからのことだ」

「なるほど、おっしゃる通り」


 ニヤリと笑みを交わすと、俺たちは互いの兵に命を下した。


「「全軍突撃!!」」


 曹操は飛電と名付けた馬を走らせ最前線に出る。蟻のように群がる敵兵を見事な剣術で斬り伏せ、前線で指揮を執っていた敵将らしき者の首を跳ね飛ばした。


「孟徳殿に続け!」

 その姿を見て奮い立った騎兵が曹操の後に続くように駆け巡り敵陣を分断する。


「分断された敵を叩くんだ! 田豫、行けい!」

「応!」


 田豫率いる歩兵は槍先をそろえて細かく分かたれた敵集団を砕いていく。


「子龍、あっちの敵を叩け」

「委細承知!」

 趙雲率いる騎兵が曹操が攻め込んだ方とは別の敵に突撃を敢行した。北方の雄、公孫瓚軍の騎兵戦術を習得した趙雲の一本の槍のような突破力で敵陣を斬り裂いていく。


「虔招が敵将を討ち取った!」

 田豫の補佐として戦っていた虔招が見事に敵の指揮官を討ち取ったようだ。これで味方の指揮が盛り上がる。


「帥主が討たれたぞ!?」

「大賢良師様のご加護が失われたというのか?」


「ふん、そんなご加護があるんだったら今頃張角が皇帝になっていたであろうよ。だが今は泉下で歯噛みしているのみ。空しいものよな」


 曹操が傲然と言い放つ。その言葉に敵兵はひるみ味方は奮う。


「蒼天いまだ死なずだ。黄天が来るにはいまだ早かったようだな」


「曹子孝が敵将波才を討ち取ったぞ!」

 動揺した敵軍は混乱をきたし、徐々に崩れていった。そうしてついにこの軍を率いていた大将が討たれる。


「おう、見事なり、だな」

「運が良かったのでしょう」

「なに、謙遜はいらんだろ。よほど敵中に深く侵入しなけりゃあ敵将の首なんか獲れるもんじゃねえ。見事な武勇だ」

「お褒めに預かり恐悦に存ずる」

「いや、良い身内を持ったなあ」

「自慢の従兄弟にござる」


 戦況はすでに掃討戦に移っていた。ただ主だった将は次々と討たれ、黄巾の軍師とも称されていた波才もここで討ち取ることができた。大戦果と言っていい。

 この一戦で黄巾は組織だった系統を失い、各地域に盤踞する小規模な賊となる。


「では、勝鬨を」

「孟徳殿、貴殿が功一等だ。おぬしから声を発するがよい」

「ふむ、されば……皆の者、よく戦ってくれた。功を挙げたものは私より何進将軍に奏上させてもらう」

「すまない。官職に付いている孟徳殿と違い私は属尽でしかないが、それでも奮戦してくれた皆のことはよく見ていたぞ。いずれ機会を見つけその功が報われるよう尽力することを誓う」


 わっと兵から声が上がる。その軍装は返り血で朱に染まり、地に倒れて動かないものも多い。傷を負った者を同輩が必死に介抱している姿も見受けられた。


 劉備と曹操は尉氏の地で四倍の敵と戦いこれを破る。この報が流れ、洛陽では歓呼の声が上がったという。

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