黄巾の反撃

 濮陽に入ると降ってきた黄巾の将から張角の死が改めて確認された。

 戦いの決着を見て皇甫嵩将軍も濮陽に入り、張角の死の情報が本当ならば恩赦を与えると約したうえで、案内に従い張角の墓所を探し当てる。


「掘り返せ」

 小高い丘の上に粗末な墓所があった。墓石には大賢良師とのみ刻まれており、漢を大混乱に陥らせた反乱の首謀者としてはいささか寂しい墓であった。


 将軍の命に従い兵たちが墓を掘り返す。暴かれることを恐れてか、かなり深く掘り進んだところで棺が見つかった。


「よし、死骸を晒すのだ」

 こうして張角の死はまたたく間に広まって行く。指導者を失った黄巾軍は解体され、乱は沈静化に向かう、と皇甫嵩将軍は思っていたようだ。


 しかしながら、まだ首魁の一人張梁が生き残っており、南陽郡の宛には張曼成率いる軍団がいまだ力を保っている。

 皇甫嵩将軍は報告のため洛陽に戻ると言い残し自分の部隊を連れて去って行った。張角の死を好機と見た朱儁将軍が、許県周辺の黄巾軍を討つべく出撃し、見事に敗北した。

 張角の死骸を晒したことで黄巾軍は朝廷に敵意を燃え上がらせ、長社の平野で朱儁軍を大いに撃破した。陳留まで撤退することはかなわず、官途の古城に立てこもって何とか持ちこたえているようだ。



「玄徳よ。わしはこのままこの地にとどまりこの地を慰撫することとする」

「はい、私は義勇兵を率いて南下し、朱儁将軍の危地を救いたいと思います」

「うむ、酸棗に駐屯している部隊が出陣したと聞いておる。彼らと合力して敵の背後を衝くのだ」

「はっ、では出立いたします」

「うむ、乱をおさめたのち、都にて会おうぞ」


 こうして黄巾の残兵を吸収し八千ほどに増加した部隊を率いて一路南下する。陳留に一度入り、物資の補給を受ける。盧植先生の手配によってここで食料や武具の補充ができたことは大きい。


「貴殿が劉玄徳殿か。我が名は劉公山(岱)と申す。皇族の一員としておぬしの勇戦を寿ぎに参った」

「おお、これは。いかにも私が玄徳にござる。公山殿にはお初にお目にかかります」

「うむ、兗州刺史の肩書はあるがの。黄巾を抑えきれずにこの体たらくじゃ。それゆえにおぬしの見事な戦いぶりに称賛を」

「ありがたきお言葉にございます」

「うむ。此度ほどの働きがあればおぬしを皇族の一員として迎えるに不足はあるまい。陛下にも奏上させてもらうぞ」

「ははっ。皇族への復帰は我が一族の悲願でございました。属尽の身になろうとも国への恩は忘れたことはございませぬ」

「うむ。おぬしの武運を祈っておる。更なる功を立てられよ」


 さすがに額面通り取るには胡散臭さが大きい。黄巾の勢力は強大ではあったがそれでも官軍を率いて戦うこともできたのだ。

 それを安全な後方から声だけは大きく出し、功績を挙げたものにすり寄ってくる。


「典型的な小人のふるまいですな」


 憤懣やるかたないと言った風情で関羽が小声で話しかけてきた。

 さすがに誰の目と耳があるかわからねえところでうかつなことは言えない。それでもこうして言ってくるということはよほど腹に据えかねたのだろう。


「そう言うな。誰もが雲長のように誇り高くは生きられぬということだ」

「いいえ、わしも一点の瑕疵もなく生きてきたとは思うておりませぬ。しかしそれでも少しでも、より良い先行きを模索しておるさなかにて」

「ああ、安寧に安住するのはたやすい。だがな、いかなる苦難を越えてでも上を目指す雲長の志こそ尊いのだ。俺もな、おめえに恥じぬような長兄でありたいと思って生きてるのさ」

