平原にて

 平原を制圧して残敵の掃討もひと段落着いた。黄巾軍はかなりの無茶をやらかしていたようで、次々と住民に袋叩きにされて人の姿を保たぬような末路を晒している。


「かぁー、ひとの恨みってのは恐ろしいねえ」

「兄貴、のんきにしている場合じゃねえ。俺たちも下手すればやられちまうぞ?」

「ああ、そうだな。憲和、住民を政庁前に集めてくんな。俺から話す」

「かしこまりましたぁ!」

 

 政庁の外で繰り広げられる酸鼻を極める状況に戦場に立った経験のある簡雍でも顔色を悪くしていた。この状況を何とかできるならばと兵たちを率いて状況の鎮静に向けて動き出した。


 平原の住民とその主だった者が政庁の前に集まっている。いざという場合に備え張飛が兵を率いて建物の中に待機していた。とはいえ張飛一人ならばどうとでも切り抜けられるだろうが、数百の兵など万を超える住民の前では無力だ。


 ざわつく民衆を前にして、俺は一歩を踏み出した。


「你好!」

 手をあげて挨拶をする。ただし全力の大声で。

 その一言でざわつきは収まり、俺の顔に皆が注目しているのが分かる。


「平原の民よ、黄巾の暴虐によく耐え抜いてくれた。我が名は劉備、字は玄徳と申す。中山靖王の末裔に当たる」


 この名乗りは実は子敬叔父上がはじめたものだ。その名分を継ぐことができるのはただ一人となってしまった血族の自分のみである。


「中山靖王って、あの劉子敬殿が名乗っておったという?」

「彼の御仁は義勇兵を率いて戦い敗れたと聞くが」

「人徳に篤く、多くの者がその名を慕って集まったと聞くぞ」


 平原は戦時下にあって人の出入りが制限されていた。そのため情報が入ってきていない。だからこそ最新の情報を教えてやる。


「子敬叔父上の名が聞こえるな。そう、私は子敬殿の甥にあたるものだ。志半ばに倒れた叔父上の遺命を掲げ、帝と臣民のために立ち上がったものである」


 その一言に再びざわめきが巻き起こる。一部の民は興奮して熱っぽく叔父上の治績を話し出した。


「そうそう、先に話しておこう。我が手の者が先ほど出撃した黄巾の軍を破る手はずとなっておる。また界橋で官軍と会戦に及んでいるが、漢の名将たる雛靖将軍率いる精兵に敵うわけもない。今頃は撃破されておるであろう」


 その一言にわっと群衆が沸く。


「ここに宣言する。河北の黄巾賊どもは討伐されたと」


 さらに大きく歓呼の声が上がる。


「されど、豫州、潁川の黄巾はいまだ勢力を保っている。南の荊州でも戦いは続いており、首領たる張角もいまだ捕えておらぬ。ゆえに私は次なる戦場に赴こうと思う」


 その言葉にざわめきが止まる。


「まずは約束しよう。黄巾の賊どもが興ったのは官吏の腐敗である。故に私は此度の功績を投げうってでもこの地に公正な太守を派遣するよう上奏する」


 ざわめきが大きくなった。

「なんという公明な方じゃ」

「あのような方が太守となっていただけたらのう」

「劉子敬殿は見事な後継者を得たものじゃ」


 街の古老たちが大きくうなずいている。つかみはうまく行っているようだ。


「その上で問う。私は今は属尽の身で布衣である。しかしそれでも良いと、わたしと共に戦ってくれる者はいないか? 無論戦いに向かう兵だけではない。軍を維持するのに資金も食料も必要だ。だが預かった物は私することなく大義のために使うと叔父上の名において誓おう」


