江東の虎
濮陽の黄巾軍は白馬の戦いで敗れた後、城門を固く閉ざし籠城の構えを取った。
「玄徳よ、敵の意図は何じゃろうな?」
「そうですね。援軍のあては難しいと思います。南方は遮断され東の小沛も攻撃を受けている。となれば……おそらく黄巾の主領の誰かがいると考えるべきかと」
「うむ、万が一にも討たれてはならぬ者が居ると考えるが自然じゃな」
「ふむ、であれば逆に逃げ道を作るが上策ですな」
「ほう、申して見よ」
「おそらくですが敵が目論むのは南方、豫州への撤退でしょう。故にまず抜くべきは皇甫嵩将軍の陣となります。故にそこをあえて手薄にし、逃げ足の付いた敵の後背を叩く」
「ふむ、玄徳よ。なればその策で行こう。皇甫嵩殿へのつなぎはわしがする。お前は兵を伏せる場所を見繕うがよい」
「であれば義弟の張益徳を物見に出しております。間もなく戻るかと」
「ふふふ、玄徳よ。もはやわしが教えることは無いやもしれぬな」
「いえいえ、先生にはまだまだ教えていただきたいことがございます。どうぞご健勝であってください」
盧植先生は満足げな笑みを浮かべ、皇甫嵩将軍の元への手紙を書き始めた。俺も自分の陣に戻り、張飛の帰投を待つことにする。
「兄者、戻りました。そして一大事です」
「うん? なにがあった?」
「小沛が落ちました。どうも下邳に駐屯していた孫文台とかいうやつの軍が小沛の黄巾軍を誘い出して野戦で破ったようで」
「ほう。見事だ……ん? 小沛の敗残兵はどうなっている?」
「それがですね。濮陽に逃げ込もうとしておりまして、しかも東側には兵が居ないってことは」
「まずい。益徳、二千を率いて先発せよ。濮陽への入場を食い止めるんだ」
「わかった!」
いっしょに報告を聞いていた将領たちに命を下して行く。
「憲和、盧植先生のとこへ行って今の話を説明してこい」
「かしこまった!」
「雲長、二千を率いて益徳の後背を塞ぐ位置に布陣。城兵が出撃してきたらそれを防げ」
「御意」
「子龍、おめえは俺と一緒に来い。騎兵すべてを預ける」
「承知!」
「田豫、虔招は残りで本陣を守れ。状況を見て雲長と益徳に加勢するんだ」
「はっ!」
「では、行けっ!」
俺の号令で全員が動き出す。盧植先生のことだからこの事態も想定している可能性が高い。とはいえ手を打たねえってことはあり得ない。
「殿、東より黄巾兵が来ました。数は一万」
「って様子がおかしいな。敗残兵ってのはもうちっと足取りが重いはずなんだが、なんか元気いっぱいで走ってきてねえか?」
「……いえ、あれは追われているのです」
「まさか!?」
ここで逃げ延びないと死ぬ。そうなれば必死に形相で走るのはわかる。ただ、敗戦し、打ちひしがれているというのはちょっと違う。まさに今追いかけられ、死を背中に感じて走っている顔だ。
「益徳、無理に立ちふさがるな!」
「うぇ!?」
「ありゃあ死兵だ。まともに相手するとこっちがやられるぞ」
必死の形相で濮陽の城門めがけて走って来る軍勢の後ろに推行の陣を敷き、くさびを打つかのように猛烈な勢いで走ってくる軍があった。
「孫家の旗印です」
「……ありゃあやべえな」
「どういう意味です?」
「先頭を突っ走るやつがおそらく総大将だ。孫堅ってやつだろう」
「まさか!?」
「江東の勇者たちよ。今一度我にその武勇を示してもらいたい。手柄首には報奨を惜しまぬぞ。続け!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」
黄巾軍は前方に城が見えたことで少し緊張がゆるんだ。そして目の前の敵を一気に蹴散らそうと考える。
だがすぐ背後に足を速めた孫家の軍勢が迫りくる。
「雲長に伝令、益徳と合流して敵の側面に回り込めと伝えろ」