「身に余るお言葉……」

「なに、いいさ。おめえがいるから俺がある。それだけは絶対に忘れちゃいけねえことだ」


「兄貴、劉辟と廖化があいさつしてえってよ」

 張飛が連れてきたのは先日、濮陽の戦いの中で俺に降ってきた黄巾の将だったやつらだ。恩赦の約束を取り付けたことで気前よく約束を守ってやった。そうすると、一部は俺に付き従いたいと言い出してきた。

 劉辟は豫州の出身で土地勘がある。これから戦いに向かう先でこの情報が役立つだろう。

 廖化は周倉と馴染みだったらしい。関羽の配下について、馬の世話なんかやっている。その姿を見て黄巾上がりの兵たちが関羽に畏れを抱いているそうだ。

 きっちり戦ってくれるならそこらへんの事情は気にしないことにした。


 陳留を出立して一路西へ向かう。官途の古城に立てこもっている朱儁軍の一部が陳留にたどり着き状況を知らせてきた。


「敵勢は雲霞のごとく湧き出しその数も知れませぬ」

「ちゃんと偵察してなかったってことだろう。まったく……」

 報告を聞いて思わず毒づいた。孫子でも間者をうまく使うことはいの一番に書いてある。

 彼を知り己を知れば百戦して危からずとはこういうことだ。


「豫州へ向けて進撃し長社に差し掛かったあたりで敵に取り囲まれておりました」

「物見は出してなかったんかい?」

「出してはおりましたが……」

「物見が帰ってこないってのも一つの情報だぜ? そこに危険があるってのは考えたらわかるだろ」

 朱儁将軍はどうやらかなり功を焦っていたようである。皇甫嵩将軍が兗州で戦果を挙げた。敵の連絡を遮断し、配下の軍勢を用いて兗州と徐州を開放したってことになってる。そうなれば昇進は確実だろう。


「ま、しゃあねえ。益徳、頼む」

「おう」

 短い答えを返して益徳は手勢を率いて出て行った。ここで言う手勢とは付き合いの長い山や森を歩くことに慣れている兵である。猟師の経験もある彼らは身を隠すことに長け目がいい。


「しかしひでえ話だよなあ」

 思わずぼやきが出る。朱儁将軍の救援に兵を出そうってのがほとんどいなかった。なんなら政敵が一人減るくらいのもんだ。

「ええ、ですからここで功を立てれば将軍に恩を売れます。朝廷への覚えもめでたくなりましょう」

「んだな。そうとでも考えんとやってられん」


 そうして官途の砦付近まで兵を進める。散発的な遭遇戦はあったが、百ほどの少数の兵で、こちらの数を見て逃げ出すような連中ばかりだった。


「まあ、逃げられたら困るから討つんだけどな」

 子龍の騎兵が逃げようとする敵兵を包囲する。


「降れば命までは取らぬ。如何?」

 こうして荷物持ちなどにして飯を食わせればとりあえず脱走してまで本隊に知らせに戻ろうなんて奴はいなかった。元黄巾の劉辟が意外と面倒見が良く、兵が定着していた。


「いやあ、こりゃあ……」

 雲霞の如しって言うのは伊達じゃあなかった。


「兄貴、ざっと見て五万はいるな」

「ああ、あれだけの数だ。朱儁将軍は餌か」

「ふむ、増援に来る官軍をおびき寄せて討つという手はずでしょうな」

 あれだけの数で押し込めば小城に籠った軍勢などひとたまりもない。それでもまだ命脈を保っていられるのはそういうことだろう。


「さて、どう攻めるよ?」


 俺の問いにだれも答えは持っていなかった。


「玄徳殿、北西から騎馬の一隊がこちらに向かっております。騎都尉の旗印ゆえ官軍かと」


 黒装束に身を固めた一隊がこちらに向けて進軍してきていた。先頭を走る将らしき人影を見たとき、なにかずきりと頭痛が走る。

 

「俺はあいつを知ってる? いや、けど初めて見る顔のはずだ……どうなってやがる?」


 孫堅を見たときも同じような予感がした。あれはどちらかと言えば不倶戴天の方になりそうだなとどこか冷めた意識で考えていた。

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