「劉玄徳殿に申し上げる。我が名は張世平という馬商人にござる。我が資産である軍馬百頭と三千銭を供出いたす」

 俺の呼びかけに一人の商人が即座に申し出てくれた。


「我らより兵糧を出しとうござる」

「銭を用意いたしましょう」

「玄徳殿、俺たちは黄巾に殺されそうになっているところを救ってもらった。恩を返すまで麾下においてくだされ」


 次々と兵が集い、物資が集まって来る。


「憲和、物資の管理は任せたぜ」

「殿、ちっとまってくださいよ。こりゃあ俺一人じゃ無理だ!」

「ふむ。文官を増やさんといかんか。その前に集まった財貨からおめえらの禄を出してやらんとなあ」

「へっ!?」

「働いたやつにはそれなりの褒美がいるだろう。おめえは戦場で槍を振るう能はないがよ、兵たちをまとめ上げて言い方は悪いが宥めることができる。それに物資の管理にも手を抜かねえ。横流しもしてねえしな」

「……兄い」

「おう、琢から一緒にやってきてるお前を疑うことはねえ。ただな、この前おめえが言ってきたけじめってやつも要る。これからうちらはもっと大所帯になるんだからよ」

「……はい」

 簡雍は目に涙を浮かべて俺を見ている。

「だからよ、古なじみだから重用しているんじゃねえ、出来るやつだから側においてんだ。そこを知らしめねえとな」

「兄い、一緒付いていきますぜ」

「おうよ。俺も憲和が居ねえといろいろ困るんでな。とりあえず物資管理のできるやつを探してみるわ。少し時間をくれ」

「あいよ、期待せずに待っておりますぜ、殿」

「おめえ、主君に向かって言う言葉遣いじゃねえぞ、そりゃあ」

 ざっくばらんな言葉遣いに思わず苦笑いが込み上げるが、もともとこういう間柄だ。俺が偉くなったらこいつにゃそういう言葉遣いでも咎めねえとか言ってやったら喜ぶかね?

 そう考えると少し楽しくなってきた。


「殿、関雲長、黄巾の軍を打ち破り帰還いたしました」


 次の日、関羽率いる別動隊が帰還した。黄巾の頭役の首と数千の捕虜が付いてきた。

 ただしこちらの連中は元々平原にいた兵などで、家族を盾にとられて従っていた者たちである。という体だ。


 捕虜となっていた兵たちの頭役は関羽が拾ってきた周倉という男で、元は山賊だったらしい。黄巾どもの理念とやらに共感したわけではなく、言い方は悪いが食うために参加していたそうだ。


「劉玄徳殿、我ら黄巾に与したこと、死に値する罪かと存じます。しかし我らの首を差し出すことで、家族には塁の及ばぬようお願い申し上げる」


 これもあらかじめ仕込んであった場面だ。周倉は元々許して関羽の下につけることが決まっている。そして周倉自身も平原で黄巾の頭役として居たことがあって、住民もその姿を知っていた。


「人は誰も過ちを犯す。だがそれでも今一度正道に立ち返ろうと言うものを誰が見放せようか」

「しかしそれでも罪は罪にございます」

「さればこれからは大義のために戦いその罪を濯ぐがよい」

「……されば粉骨砕身の覚悟を持ち貴殿のために戦いたく存ずる」

「ありがとう。おぬしの働きに期待している」


 周倉の眼からは滂沱の涙がこぼれ落ちていた。あらかじめ仕込んでいた芝居とはいえいささかやりすぎではないかと思ったが、もらい泣きをする者もいて反応は悪くない。


 民衆の中から突然歓呼の声が沸き上がった。


「諸君、私は黄巾を倒すその一助となり、国の太平という悲願を果たすつもりだ。志を同じくする者は私と共に行こう!」


 民衆の声は圧となって俺にたたきつけられた。だがそれは不快なものではなく、その熱が体にしみわたり、自らの力となって行く。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ぶわっと自分の身体が巨大なものとなり、天地を覆うような感覚になった。自らの身体に取り込んだ熱は雄たけびとなって口からあふれ出る。

 

「おあああああああああああああああああ!!」

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 傍らに立っていた関羽と張飛も同じく叫んでいた。その目からは涙がこぼれ落ちている。


 そうして俺は平原で精兵五千を加え、義勇軍としては最大規模の兵を率いることができるようになった。

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