黄河を渡る

 平原は現地の古老に任せ、界橋で残敵掃討に当たっていた公孫瓚軍と官軍に合流した。この時俺が率いていた兵は八千余り。

 ここで劉焉殿から借り受けていた兵を返却する流れとなったが、俺に付いていきたいと望む兵が居て、結局半数が俺の手元に残った。帰還する一千は、家族のもとに帰るなどの事情があるやつばかりで、やむをえないことだ。


「玄徳さま、貴方のおかげで武功を上げ、故郷に錦を飾ることができます」

「褒美も出ますし、これで両親に楽をさせてやれます」

「事情が許すようになればまた玄徳さまのもとで働きたいと思います」


 涙ながらに別れを惜しむ兵たちにこちらも涙を浮かべ惜別の言葉をかける。


「貴殿らのおかげで私も功を成すことができたのだ。その勇敢さは忘れぬ。何かあればこの劉備を訪ねるがよい」


「玄徳殿、貴殿の武功については必ず劉焉殿に伝えおくと約束しよう」

「玄徳、わしも一度北平へ戻る。何かあったらいつでも訪ねて来い」

「伯珪殿、お世話になり申した」

「お前は我が弟も同然よ。変な遠慮はいらぬ故な。あと、お前の働きはわしからも奏上しておくからな」

 こう言い残し、雛靖将軍と公孫瓚殿は幽州へと帰還していった。

 


「では玄徳よ、行くとしようか」

 盧植先生が正式に官軍の指揮を引き継ぎ、まずは豫州、徐州の黄巾軍を叩くこととなった。

 南下して黄河を渡り白馬津から上陸する。これは敵の真ん前でのとが作戦となり危険を伴う。よって豫州への抑えとして陳留に駐屯している軍を一部濮陽に向けて向かわせ、牽制をさせるよう話が付いているようだ。濮陽の背後では下邳に駐屯している孫堅率いる軍が徐州に攻め入る手はずとなっている。


 鄴に入って休息を取り、兵を再編しなおして一路南下すると、雄大な水の流れが目に入る。対岸は霞んで見えず、川面を船が滑るように進んで行く。


「ほへええええええええええ……」

 その光景に言葉も出ず、ただため息のような声が口から漏れ出していた。


「いやあ、すっげえなあ……」

 簡雍もその光景に魂を奪われたような顔だ。

「だ、なあ……」

 張飛もぽかんとしている。関羽は河の水面に目線を向け、何やら想いに浸っているようだ。


「雲長、なんかあったかい?」

「いえ……そうですな。わしの出身は洛陽の近く、河東でしてな。そこで暴利をむさぼる密売人を討ち果たしたのです」

「へえ、そりゃいいことをしたな」

「そうでもないのですよ。確かにあやつは利を貪っておりましたが、それ以上にひどい者がいたのです」

「……役人か」

「ええ、国が決めた以上の値を付け、差額を懐に入れていた。商人はそれに比べると良心的でしたな。何しろわしがそ奴を討ったせいで塩が届かなくなり立ち行かなくなった村が出ましてな……」

「雲長よ、世の中ってのはややこしいなあ」

 俺のその一言に関羽の背がぶるりと震える。

「あれだ。おめえは良かれと思って動いたのだろう。もしくはおめえをけしかけたのはその役人じゃねえのか?」

「はい、左様です。その後、わしはその役人を斬り、友の助けを得て晋陽から幽州へ抜けました。世を嘆いて酒を喰らい、クダを巻いていたところでわしを正気に戻してくれたのが益徳なのですよ」

「ほう、そりゃあ興味深いな」

「雲長兄、その話は……」

「益徳、俺が聞きてえんだよ」

「ぐぬぬ」

 張飛は顔色を赤くしてなにやら慌てている。そんな姿を見て関羽は含み笑いを浮かべていた。


「玄徳殿、舟の用意が出来たそうです」

 田豫が呼びに来た。盧植先生はすでに兵を率いて先の船団にて渡河を始めている。対岸でなにやら人の群れが動いている。小沛と濮陽を扼す位置、定陶に兵を駐屯させると聞いているが、まだそこまで味方は動いていないらしい。


「田豫、ちとまずいかも知れねえな。白馬の渡しで敵が迎撃準備を整えているように見えるぞ」

「ふむ!? いやあ……私の眼には対岸の様子はかすかにしか……」

「うむ、出来れば少し離れたところに上陸すべきだな。延津あたりがいいな」

「上陸途中を敵が襲うとお考えで?」

「そりゃそうだろ。俺でもそうする。そこでお行儀よく並んで食い止められるくらいなら別の所に上陸して敵の側面か背後を衝くのがいいだろ?」

「おっしゃる通りですな。船頭に伝えてきます」

「ああ、頼んだぜ」


 先に進む船団に矢が射かけられているようだ。

「言わんこっちゃねえ、っても先生ならこれくらいは予測してるだろ。っておあ俺の動きも多分読まれてるんだろうなあ……」


 上陸した兵たちは盾を並べ敵の攻勢を食い止める。そして戦線を押し上げて上陸する兵の援護をする。

 相手もそれを分かっているので上陸してきた兵を射すくめんと雨あられと矢を降らせる。


「ああ、俺の考えは先取りされちまってるな。派手に上陸を試みてもうちょいと下流に兵を回してたらしい」

「ふむ!」

 関羽と張飛は別の船でそれぞれの兵を率いている。俺と同じ船には田豫と趙雲がいる。

 簡雍は輜重を積み込むため最後尾だ。牽招は鄴の方面にとどまって退路を確保している。河を渡られたら敵にとっては死活問題で、場合によっては押し戻されることもありえる。だからこそ退路の確保は重要になる。


「あれなら心配なさそうですな」

「そうだな。だけど警戒を怠るんじゃねえぞ」


 盧植先生は巧みに兵を操り、見事敵を撃退してのけた。なお、背後を衝こうとしていた西に回り込んだ兵はうちの軍が片づけた。


「ふふふ、玄徳も兵書を読んできたようじゃのう」

「先生こそお見事な采配にございました。玄徳感服してございます」

「ふふふ、伏兵をよく防いでくれたようじゃの」

「お見通しでしたか」

「故に西に回ったのであろうが。兵を伏せておるはわかっておったがおぬしの兵が回り込めば背後を衝ける。もくろみどおり、じゃの」

「怖いお方だ。千里の先を見通すかのようだ」

「ほっほっほ。まだまだ若い者には負けぬよ」


 白馬の砦を確保し、わが軍は離孤の城に入った。皇甫嵩将軍が兵を東に差し向け、定陶に兵をおく。これで濮陽の半包囲が完成した。


「さて、じわりと攻めるかの」


 盧植先生の采に従って濮陽の攻防戦が始まった。

 

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