「ははっ」
「子龍、孫堅の軍が敵の後ろに食らいついたらそのまま側面を突き、前方に駆け抜ける。行けるか?」
「はっ!」
騎兵を動かす。騎兵は動いていてこそ力を発揮し、もっとも速い時に敵にぶつけてこそ最大の威力を発揮する。止まっている騎兵などただの的だ。
「続け!」
孫堅が剣を振りかざし敵中に突入する。突撃の足を鈍らせようと敵陣の方からはパラパラと矢が飛んでくるが、おそらく全体を指揮できる将が居ないのであろう。反撃は散発的だった。
敵に追いつきざま上段から大刀を振り下ろす。受け止めようとした騎兵が頭を割られ断末魔を上げる暇もなく馬から叩き落とされた。
そこに後続の歩兵が飛び乗るとにわか騎兵とも思えないほどの練度で馬を操る。
鬨を上げ濁流のごとき勢いで黄巾軍の背後を蹂躙する様は恐ろしいまでの破壊力だった。
「おっしゃ、俺らも行くぞ。続け!」
「殿、先駆けは拙者の役にございます故、中段の兵を率いてこられよ」
「お、おう」
「趙子龍、推して参る!」
槍を振りかざし馬腹を軽く蹴るとその乗騎は素晴らしい勢いで加速し始めた。まさに人馬一体の駆け足に周囲の騎兵も慌てて馬を駆けさせる。
いつぞやのいくさでは趙雲一人の速さにだれも付いていけなかったが、今回はなんとか部隊としての体を保って駆けだす。
「やるじゃねえか。んじゃ行くぞ。子龍に続け!」
「「「おおおおう!!」」」
短い答えを待たずに俺も馬を駆けさせる。すぐに左右を部隊の兵が固め、スッと前方に子龍が鍛えていた騎兵が入り陣を形作る。
後方を襲われて半ば恐慌状態になっていた黄巾兵は趙雲の突撃を受け完全に潰走した。まるで匈奴の騎兵のように走りながら弓を引き絞り子龍の槍先が示す一点に矢を放つ。
そこには声を涸らして何とか指揮を執ろうとする指揮官がいたのだ。
「ぐ、ががががががが」
その指揮官が全身に10以上の矢を受けて即死したことで混乱は最高潮に達した。
「斬り裂け!」
趙雲は敵左方から突入し敵の中核を衝いたのち左に馬首を返して敵前陣を背後から食い破った。
俺も同じ経路をたどって敵陣の穴を広げに掛かる。すると隣に見慣れない騎兵がいた。
「御身の見事なる用兵、感服仕ったぁ!」
「うお!?」
いきなり真横で大声で叫びやがるので、その方を向くと互いになにか予感があった。ああ、こいつとは手を取り合って天下を太平に導くか、それとも不倶戴天の間柄になるやつだ。
「御身の名をお聞かせ願いたい」
こうやってのんきに会話している間にも周囲には敵兵が満ちており互いの剣を振るって斬り倒している。
「私の名は劉備、字を玄徳と申す。貴公は?」
「我が名は孫堅、字を文台という。また戦場にて相まみえようぞ」
そう言い残すと単騎で自らの兵の元に戻って行く。
「おいおい、ありゃあとんでもねえな」
敵陣を突き抜けると、目の前ではもっとひどい惨状が繰り広げられていた。仲間を救えと出撃してきた城兵が関羽、張飛の挟み撃ちに遭い、混乱したところに盧植先生の追撃を受けている。
小沛の敗残兵もすでに散り散りになり軍の体を成していない。
そうしている間についに決定的な瞬間が訪れた。
「張益徳が賊の首魁の一人、張宝を討ち取ったぞ!」
張角の弟であり、軍を指揮していた張宝が戦死したことによって濮陽は開城した。そこで降った敵から更なる事実が判明する。張角はすでに病死しており、幹部がそのことをひた隠しにしている。そして先ほど戦死した張宝が跡を継ぐことになっていたと。
ここで中原を大混乱に陥れていた黄巾の乱は一つの節目を迎えることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます